鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

ボクシングの"闇"と興毅の優しさ

しくじり先生』の最終回に亀田親子が出ていた。

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実は以前に『さいたまスーパーアリーナ』での興毅の試合を取材(養成塾の時)した事がある。

過去にとっていた態度、あの試合の事実を反省しながら説明。

亀田父によると、

興毅らの試合前の派手なパフォーマンスは全て父からの指示だという。

あの人を舐めた喋り方や態度は、多少本人も"乗っかった"部分があるものの、父からの指示か?
それにしては本人の悪のりが過ぎた気がしたがな…。
弟、歌まで歌っていなかったか?

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そして、練習は亀田父が編み出したオリジナルの練習。
これで世界チャンピオンになれたのだから、確かに才能は凄いな…。

批判を呼んだランダエダとの世界戦。
ダウンを喫したのに勝ったから『八百長!』という批判が出ていた。
俺も見ていたが、かなり微妙だった気がする。
確かにダウンを奪われても判定で勝った試合はよくある(ホームデビジョン)。
だが、他のラウンドを興毅が取れていたかは微妙な感じがした。

しかし、再戦できっちり勝ったから、やはり興毅は強い、と認識できた。

亀田親子自体もこう思ったらしい。

『ボクシングは喧嘩だ。喧嘩は勝ったヤツが一番偉い』

これは半分合っているが、半分は間違っていると思う。
確かに『勝ったヤツが一番偉い』は正しい感覚だと思う。
勝利は純然たる事実であり、勝利は何よりも優先されて然るべきだ。
だから、勝利は偉い。

スポーツの試合で『凄く頑張って、相手を圧倒。華麗な技を出しまくった』としても負けたら意味がない。
『やられまくり、相手に押し込まれ、ダサい展開連発。負けそうだったり』したが、勝てば、それは勝者だ。
勝ち方云々は別の話ではないか?

勝てば、勝った分を得られる。
だから、勝者は偉い。

それって、社会の正しい形ではないか?
この世の当然の論理では?

近年、やたらと『勝者』が正当に評価されない事が多くあるように感じる。
『勝ったヤツが一番偉い』は当たり前で批判されるべき考えではない。
亀田家の理論は、そこの部分は合っている、と思う。
勝つために戦っているからだ。

勝って歌を歌おうが、戦い前に対戦相手を罵倒しようが、全ては全てを得る"勝利"の為だ。
俺は、そういう意味では、亀田興毅らのパフォーマンスが嫌いではなかった。

ただ、『ボクシングは喧嘩』ではない。
絶対に違う。
スポーツにはルールがあり、ルールがあるからスポーツだ。
喧嘩だ、という気持ちで臨むのは構わないが、本当に喧嘩してはいけない。
喧嘩はルールがない。
ならば、そこらの野原や繁華街でやればいい。(…たぶん捕まるけど)
そんなものに金を払うだけの価値は無い。

しかも、この亀田父がいけないのは…

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テレビに出て、ぶちギレ。
やくみつるに喧嘩をふっかけていた。
これは完全に"スポーツ"の範疇を越えた行為。
家族がバカにされたと、頭に来るのは分かるが、あんなヤ○ザまがいの口調はいけない。


しかし、もっと俺が気になっていたことがある。

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次男、大毅の内藤戦での反則指示。
亀田父は『勝ちたい気持ちが強かった』というが、この"ボディに見せかけの下腹部への打撃"は、ボクシングの試合では比較的よくある事と、聞いたことがある。
もちろん反則であり、狙ってやっている奴に勝者の資格は無い。

だが、ボクシング界の"暗黙"としてこの下腹部打ちがあったのでは?
俺はそう思っている。
だが、それは反則。
よく息子に反則を指示したな。その一事を見ても、その後の批判は当たり前だと思う。

そこら辺を言って欲しかったなぁ。

後、当の興毅が以外と冷静で親父より"大人"だったのが、素晴らしい。
また、家族想いの良い奴に見えた。

俺が過去にスーパーアリーナで、入場の時に入場口の上から興毅を見ていた。

その時、興毅は入場口の直前で振り返り、家族が後ろから来るのを何回か確認していたな。