鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

猪木の魔力

今から7、8年前だろうか?
猪木が俺の地元にやって来た事がある。当時、猪木をメインキャラクターにしたパチスロ機が流行っていて、地元のパチンコ屋に営業に来たのだ。
行こう、と思ったがその日は平日であり、しかも、その時に働いていた編集社の入稿締め切りの日だった。
とても行けない。有給なども使えない。
俺はあっさり猪木より、仕事を選んだ。

何故、プロレスファンなら誰でも知っている"神"のごとき存在のアントニオ猪木を見に行かなかったのか?

それは、俺がプロレスファンだが、決して"猪木信者"ではなかったからだ。
俺がプロレスを見初めた1992年頃、猪木は引退こそしていなかったが、既に一線を退き、『キャリアアウト』な状態だった。
俺は、いわゆる"金曜8時"のゴールデンタイムのプロレス黄金期(80年代中場?)を知らない。
プロレスも、猪木も知っていたが、熱狂までは知らなかった。
ファンの方には申し訳ないが、その時(中学生)の俺から見ると、"終わった"レスラーだった。
俺が熱狂したのは、三銃士たちの激しい戦いや、四天王の限界点を越えた超絶な戦い、U系団体のシリアスなシューティング・プロレス(パンクラスはガチ)であった。

だが、プロレスにのめり込み、Uインターに熱い視線を注ぎ、それが"格闘技っぽく見えるプロレス"だとわかり、さらに2000年初めの総合格闘技ブームにハマり、その後の潮が引くような減退を見て、またプロレスの方に比重を置き始め、『プロレスとは筋書きのある闘い』と世間が認め出すと、猪木の"凄さ"が分かる。

プロレスファンなら誰しも「プロレスって八百長だろ?」という侮蔑や差別的な発言、指摘を受ける。
「そんな事はない!」と言いたいが、リングの中で行われている事を見れば、それは限りなく"お芝居"に近く見える。
ここにプロレスファンが誰も感じてしまうストレスがある。
誰も自分が信じていたものが、"まやかし"だとは信じたくはない。

俺もそうだ。
Uインターの戦いに疑問を感じても、「この人達は、本当は強い。仕方なく"プロレス"をしているんだな」と"勝手に"ねじ曲げて捉えていたのは、それだ。

そこを猪木は見事突いた。
リングで『異種格闘技戦』をやることで、『プロレスラーは強い、だからプロレスは真剣勝負をしている』と世間に思わせた。
それは、『プロレスこそ最強、猪木こそ最強』という"信者"を作った。

そりゃ、ブームになるよ。

だが、その異種格闘技戦の多くは、"プロレス"だったことは、ここ数年バラされてきている。

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猪木の見せていた最強は"まやかし"ではあったが、それはまさに"魔力"ではないか?
『結局、誰が一番強いの?』という永遠に出ない答えを猪木が『見せてくれるかも?』という期待だ。

もし、俺が80年代の黄金期の猪木を見いたらて、"猪木信者"になっていたか?

何にでも感化され易い俺はたちまち"信者"になっていた気がする。

元来、プロレスにハマったのも、プロレスというジャンルが中学、高校の運動部には無く、ただ知識を仕入れておけば良かったからだ。
勉強も運動も大して得意ではない俺にとって、プロレスラーがリングで見せる戦いは、"俺のため"の物に見えた。
だから「八百長だろ?」の批判にはUインターのシューティング・プロレス(Uスタイルとも言って良いか?)がある、と主張すれば、良かった。

そんな俺が猪木の"魔力"に魅いられない訳がない。
すぐに『猪木最強!』と言っていた気がする。
(時間的なズレで言えば、猪木の異種格闘技戦が、俺にとっては"Uスタイル"だったのかも?)

では、猪木信者になっていた俺は、その後、90年代に起こったプロレス団体興隆期を楽しめただろうか?

きっと猪木のプロレスしか認めずない、かなり偏重なプロレスファンになっていたと思う。
「猪木のプロレスこそが正しい。後は、全てまがい物だ!」と、プロレスが"あらかじめ勝敗の決まっている戦い"と理解しても、他のプロレスを認めていなかったと思う。

つまり…
全日の四天王の人間を越えた激闘にも感動せず、ハンセンのラリアットにも歓声を上げない。
『馳・武藤vsスタイナーブラザース』の激闘にも驚愕せず、蝶野のNWOにカッコ良さも感じない。
末期のFMWに楽しさを感じる事も無く、地元に来たIWAを見に行ってグレート小鹿とリングの撤収をすることもなかった。
格闘技の匂いがして、猪木の"魔力"に似たUインターなどにはハマるかもしれないが、彼らが"プロレス"と分かれば、「騙された!」とキレて、もう格闘技自体を見なくなった可能性すらある。

1984年の~』では、新日にUターンした前田がファンから猪木の"後継者"と目され、期待されたらしい。
皆、前田に猪木の"幻影"を見たらしい。

俺も猪木信者から"前田信者"になっていた可能性が高いと思う。
(ちなみに有吉は元・前田信者らしい…)
そして、前田のリングスが"プロレス"と分かったら、相当落ち込んでいたかも?
(リングスの後期らほとんど"プロレス"だったらしいが、俺にはわからなかった)
前田日明に、"猪木"や"最強"を"見い出さなかった"俺は、リングスと前田がくれた『プロレスから総合格闘技へのスムーズな移行(夢枕獏』を受け入れる事が出来て、そして、今も前田日明が大好きだ。

猪木信者ではなかった俺が受けた恩恵はかなり大きい。
俺の人生が変わっていたかもしれない。
猪木の魔力に囚われた俺は、他者の多様性を認めない愚かな人間になっていたかも?

ある芸術家が言っていた。
『文化は、一つの在り方、考え、思想が多様化して、文化になる。多様性を認めない社会に文化は根付かない』

つまり、愉しくない、という事だ。

確かにそうだ。
格闘技っぽく見えるプロレスもプロレス。
電流爆破されるのもプロレス。
リングで飛んだり跳ねたりするのもプロレス。
リング内の揉め事を、何故かリング内でやるのもプロレスだ。

皆、同じ範疇で行われている事なのだ。
『プロレスなんだから、なんでもアリ』と認めたら、『プロレスって、こうだろ!』と思い込むより、愉しく豊かに見ることができる。
格闘技っぽく見えるプロレスも、『騙された!』と思わず『それもプロレス』と思えば、緊張感があって、愉しく見れたプロレスだ。
"枠"など、こちらからとってしまえば良いのだ。

Uインターが"プロレスしかしていない"と分かった後(10・9)も、俺がプロレスを見続けていたのは(だいぶ総合格闘技の方に寄っていたが…)、猪木の魔力を知らず、心のどこかで『まあ、面白ければ良いか?』と思っていたからではないだろうか?

総合格闘技ブームが終焉し、俺はシラっと"プロレスフ寄り"に戻った。
(また最近、総合格闘技は復興しそうだが…)

そして、『格闘技とプロレス、好きな方を選択して楽しめば良いではないか?』と思うようになった。

猪木は別に好きでも嫌いでもなく、夢中になっていたUインターらU系団体に恨みもない。MMAの試合のたまに見せる退屈さは、"Uスタイル"で見慣れているから退屈とは思わない。

今も、時折読む猪木の談話や話は、実のところよくわからない。
何だか、話全てが騙されている気がしてくる。 (UWFの遠因となったアントン・ハイセルの話を聞いていると特に…

ま、それを含め、魔力なのかもしれない。

10年前、猪木はIGFというプロレス団体を作った。(今は揉めているが…)
立ち上げ当初、アーツやバンナなどベテラン格闘家がリングに上がり、プロレスをしていた。
これは要するに、小難しい話抜きで
「ほら、プロレスって見ていて愉しいだろ?」という猪木からの投げ掛けではないか?

猪木の魔力の根底にあるのは、『プロレスは最強だ』では無く、ただ『プロレスって最高に愉しい』ではないのかな?


☆続く