鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

日明

1984年の~』の中で前田日明は結構批判されている。
『佐山(スーパータイガー)の"シューティング・プロレス"(格闘技っぽく見えるプロレス)を嫌っていたのに、その理念やキック用のレガースなんかをパクってシューティング・プロレスを第2次UWFでやっていた』
『団体(第2次UWF)のエースでありながら、練習をサボり、コンディションも整えずに試合をした』
『そもそもプロレスが下手で、観客を興奮させる試合が出来ない』
…などだ。

第2次UWFがそんなに儲かってないと説明されても納得しない。とんでもない石頭、わからず屋。

また、そんな前田は若手達から嫌われ、第2次の解散で1人ぼっちになってしまった。


しかし、前田日明はそこまで批判される存在なのか?

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俺は、第1次UWFの時にゴッチに諭され、後から加わったスーパータイガー(佐山)に団体の"エースの座"を譲った事に注目した。
プロレスが"あらかじめ勝敗が決まっている"闘いである以上、それは敗者が"敗者になること"を受け入れて、初めて成立する。
スーパータイガーに"エース"を譲ると言うことは、前田日明は己の"負け"を受け入れたという事だ。
なかなか出来る話ではない。
20代の血気盛んな男子が、団体存続の為、後から加わった奴に"負け"る。
せっかく新日本という枠から飛び出し、"自分が一番"という立場を得たのに…。それを手放したのだ。
これが40越えたロートルレスラーならわかる。
まだ若い前田には『自分こそが、この(UWF)のエースでありたい』と思えなかったのか?

事実、前田はスーパータイガーにエースの座を譲り、主導権まで譲った。スーパータイガーの佐山はUWFを"真剣勝負"の格闘技集団に変えるべく、シューティング・プロレス(格闘技っぽく見えるプロレス)路線を推し進めた。

もし、あの時前田がゴッチからの提案を拒否していたら、佐山の"シューティング・プロレス"は頓挫し、UWFは『古くさいプロレスを見せる新日の"デットコピー"なプロレス団体』と見られ、早晩、潰れていたかもしれない。
第1次が無ければ、当然第2次も無く、その後のUインター、リングス、藤原組、パンクラスの"U系団体"もこの世には生まれておらず、2,000年代前半の総合格闘技ブームは来ていただろうか?

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今、MMA(総合格闘技)の試合を見ていると、よく"膠着"状態を目にする。
選手同士が揉み合い、密着し、動かなくなる状態だ。
『ぐちゃぐちゃして分かり辛い』と思うかもしれないが、実はこの"膠着状態"が、ここから先の展開を予想するのに非常に大事なシーンで、『さあ、どうする?』というMMA観戦には欠かせないポイントだ。

この"膠着"の見方を"覚えさせて"くれたのは、確実にUWF及び、そこから派生した"U系団体"のおかげだ。
特に前田1人で立ち上げたリングスは、外国人選手の戦いが多く、今のMMAに近い形だった。
あれを見ていたから、今、我々はRAIZNとかUFCを見ることが出来ると思う。
以前、前田日明kaminogeで、『PRIDもUFCも全部UWFで先に俺らが見せていたから、認知された』というような事を話していたが、その通りだ。

実際、リングスは"リアル"と"プロレス"が混在していたらしいが、俺が友達の家のWOWOWで見ていた19年代後半はほとんど"プロレス"であったらしい。
(ウァンの試合はガチに見えたなぁ)

それでも、そんな"格闘技っぽく見えるプロレス"を見ていたから、今の俺は膠着するMMAの"リアル"の試合を楽しんで見ることが出来る。

だから、前田日明の功績は計りしれない。
もし、前田が佐山(スーパータイガー)にエースの座を渡していなかったら、その後の日本格闘技界はかなり遅れていた可能性がないだろうか?

では、何故前田はUWFのエースの座、そして主導権を佐山に譲れたのか?
そして何故、嫌われたのか?

ここからは俺の勝手な想像だが、前田日明という人間は物凄く"仲間思い"で仲間に頼ってしまう人間ではないか?

つまり、
仲間であるUWFが儲かるためには、新日本でスターだった佐山(スーパータイガー)にエースの座を譲るべきだ。

みんな仲間だから、分け隔てなく"プロレス"が出来る。

仲間だから、多少キツめに当たっても大丈夫。

仲間だから、俺の言うことは聞くはず。

だって、仲間やろ?

第2次UWFで、神(新二)らの不正経理を追求したのも、仲間(ここではレスラー)のためだ。

仲間を損させる奴等は許さへん!

…こんな理屈ではないだろうか?
自身から見れば、それは大事な"仲間"。
しかし、相手からすれば、いつも偉そうにしてくる"勘違い"な奴。
仲間を思えば思うほど、前田は仲間から孤立する。
仲間の為に自分を犠牲にしたが、その為にまた仲間から避けられる。
おかしくて、悲しい人間だが、そんな人ってよくいないか?
俺の出会った人間、いや、俺自身もそうかもしれない。

前田からすれば、『1984年の~』は「事実誤認のオンパレード」らしい。

確かに、この本の中の前田日明という人間の見方は"一面"過ぎる気がする。
人よがりで、わからず屋…、UWFブームに乗ってはしゃいでいた男。
実際は"思い込み"で嫌われ、佐山の思想をパクった。
第2次UWFをまるで、リアルファイト(真剣勝負)のプロレス団体に見せかけた…。

しかし、俺は前田日明を恨めないのだ。
前田がいたから、今の俺、及び日本総合格闘技界がある気がしてならないのだ。


実は以前、俺が大阪の大学に通っていた時、学園祭に前田が講演会に来た事があった。
もちろん友人と出掛けて、"キャプチュード"に乗って入場してきた前田の肩をバンバン叩いた(講演会だよ…)。

※前田の着ていた革のジャケット、カッコ良かったなー。

そんな前田は開口一番、
「佐竹(雅明)に女の子を紹介したら、『君、○○○ー、したことある?』って聞きやがってさ…」
と、いきなり下ネタをブッ込んで会場の空気を騒然とさせていた。
当時はリングスの"最晩年"でKOKトーナメントの話なんかしていたな。
ただ、途中には、
『ジョニー・バレンタインって○○だったよ』なんて言っても、また会場をざわつかせていたな~。

そういう"トンぱち"なあたりも含め、俺は前田日明が大好きだ。
どうしても悪く思えないのだ。

☆続く