鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2/23 真実を疑え…。

先日、"カリスマ"の話で『歴史上の人物の実状は違うのでさないか?』と書いた。
今我々が見聞きする偉人や伝記の人物は、本当にそんな人物だったのか?
俺は凄く疑問を持っている。

プロレス的な感覚すれば、それは幾分ショーアップされているとは思うが、中には真逆とまで変えられたり、思想や心情の機微が巧く伝わっていない(意図的に?)人物もいないだろうか?
変えられた"真実"がそのまま実状だと思われていないか?

ざっと、思い付くまで書いてみると…。

伊藤博文
★初代内閣総理大臣
日本の拡大政策を牽引し、併合した韓国の総督になったが、暗殺された。
吉田松陰の門下生。

⬇(真実は…)

総理大臣就任は他に適当な人物が見当たらなかったからと、古株の彼でないと、民権派が納得しなかった。
日本の実力と列強諸外国の差を痛感し、その拡大政策にはかなり慎重。
刺激しないことが外交の信条。
ゆえに、韓国併合には反対だったが、日露戦争勝利で日本の実力を過信した陸軍や、国民世論に逆らえず、総督を引き受けた。かなり嫌々の就任。

ちなみに、吉田松陰松下村塾寺子屋ぐらいの認識だった。


西郷隆盛
★維新の三桀の一人。倒幕を推し進め、維新で新しい日本の世を常に意識していた。
維新後、征韓論で新政府を追われ、困窮する士族を見捨てる事ができず、鹿児島で反乱を起こす。

⬇(事実は…)

倒幕、維新の計画は旧主、島津斉彬からの受け売り。
本人は維新回天のような壮大な気質は無かった。ただ、その並外れた包容力と他者の哀しみを捨て置けない性格から不平士族の旗頭に推される。
本人は単身で韓国に乗り込み(山岡鉄舟の真似)、殺害される事で韓国との間に戦端を開き、開国させて日本と同盟させるつもりだった(これも斉彬の策)
下野後は、鹿児島で帰農するつもりだったが、士族が暴走し、県を"籠城化"してしまい、暴発。また担がれてその首領になり、自刃。

ちなみに上野の銅像のように太ってきたのは明治以降。その前はちょうど大河の鈴木亮平のように筋骨の逞しい体つきだった。

吉田松陰
★幕末、長州藩の思想家。松下村塾を運営し、尊王攘夷の思想を教え、倒幕の原動力となる志士を多く育てた。

⬇(真実は)

本来は軍学者
陽明学の一思想、"革命"を夢想する。
外国技術には大いに興味があり、それを吸収して国を富国強兵させるべきと思っていた。
松下村塾の生徒は、生徒とは思わず、自分の協力者と思っていた。


坂本龍馬
★維新の功労者。
いがみあっていた薩摩と長州を結ばせる。
維新後は、政治には参加せず日本初の株式会社、海援隊で商売をするつもりだった。

⬇(真実は)

ほとんど無名な存在。
元来商売人気質であり、幕府と薩摩、長州の間をうまく立ち回り、自分の商売を大きくしたかっただけ。
薩長同盟は盟友(そこまで仲良くは無かったが…)、中岡慎太郎のおかげ。

徳川慶喜
江戸幕府最後の将軍。
最後までその責任を全うし、極力武力、衝突をさけた。

⬇(真実は)

徳川"家"には責任を持っていたが、徳川"幕府"には何の思い入れもない。
将軍就任は父・斉昭ら藩の悲願であるから、仕方なく就いた。
以前から徳川幕府の統治能力に限界を感じていて、新しい統治機構の出現を見越していた。つまり、徳川幕府の"延長"を考えていた。
その機構の首領に自分や徳川"家"がなることを画策。
新政府との多少の戦闘を想定していた。

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大石蔵之助
赤穂藩の家老。赤穂浪士を指揮し、亡き主君の仇、吉良上野介を討つ。

⬇(真実は)

朱子学の危険思想、陽明学の『革命』を実施してみたかったテロリスト。


徳川綱吉
★生類憐れみの令を出した。通称、犬久方。江戸中が大混乱。

⬇(真実は)

武断主義から文治主義への変更を模索した。
ただ本人は家臣の言葉に従っていただけ。
犬を保護したのはたまたま。
江戸市中の治安が良くなった。


徳川家康
江戸幕府を開いた努力と忍耐の男。
人質、長男殺害、度重なる戦い。
それらの先に天下を獲る。

⬇(真実は)

かなり短気な性格。
激情に流され易い。
天下取りを意識し出したのは、小牧長久手の戦い以後。
ちなみに人質だった今川家に対する懐古の念が強い。
長男信康はかなり粗暴な性格だったので殺す羽目になっただけ。


本多忠勝
★『家康に過ぎたる者』と言われた猛将。

⬇(真実は)

元々は見張りな性格。
初陣で大活躍したので、自分でそのように振る舞うしかなくなった。
実は戦があまり好きではない。
勇名が一人歩き。


今川氏真
東海道の雄。今川義元の長男。
愚昧で今川家をつぶした。

⬇(真実は)

戦国時代に生まれていなければ、そこそこの治政ができた人。
信長より速く楽市楽座を行った。
外交能力も高い。


井伊直虎
遠州井伊谷の領主で女性。
一族の男子が相次いで死んだので、仕方なく領主になった。
次代の井伊直政の為に領内整備に尽力。

⬇(真実)

実際は男。
家中でも「誰?」と疑うくらい縁が薄い男を無理やり呼んだ。
その為にあまり表に出なかった。なので、『女性では?』という疑惑が出た。実際の次郎法師は女性だったが、井伊の家中で相談役のような立場で関わった。

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武田信玄
★甲斐の虎。智謀富んだ名将。

⬇(真実は)

軍略その他は全て優秀な家臣が行った。
本人は単なる和歌好きのおじさん。


上杉謙信
★越後の戦国大名。清廉な性格。信玄のライバル

⬇(真実は)

実は女性。
かなりヒステリックなおばさん。
信玄は嫌いだが、大して気にしていない。


足利尊氏
室町幕府初代将軍。鎌倉幕府を倒す。その後、後醍醐天皇をも圧倒し、幕府を打ち立て、武家政治を確立。

⬇(真実は)

気前の良い幕府幹部のボンボン。
その鎌倉幕府を倒したのは、周囲の期待に逆らえなかったから。本人にそこまで強い意思はない。
後醍醐天皇の新政には、概ね賛成だったが、またもや周囲の期待され、担がれてしまい、反旗。
家臣には領地をバンバンくれてやり、戦国時代の遠因を作った。


北条義時
鎌倉幕府二代執権。ほとんど無名。

⬇(真実は)

日本史史上唯一、天皇と直接戦った武士。
父、叔母(時政、政子)から、かなり無茶苦茶な事を言われた。


平清盛
平氏の棟梁。権勢を振るい、わがままも多い。

⬇(真実は)

武士の地位を飛躍的上げた功労者。
武士を地方の行政に食い込ませ、後々の武家社会の礎を作った(父の忠盛の頃から…)。
また、日本に貨幣経済を導入させた。


蘇我入鹿
飛鳥時代の政治家。
粗暴で横柄。天皇を顧みない。

⬇(真実は)

かなり優秀な行政手腕を持っていた。
天皇とは協調し、日本国内の安定の為に仏教の導入を示唆。



聖徳太子
飛鳥時代の摂政。
日本独自の法や、冠位システム、外交政策を打ち出した。

⬇(真実は)

存在せず。

この間の政策は別の人がやったもの(蘇我氏か?)。
モデルとなった"厩戸王子"は、蘇我氏からの強い推挙で摂政になった人畜無害の人。


…というような感じではないのか?

まあ、これらの事は、俺の勝手な想像だ。史実では無い(と、思う)。
確証もない。
「世迷い言だ」と言われたら、それまでだ。

だが、真実はわからない。
疑っても良いはずだ。それを"自身の史実"としても良いはずだ。

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ブラッシーのヘッドロックは全く痛くない。
タイガーマスクのタイガースピンは相手が止まっている事が条件だ。
ルチャの飛び技は、よく見たら受ける相手が抱きしめている。
ジャイアント馬場の"椰子の実割り"はやるまえから相手が飛んでいる。

だが、それがリングの"真実"だ。
見たいものを見ているだけ、幻想は幻想と思わねば、それは"事実"だ。

それを楽しむのも、嗤うのもこちらの受け取り方の勝手だ。

我々の学んだ"史実"も、もしかしたら、ブラッシーの"ヘッドロック"であり、馬場の"椰子の実割り"かもしれない。

疑っても良いよな?
そして、こちらの"事実"を見つけてもいいはずだ。

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そんな事で『五郎と竹千代』を書いてみた。