鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

I am プロレスラー

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高田延彦がPRIDEに出ていた時(引退間近)、彼のキャッチコピーは『I am プロレスラー』だった(と思う)。

俺はこの言葉に笑った。
武藤に"プロレス"で負け、天龍て"プロレス"で闘い、ヒクソンに二回も負けた男。かつては『最強』を名乗っていた男が、最後の最後に行き着いたのが、『プロレスラー』である。
『10・9』で、Uインターがプロレスと分かって、だいぶその熱が引いた俺だったが、依然として"プロレスファン"ではいた。
しかし、その後、選挙に出たり、"プロレス"やってみたり、総合格闘技に出たりする高田には若干冷めた感覚を持っていた。
「嘘つき!」とは思わないが、『かつては"最強"なんて言いながら…』と思っていた。

そんな高田延彦の事でわからない事があった。

"第2次"UWFで前田日明がフロントと揉めた後、選手たち(藤原以外)が前田のマンションに集まった。
前田が選手だけで、「新しく団体をやろう。WOWOWから資金提供の話が来ている」と提案した。
これに対し、高田は、『若手の宮戸、安生らが前田に日頃の不満をぶつけ、船木が反抗して、UWFは解散した』と述べている。
プロレス界ではよく知られたエピソードだ。

この時、高田は「反抗する若手らと尊敬する先輩の前田の"板挟み"になり、何も言えなかった」という。すると、船木が「僕らだけでやりましょうよ」と言ったて、それを受け、高田は前田に「…じゃ、そういう事なんで」と告げて、UWFは分裂した。
高田は自伝『泣き虫』の中でも述べている。

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俺も当初は『そんな事があったのか…』と思っていたが、冷静に考えるとおかしくないか?

目の前に自分の先輩がいて、そこに後輩が反抗し始めた。
ならば、高田は「お前ら前田に何言ってんだ!」と嗜めたり、「前田さん、こいつらの気持ちも汲んで上げてください」と後輩を擁護して仲を取り持とうとするのが、普通ではないか?
それが、船木の「僕らだけで…」という言葉に"その場"で乗っかり前田に「…そういう事なんで」と別れを告げる。
そんな事はかなり考えにくくないか?

そんな疑問をずっと思っていたら、以前のkaminoge前田日明のインタビューで船木らの反抗、UWFの分裂を高田は事前に「知っていたはず」と述べた。
もし、高田がそうなる事を分かって、前田のマンションに来ていたら、そこを、世話になった先輩への"背信行為"を、"後輩"という言い訳を使って正当化する為の"舞台"にしたのではないのか?

高田はかなり"ズルい奴"では?

kaminogeの安生と船木の対談の中でも、船木が「俺、あの時に反抗しましたっけ?」と安生に聞き、安生は「いや、むしろ(前田に)従っていたような…」と回想している。

だが、高田(山崎一夫もだが…)は船木が『僕らだけで…』と発見したと言う。
船木は言っていない、と言う。
どちらが嘘をついているのか?
…いや、記憶の混同ではないか?

高田にはそんな風に"記憶"する理由があったのだ。

1984年のUWF』の中にその答えがあった。
前田のマンションで話し合いがもたれる前に、東京目黒の雀荘で"1回目"の話し合いがあったのだ。
その場で宮戸がかなり反抗的な様子だったらしい。
そして前田のマンションで"2回目"の話し合いになって、UWFの分裂は決定的になった。
この1回目と2回目の間に宮戸ら若手と高田が接触しない事などあり得るか?

宮戸『高田さん…、僕ら、もう前田の下ではやって行けません』
高田『…そうか』
宮戸『前田さん抜きで、新団体やりませんか? …船木らも来ますんで』

…そんな話の流れにならないだろうか?
だから、高田は2回目の話し合いで『船木が「僕らだけで…」と言いだした』と、誤って記憶したのではないか?

つまり、前田のマンションで話し合いを行う前にUWFは"終わって"いたのだ。

高田はその後、宮戸ら若手と新団体『UWFインターナショナル(Uインター)』を立ち上げた。
俺が"UWF幻想"を抱くのは、このすぐ後の事である。


だが、高田が事前に新団体構想を知っていた、となると、また謎が現れる。

何故、高田は若手らの立ち上げる新団体に参加を決めたのか?

おそらく新団体の話になった時点では、そこに船木が参加する事になっていたと思う。
当時、船木は第2次UWFの"スター候補"である。
前も書いたがUWFは『格闘技っぽく見えるプロレス』である。
プロレスである以上、そこにはストーリーと格が存在する。

スター候補のいる団体に加わるのだ。
高田は実際には船木の"対抗馬"、"仇役"としてしか立場が無く、下手したら"三番手"扱いさえ、あり得る。

そんな"マイナス"を何故、高田は受け入れる覚悟があったのか?
金のためか?
違う気がするのだ。
高田は『泣き虫』の中で、「淡々と試合をこなす"サラリーマンレスラー"が嫌だ」と述べている。
前田の方にはWOWOWから資金提供の話が来ていて、藤原にはメガネスーパーが資本を出すSWSから参加の打診が来ていた。
若手だけの新団体に金の匂いはしない。
下手すれば、すぐダメになる可能性すらあるのは目に見えている。

金銭的な事だけを言えば、新団体が一番ヤバいはずだ。

では、何故、高田はそこに参加し、『Uインター』を立ち上げたのか?
社長にまで祭り上げられている。

ここからは、また俺の勝手な想像だが、高田もまた前田同様、温かな気持ちの持ち主ではなかったのか?

自分の大好きな先輩の前田を嫌って、自分たちでやろうとする後輩が見捨てられなかった。
前田は慕っていたが、明らかに"危ない"選択肢をした後輩らを放って置けなかった。

高田の言う"板挟み"は本当の事だったのだ。

結局、Uインターに船木は来なくて、高田が一人引っ張る団体になってしまった。(それはそれでOKか?)
高田としては(あれ?)と思っていたのでは?

つまり、俺が『この人は最強だ!』と熱っぽく見ていた頃、
当の高田延彦は、その時、内心『こんなはずでは…』と思っていたのではないか?

『新団体で船木をスターにして、自分は二番手、三番手になる』

それが高田の"希望"ではなかったのだろうか?

結末を決めて、それに向かって闘う。

それって、まさに、"プロレスラー"である。

ならば、PRIDEのリングに上がる高田のキャッチコピー『I am プロレスラー』とはその通りの言葉だ。
高田延彦は、多少道を違えたが、ずっと"プロレスラー"だったのだ。

今、RAZINで解説者として「出てこいや!👍」などと叫ぶ彼を見ていると、そんな事を思って見ている。

高田としたら、予想通りには行かなかったが、なかなか良い人生を送っているのではないか?

また、kaminogeの『変態座談会』で金原弘光が「Uインターの時に一番強かったのは高田さん」と言っていたのが嬉しいのは、やはり俺が"高田信者"だったからかな?