鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

6/11 コントロールと元値

先々週くらいのSBSの『The夜会』に、今、大人気の坂上忍が出ていた。
そこで『苦手な芸能人は?』という問いに、仲が良いはずのヒロミを上げていた。
理由は、ヒロミと酒を呑もうとすると、『いろんな人間をさせて来るから、苦手なんだよね~』と言っていた。

これに対して激しい同意と違和感が浮かんだ。
"同意"というのは、俺自体、大学生の頃、色んな人間と酒を飲むのが好きだった。周りの誰かが「酒、呑む?」と言えば友人、その知り合い、そのまた知り合い、なんて具合に自分の未知の人物が参加するなんて事があった。
そんな事、人たちなど気にならなかった。
一緒に酒を呑めば、もうトモダチ。
むしろ、未知の人物が来ることを望んでいた部分があった。

だが、30を越えて病気を患った今、他人と酒を呑むのが、苦痛になってきた。
酒くらい、他人の顔を見ず、己の好きに呑みたい。
みんなでワイワイと酒を酌み交わす事が嫌いになったわけではない。
酒の場に他者がいるのが苦痛になってしまった。
…そもそも、酒を酌み交わす友人などいなくなっただが。

だから、坂上忍が言っていた「知らない他人と酒を呑むが苦手…』というのが、わからなくはないのだ。
酒という、自身の"プライベート"の空間にわざわざ他人を入れる必要性を感じないのだ。

違和感の方は、これを述べているのが、"俳優"の坂上忍だという事だ。

『俳優』という仕事が具体的にどんな職業か詳しくは分からないが…。
果たして『俳優』は他人と関わりなく働ける職業なのか?
フリーランスの俺でさえ、わずかだが他人と関わりを持っている。
俺でさえそうなのだ。俳優、芸能人の飲み会などは"未知の人物"だらけではないか?
ならば、それを嫌がるのはかなり違和感がある。

これはつまり、『他者が嫌い』という事であり、『自分の知り合いでないと楽しく呑めない』、つまり『自分が一番』であり、『そうならない"集団"にはいたくない』という、極めて"内弁慶"なわがままではないか?

『俺が酒、呑むなら俺の融通が効く(わがままを言える)奴としか呑みたくない』というわけだ。

人間は物事や他者に対し、自身の"コントロール"の可否を確認したがる。
『自分が一番』でなければならない。
子供染みた話だが、世の中の『人見知り』と言われる人間の多く(俺も含め…)の根底にある資質ではないか?

他人は『自分のために存在』し、『自身がコントロールできる人間』と仲良く酒を酌み交わしたい。
それは誰でもそうだが、なかなかそんな思い通りの人間関係を構築出来るわけがない。
フリーランスの俺でも、"お付き合い"の飲み会に付き合う事がある。

一般社会でいきているなら、"非コントロール"な人間らと呑むことを拒否するのは無理がないか?

それを自分の意にそぐわない人間といる"我慢"と思うか? それとも"新しい出会いに対する期待"と思うか?

見えてしまう気がする。
そこにその人の気質。
そして、そこに人間の"元値"が見える。
他者とどんな距離を取るか?

俺も距離を取りまくっているな~。