鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

新社会人へ⑥ お願いバックドロップ

タイガーマスクこと、佐山サトルは著書『ケーフェイ』の中で、プロレスの技の数々が相手の協力無しでは繰り出せない事を暴露した。

俺がプロレスにハマるのはこの本が出たかなり後だが、俺はこの本を読む前から分かっていた。

遊びで友達にバックドロップをかけたりしたが、持ち上げることすら難しかった。
※大学生の頃、後輩に無理やりかけて怒られたなぁ。

プロレス技の多くは相手の協力無しでは出来ない。
受け手と出し手がいて、プロレスの技、試合は成立する。
互いに協力しあい、勝敗かわ決まっている試合を作り、見せている。

この事からして「ほら、プロレスって八百長じゃん」と言いたくなりだろう。

プロレスラーはリングで戦いを"演じて"いるに過ぎない。
"ショー"である。

「こんなのスポーツじゃない」と思うかもしれない。
(新日は"キングオブスポーツ"って言ってるけど…)

プロレスはスポーツではないのか?
真剣勝負ではないのか?


バックドロップの開発者で使い手で、NWA王座を7年にわたり保持していた"神様"ルー=テーズはリアルファイト(真剣勝負)のプロレスを『コンテスト』と呼ぶ。

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史上初のプロレスは1904年(明治37年)のトルコ・イスタンブールで行われたレスリング興行だったという(諸説あるが…)
イギリス人とトルコ人の軍人が戦ったらしい。
そして、恐ろしくつまらなかったらしい。
そりゃそうだろう。
今のようにリングを上から撮るカメラも、モニターも無い。
ただ、裸に近いおじさんたちが組み合い、よく分からないうちに関節を固められて決着(予想)。
盛り上がるはずがない。

だが、仕方無い。
それが"真剣勝負"だ。

レスリングはボクシングとともに軍隊の必修科目であり、多くの人が学んでいた。
それらを、"興行"としてやろうとした。
ボクシングには派手な打ち合いがあり(そうならない試合もあるが…)、興行として、観客が見るものとして成り立つ。

だが、レスリングは見た目が地味であり、派手さは無い。ただ、体を組み合いせ、転がるだけ。そしてフォールさせて、時によれば関節を固める。
そういうスポーツなのだ。
興行としては盛り上がりにくい。

そこでレスリング経験者は考えた。
どうしたらレスリングの試合は観客の興奮を呼び起こせるのか?

レスリング興行は次第に変わっていく。
跳んだり跳ねたりして、通常のレスリングでは出さない技を出して観客の興味を引く。
反則は5カウント以内はOKに。
フォールは両肩がマットに3カウント。
コーナーポストからの飛び技が可能に。

こうしてレスリングは"プロレス"になった。

一番肝心な勝敗は、事前(前日)に対戦カードに沿って"リアル"なレスリング勝負をして、勝ち負けを決めておく。
それに沿って、当日はレスラーは『結果に合った』勝負を"魅せる"。
この前日のリアルレスリングがテーズの言う『コンテスト』だ。
『コンテスト』は観客に見せない"リアルファイト"であり、それであらかじめ勝敗を決めておく事でレスリングは納得して"ショー"を演じる。

そのうちに、勝敗は興行を取り仕切るプロモーターが決めるようになり、コンテストは行われなくなり、その意味は"真剣勝負"という風に変わった。

プロモーターが勝敗を決めだしたのは、プロモーターが興行全体の"ストーリー"を決めるからだ。
興行は一回ではなく、複数回行われる。
それを考慮して勝者を作り、チケットを売り上げを伸ばす。

初期はレスラー達のプライドを守るため、または納得させる為に『コンテスト』を行っていたが、それではチケットは売れない。チケット🎫が売れなければ、興行自体が出来ず、興行が出来ないとレスラーは食えない。

その中でレスラーは『コンテスト』を諦め、結末の決まった"プロレス"を行いだし、レスラーは反則技を繰り出し、観客
を煽りだして、憎悪を浴びて観客動員を増やした。

レスリングは、こうして1900年代前半には"プロレス"になっていった。

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プロレスの"強さ"とは、何か?
その成り立ちからして、レスリング実力では無い。
『どれ程、観客を集められるか?』である。

実力でなせれば、それは『八百長では?』と思うかもしれないが、果たしてそう思うならば、初期のレスリング興行のような退屈な試合を我慢できるか?

退屈なおじさん達の組み合いと、
鮮やかなバックドロップ。

あなたはどちらを見たい?

バックドロップではないか?

"プロレス"は見せたいものを見せる。
"幻想"を見せる。

鮮やかな技。
危ない駆け引き。
観客を罵倒するヒール(悪役)。
それを倒すヒーロー。

そんなリアルは残念ながら、現れない。

技は貧相で。
駆け引きは最初から安全。
罵倒された観客が本気で怒ったら困る。
ヒーローは現れない。

それがリアルだ。
そんな現実(リアル)があるほど、我々は色鮮やかな"幻想"に憧れる、観たがる。

それを提供するプロレスにとって、"対戦相手"は観客である。
観客を如何に満足して返し、次回の興行に来てもらう。
それがプロレスの"目的"なのだから、真剣勝負の結末など意味がない。

観客しか相手にしないプロレスはショーであり、観るべきものではない。
笑って捨てて良い"低俗"なスポーツだ。

プロレスの勝敗を笑うのであれば、貴方はリアルしか求めてないのか?

「俺は真実しか信じない」

だが、貴方の予期する"理想"を求めないの?
"そうであって欲しいなぁ"と思う理想を求めないのか?

「理想は、理想だよ…」

この理想と、プロレスの"幻想"に違いはあるのか?

真剣勝負を見たければ、野球、サッカーなど他のスポーツを見ればよい。

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真剣勝負の"戦い"がみたいならば、幸い、総合格闘技の試合がある。
それを見たら良いだろう。

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これらは完全な真剣勝負だ(恐らく)。

2000年代前半、日本にも格闘技ブームが来た。(K―1、PRIDEなど)

同じような事をやっていたプロレスは一時減退した。
(…俺もプロレスから離れつつあった一人だが。)

そして、その勢いはすぐに萎んだ。
それはヤ○ザが絡んできたから、とかではなく、あの格闘技の"膠着"する展開に観客が"飽きて来た"のではないか、と思っている。

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『RIZIN』の女子トーナメントでRENAが優勝出来なかったのは真剣勝負だからだ。
真剣勝負は、必ずしも観客の見たい現実を見せてくれるわけじゃない。

今でこそ、パウンドやサブミッションの展開に注目が集まるが、当時、あの大の男が組み合う展開を面白く感じることが出来るか?

退屈だろ?
だが、それがリアルファイト(真剣勝負)だ。
仕方がない。

UWFファン(Uインター)だった俺は、あの膠着する展開を見続ける事が出来た。(だから、前田日明の功績は大きいと思う)

出し手が内心(お願い!)と思いながら繰り出すバックドロップを、受け手も内心(よし、来い!)と思い受ける。

そういうプロレスの"幻想"を人は求める。

貴方の周りもそんな感じでは?

怒れる上司。
鮮やかに決まる"決め手"
ギリギリの駆け引き。
悪態を付かれても、最後には勝つヒーロー。

それには、

怒られる部下。
決め手は鮮やかに決まらなければならない。
駆け引きは安全に行われるべき。
"ヒーロー"は必ず最後に勝つ。

そういう"受け手"の行動があって成り立つ。

やはり、社会はプロレスなのだ。

我々は社会の中で"プロレスラー"として生きている。
誰かを鮮やかに勝たせ、誰かをギリギリで負かす。

観客はそこに興奮する。

それでないと、"プロレス"(社会)は回らない。

プロレスは"スポーツ"だ。
見たいモノがあり、見せたいモノがあるプロレスはスポーツと変わらない。


新社会人はそうしたこの"リング"(社会)を生きていくしかない。

社会において"真剣勝負"は嫌われる。
組織は必ず"プロレス"を強いる。

だから、覚悟しないといけない。

真剣勝負を標榜するなら、"そういう場所"に行かないといけない。

社会はプロレス。
組織もプロレスなのだ。
時に技の出し手となり、受け手になる。
時折、サミング(リアル目潰し)の怖さをチラつかせながら、プロレスをしていく覚悟が必要だ。

真剣勝負か、プロレスか。

それは既に選択の時期に来たのだ。