鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

6/26 一度切りの人生

歌舞伎役者、市川海老蔵の妻、小林麻央さんが亡くなった。

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昨日からテレビで生前の様子、彼女のブログを紹介している。

その中に一つ、激しく同意できる言葉があった。

「世間の人は私が死んだらどう思うだろうか? 『まだ子供たちも若いのに可哀想に…』などというだろう。そんな風に思われたくはない。これは私の人生で、私は私のこの人生を生きる事を楽しみたい。なりたい自分になる。人生をより彩り豊かなものにする為に…。…人生は一度切りなのだ』

…のような文章だった(気がする)。

数年前、大病し、俺は全てを失った。
そんな俺には彼女の"可哀想と思われたくはない"という言葉が少しだけ、わかる気がする。

同情されて生きるのは、辛い事だ。

俺も2回目の病気の後、いろいろな人間に会ってきたが、俺の病気を知ると皆、一様に『可哀想に…』と同情された。
その度に複雑な気持ちになった。
俺は誰かに"情けを掛けられる存在"なのか?
可哀想、と同情されるのは簡単だ。
他人が"悲しい状態"に陥っていたら、誰でも『可哀想に』と思う。

だが、それが何のか?
そこから何が生まれるのか?

"同情"に期待していた時もあった。しかし、他者から貰う同情など何の役にも立たない、それに期待しても何も得ない事を俺は今、嫌と言うほど味わってきた。

今、自分の目の前に起きている事態は、自分の人生であり、自分で対処するしかないのだ。

自分の人生を自分の思うように生きるのは、自分自身だ。
他者から影響される人生(良くも悪くも)など、意味がない。
やりたい事をして、楽しむ。
悪い事をすれば怒られ、他人を攻撃すれば、喧嘩になり、時にはそんな他人と笑い合う。
それは、全て『自分が何かをする』という事に基づく。
他人の同情も、非難も、提言も聞く意義は無い。
自分の人生は自分が決めて、楽しむべきだ。

自分は自分だ。
他人の生き方を参考にしたり、憧れるのは良い。
でも、それによって生き方を変えたり、決めてはいけない。

何故なら『一度切りの人生』なのだから…。