鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

俺と幻想

読みかけの『1984年のUWF』を見ているうちに、過去のUWF関連のプロレス本を読み返してたくなってしまった。自宅の本棚の漁って、読み返した。
(UWF以外の本もあったが…)

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そんな一連の書籍を読み終えて思うのだが、プロレス本はとにかく能書きが長い。
『あの試合のプロレス界に置ける影響は~』とか『あの団体の存在の在り方が~だから…』やら『あの選手が求める闘いは~だ』など、一つの事象、団体、個人を捉えてはいちいち分析したがる。読んでいて分かりにくい。疲れる。抽象的で尚且つ、プロレス用語も使っているから、分かりにくい。(例…セメント)

プロレスは単純に『面白い/面白くない』の"二極論"で良いのでは?

…とか言いながら、俺もここまでダラダラとUWFへの思い入れと解釈(講釈)を書いてしまった。
…人の事は言えないなあ。
これは、プロレスに限った事ではなく、何でも、人は深読みや意味付けをしたがる。その業界用語を使って理解したがる。
己が『一番の理解者だ』と言いたがるよな。

『リアルワン』ってやつか?

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俺も好きなプロレス用語がある。
それは"幻想"という言葉だ。
猪木幻想、UWF幻想、前田幻想…などプロレス界には様々な考えに基づいてファンが勝手に抱く"幻想"がある。
(俺は『Uインター幻想』を見ていた?)

幻想は非常に便利な言葉だ。
例えば、幻想を『嘘』と意味付けしよう。
もし、その『嘘』が嘘とバレても、現実と嘘の"差"がまた観る者を楽しくしてくれる。(UWF幻想)
もし、嘘ではなかったら?
それは喜ぶべき、"現実"の出現だ。

どちらに転んでも、悪い想いはしないのだ。

だが、幻想を『夢』や『期待』と意味付けしたらどうか?

俺も昔は自分に期待していた。
『20代で結婚して、嫁さんと子供に囲まれた温かな家族を持って、そこそこ稼いで、両親を安心させている』

そんな自分の幻想を描いていた。
だが、現実は違った。

39で未だに未婚、嫁さんなど姿形もなく、両親には迷惑ばかりかけている。

まさに幻想は"幻想"だ。
ここ数日、プロレス関連の書籍を読み返して、俺の気持ちは激しく落ち込んでしまった。
Uインター幻想から覚めさせられた時より、遥かに凹んだ。

俺の前にあるのは、子供の頃に抱いた温かな幻想ではなく、寒々しい現実だ。

人は幻想を抱いて生きてはいけるが、幻想の中を生きてはいけない。

俺は今、揺れている。
自分の抱いていた幻想を進むべきか、現実を進むべきか、迷いが生まれている。
温かな"幻想"は、まだ叶える事の出来る"現実"なのだろうか?
いや、幻想はやはり幻想でしかないのか?

泣きたくなりそうな思いで、今までの自分を振り返っている。
一度、はっきりさせる時が来たな。