鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2/3 基準

昨夜、帰宅後に久々にテレ静の『ダウンタウンなう』を観た。

ダウンタウン、というと強烈な思い出される友人がいる。
高校の頃に仲が良かった"ニシムラ"(仮名)だ。
彼は熱烈な"ダウンタウン"ファンだった。

…実のところ、俺がダウンタウンを認識したのはかなり遅い。
高校一年か、二年頃だったと思う。

決して嫌いなわけではなく、以前から知っていた。
だが、ニシムラの見ていた日曜8時の『ごっつええ…』はあまり観た事がなく、日テレの『たけしの元気が出るテレビ』派だった。
ガキの使い…』は中学生の頃から知っていたが、日曜深夜はこれまた日テレの『全日本プロレス中継』を観るため、早寝をしていた。
当時、自宅にはビデオデッキがあったが、それはテレ朝の『ワールドプロレスリング』と『リングの魂』を録画する為にあり、俺の頭にダウンタウンの番組を録画するという方向が無かった。
(人気なのは知っていたけど…)


そのニシムラがある日、俺や周囲に「サブい!」という言葉を使い出した。
ダウンタウンの松ちゃんが言い始めたらしい。
始めは意味が分からず、それをキッカケに『ガキの使い』を観始めたのが、俺の"ダウンタウン・デビュー"である。

すぐに『サブい』=『つまらない』であると理解出来た。

だが、ニシムラの使い方はおかしかった。

例えば、昼休み。
ニシムラが『購買にメシ、買いに行こう』と誘う。
その日、たまたま弁当を持ってきた俺は「俺、今日は弁当だからパス」と断ると、すかさず『サブい!』。

また、放課後に誘われて断ると、また『サブい!』。

どうも彼は『サブい』を『つまらない』という意味で使わず、己れの嫌悪感や納得いってない『ムカつく!』に近い感覚で使っているようだった。

さらに、そう発する時のニシムラは関西出身でも無いのに、大阪弁を使った。
「お前、サブいわ」
「なんでやねん」
「何、言うてんねん」など…。

俺は度々と「『サブい』ってそういう意味じゃないだろ?」とか、「お前、関西出身じゃないだろ?」と指摘した。
だか、そう言われたニシムラは何が面白いのか、ニヤニヤ笑うばかりだった。

…今から思えば、彼は自分の好きなダウンタウンのマネをしたかったのだ。
それが『面白い!』と確信していたのだろう。
それだけ、ダウンタウンの人気が凄かったとも言える。

そこで俺が対抗して言い始めたのが、

『しょっぱい!』

である。
相撲から発生した隠語で、プロレスで試合がつまらない時に揶揄する言葉だ。
『お前、下手だなぁ』というニュアンスで使われていた。
ニシムラが「お前、サブっ!」というと、返す刀で俺は「お前こそ、しょっぱいじゃねぇか!」と言う。

…今から思えば、かなり不毛なやり取りだ。
他にも『アスクヒム!』(他の奴に聞け)や、「ケッフェッイ!」(黙れ!or秘密だ)などを使っていた。
もちろん、ニシムラがその意味を知るわけがない。
「何だ、それ?」とよく聞かれた。
その度に俺はプロレス隠語を教えたが、彼は特に興味を示さなかった。

すると、ニシムラは俺の前で『サブい』を使わなくなっていった。
ダウンタウンに飽きたわけではなかった。月曜日になると、前の日に観た『ごっつええ…』の話題をしていた。
ただ俺には『ダウンタウン』の"笑い"が通じない、と思って諦めたようだ。

何故、ニシムラは『サブい』を連発していたのか?(本来の意味を越えて…)

俺は、ニシムラが『ダウンタウンこそ、俺たちの笑い"基準"だ』と思ったからではないか?

確かにダウンタウンは当時、今以上に大人気だった。みんな観ていたし、面白かった。"スター"だろう。
静岡の一地方都市に住む俺がそう思うのだから、周囲が真似したくなるのは当たり前だ。

真似は基準を生む。
ダウンタウンっぽくあるか、ないか』が笑いの"価値基準"になる。
ならば、自身の言葉を"ダウンタウンっぽく"したくなるのは分かる気がする。
ニシムラにはそれが『正しい基準』なのだ。

『個人的な基準だが、人気なのだから周囲は認めてくれるはずだ。分かるはずだ』

そんな思い込み…。

こうした"基準"を持っている人は世の中にたくさんいないか?

以前、好きだった女性エッセイストがテレビで語っているのを観た事がある。
彼女の基準は『人間は"モテ"か、"非モテ"か』だった。
つまり、異性から好かれるか、否かが全ての判断基準だった。

正直、意味が分からなかった。

確かに異性にはモテたい。
だが、それを基準に生きていけない。

それからそのエッセイストが嫌いになった。
(なんて矮小な価値観をしているんだ…)と馬鹿馬鹿しく思った。

だが、よく考えてみたら俺にも"基準は"ある。
それは『物事は"プロレス"か、否か』である。

俺は"プロレス的な在り方"、"プロレス的な匂いのするもの"を是とする性質がある。
『人生はプロレスだ』と思う事もある。

だから、私の価値基準は"プロレス"だ。

ニシムラに対し、プロレス用語で返していたようにプロレスを"基準"に生きている。
プロレス的でないものは、あまり好きではない。(否定しないけどね)

そうして生きている自分は幸せだし、満足だ。
これからもこの基準は変わらないんだろうなぁ

事実、今も仕事仲間に『やってやるって!』(越中のマネ)をし続けて顰蹙を買っている。
それで良いんだ…。

そんな思いで『ダウンタウンなう』を観ていた。