俺とみっちーは幼稚園からの付き合いだった。
小学校を通して仲良く、よく遊んだが、この"無所属"時代が一番よく遊んだ。
みっちーの近所のグループに入れさせてもらったりした。
この近所のグループはとても面白く、"よそ者"の俺にもとても優しかった。
俺は、今でもこの時の記憶が"楽しさ"として残っている。
自転車レースでクラッシュした事。
野原で二手に別れてBB弾を撃ち合った事。
じゃんけんで負けた奴を公園の砂場に"縦"に埋めた事。
『ミニ四駆』を俺に教えてくれたのは彼だ。
またみっちーの家で読む『こち亀』は面白かった。
今からすれば、少し問題になるような事もやっていたなぁ。
みっちーとの"この時期"の記憶は楽しいものばかりだ。
だが、分からないこともあった。
みっちーは何故か、弟とその年下の友達とよく遊んでいた。
俺にも弟がいたし、遊んだ事はある。
しかし、それは小学校低学年までだ。
小4ともなれば、もう遊ばなくなるのが普通だ。
だが、みっちーはよく遊んでいた。
みっちーを"リーダー"に4、5人の年下のグループを率いていた。(近所グループの"下部組織"のようだった)
俺もそれに加わってはいたが、いつも不思議だった。
何故、みっちーは年下とよく遊ぶのか?
弟思い?
その理由は俺が小5になり、"無所属"ではなくなってから分かる。
みっちーは自分の"居場所"が欲しかったのだ。
それも、『自分が"王様"でいられる』場所だ。
みっちーは、スポーツは苦手、勉強も好きでは無い。かといって腕力や同級生を率いるような人望も無かった。
…俺もだが。
だが、自分は『強者でありたい』と思っていたに違いない。
誰かに遠慮して、遊びたくない。
自分のしたいことを、したい奴等と慕い。
誰にも文句は言われたくない。
だから、年下ばかりと付き合っていたのだ。
そこにいたら、みっちーは"強者"でいられる。自分が"王様"だ。
誰にも遠慮はいらない。
他のグループに行ったら、"下"から数えた方が早い"順序"だが、そこ(弟たちなのグループ)なら、一位だ。
自分の意志が何よりも優勢されて、自分だけが勝ち続けられる"夢のような"居場所だ。
みっちーは分かっていたのだ。
自分が小学校、社会の中で、どのくらいの位置にいるかを。
分かっていたから、"あえて"、そこには加わらず、自分の"世界"から出なかったのだ。
それに気づいた時に、俺はまたみっちーを「凄い」と思った。
あの歳で自分を"分かっている"のだ。
そんなみっちーを、また軽く尊敬した。
俺もそうしとけば良かった、と思ったが、そこまでの"勇気"はたぶん無いと思えた。
みっちーの"世界"には、自分への期待を切り離す"勇気"が必要だった。
中学になると、彼と遊ぶ機会は減って行って、他の"無所属"時代の友達同様、疎遠になった。
廊下で会って、軽く挨拶する程度の仲になった。
その頃、みっちーが他の"強者"から使い走りのような事をやらされていたのを見たりした。
その後、俺は高校に進み、みっちーは調理系の専門学校に進んだ。
そして、何故か、正月にはおかしな年賀状を俺に送ってきたりした。
他の"友達"とは違い、彼との仲はそのまま進んだのだ。
俺は、それを"友情"と認識していたが、それは少し違った。
★続く