俺はよく人から「礼儀がなってない」と言われる。
「…言葉使いがなってない」
「人をナメている」
「偉そうだ」
「何を言っているかわからない」
(👆は違うか?)
…などだ。
だが、俺に言わせてもらえば、別に礼儀を知らないわけではなく、尊敬するべき相手にはそれなりに礼儀を払っているし、無礼な事は言わない(と思う)。
俺に「無礼な奴」と言うのは、俺がアンタを尊敬していないからであり、俺に尊敬されないアンタに非があるのだ。
だってアンタを尊敬できない。
だから、俺はアンタにタメ口を吐くんだ。
文句があるか? クソが!
…なんて自分勝手な言い分だと、自分でも思う。
何故なら、もしも年下や初対面の人間が俺に舐めた言葉使いをしてきたら、相当頭に来るからだ。
思わず「無礼な奴だな!」と言いたくなる。
だが、よく考えたら俺に他人の無礼を叱る権利は無い。
「俺は他人に無礼をして良いが、他人は俺に無礼をしてはいけない」というのは、俺が一番嫌う『自分は勝手をして良いが、自分以外の他人の勝手は許さない』という考えと同じだからだ。
社会に出ると、必ず礼儀が必要になる。
俺のように、嫌でも礼儀をわきまえる事を強制される。
プロレスの世界でもそうだ。
プロレスラーは、特にヒール(悪役)は、大先輩だろうと、団体の"看板"レスラーだろうと、平気で呼び捨てにする。
だが、何度も書いているが、プロレスの結末はあらかじめ決まっていて、レスラーはその決まった勝敗に向かって技を出したり、食らったりしている。
レスラー間にはしっかりとした"格"や"序列"がある。
だから、
「てめぇ、鈴木!」と言ってはいるが、その心の中では、
「てめぇ(すいません😢⤵⤵)、鈴木(さん)!」なのである。
以前、新日本のリングで蝶野正洋のNWO(New World Order)が一代勢力を誇った時があった。
蝶野は武藤(ムタ)をNWOに執拗に勧誘した。
ある試合後、ムタに迫った蝶野だったが、何故かムタはNWOTシャツを来て、無言で退場してしまった。
蝶野も予想外の行動だったのだろう。
実況アナが蝶野に状況を聞いた。
すると、蝶野は思わず、
「武藤さんに聞いてみないと…」
と"口を滑らした"。
(キャリアで言えば、武藤は蝶野の先輩)
普段、リングでは「オラ! 武藤!」と言っていた蝶野も"素"では武藤を『さん』付けで読んでいたのだ。
プロレスには確実に"格"が存在し、皆それに従っている。
キャリアの長さ。有名度、人気。
実力が物を言う世界ではなく(これらも実力と言えば実力と言えなくもないが…)、そんな実社会に近い基準が存在する。
だから、レスラー間にも礼儀は必要なのであり、先輩レスラーに無礼な態度を取る者はリングに上がれない。
確かに『礼儀』は使いこなせたら大変便利なものだ。
初対面や目上の人間にきちんと挨拶ができ、言葉使いも正しい人間は重宝される。一人前の『社会人』として扱われる。
礼儀は社会を生き抜く上で、身につけるべきツールであることは間違いない。
しかし、だ。
不思議に思うことがある。
どんなに相手が礼儀正しくても、それが心からの尊敬によって発せられているとは分からないではないか?
立場上、仕方なく礼儀正しい"擬態"を見せているだけで、心の奥では他人を小馬鹿にしているのかもしれない。
『そんな事、すぐに分かるよ』なんていう人がいるが、それは怪しい。
人の心の奥など他人が簡単に分かるはずがないからだ。
礼儀を払われている人も、それは薄々分かっているのではないか?
それでも社会というやつは、俺たちに礼儀正しさを強制する。
他人の無礼を知りつつ、礼儀を求める。
それって"プロレス"ではないのか?
本当は勝てるのに、それを知りつつ、決まった"勝敗"を見せる。
やはり、社会=プロレス、である。
本心を隠し、目上の人間に礼儀正しく接する。
それは"プロレス"だ。
前にこの日記に書いたが、人は他人がしてくることには、基本的に「うるせぇ、馬鹿野郎!」と言い返せる。
何故なら、自分に関わる事を決めるのは自分自身であり、そこに他人の意見など入り込む余地は無い。
また、一つの物事、一人の人間に対してどのような考えや印象を持とうが自由である。
だから、他人が何と言おうと「うるせぇ、馬鹿野郎!」である。
他人から「うるせぇ、馬鹿野郎」などとは言われたくない。
だから、人は他人に礼儀を強いる。
「『うるせぇ、馬鹿野郎』など、無礼だろう」と言いたがる。
礼儀をわきまえたら、社会に通用しやすく、また人に好かれる人間と思われる。
礼儀は身に付けるべきである。
だから、新しく社会人になる人達に言いたい。
社会はアナタにプロレス(礼儀)を強いる。
それをするのは当たり前で、社会を生きる為に有利な事だ。間違いない。
だが、その裏には"リアル"がある。
他人に服したがらない。統制されたがらない。自分の好きに言ったり、行動したいというリアルがある。
それを忘れてはならない。
人の心など上辺の"礼儀"ではわからないのだ。
その礼儀の奥に本音がある。
誰かに見せたくなったり、なかったりする"リアル"がある。
それを忘れるな。
誰かに礼儀を払われる立場になった時、礼儀正しくされたからといって、アナタが本当に"礼儀"を払われるべき人間であるかは、わからないのだ。