鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

新社会人へ⑪ 元"信者"の絶望と幸福Ⅱ

その頃、全日本プロレスジャイアンツ馬場が言った。

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「最近、"シューティング"が流行っているが、あれもプロレスでしかない。プロレスを超えたものがシューティングではなく、シューティングを超えたものがプロレスなんだ」

ここで馬場の言っている"シューティング"は佐山悟が作った"修斗"を指したものではなく、当時、流行っていたK-1総合格闘技、U系団体(プロレスなのだが)を指したのだろう。
(正確に言ったら、馬場が言ったのではないらしいが…)

この発言に俺は馬鹿馬鹿しく思った。
全日本のリングで明らかに痩せ衰えた体を晒し、格下のレスラーと"明るいお笑い"プロレスをしている"おじいちゃん"が何を言っているのか?
アンタはガチ(真剣勝負)などとは無縁の存在であり、"関係者"ではない馬場にシューティング(格闘技)を語る権利はない、と思った。

また、ある格闘技ライターが、
「プロレスがガチか八百長かなんて考えるのは次元が低い」と書いたのを読んで頭に来た。
こっちはファンになってから「八百長」と言われ続けて来た。
プロレスが八百長か、否か、は俺にとって非常に重要な問題(ファンになってまだ4年だったが…)だった。
それは「次元が低い」とは思えなかった。

だが、『10・9』の敗戦から、俺のUインター"ガチ"最強という予想が"思い込み"とわかり、俺は絶望した。

たまに、『10・9』を『プロレスの変わった日』と言う人がいるが、俺にとっては、『UWF"幻想"が終わった日』である。

俺にとって、高田延彦が最強であること、Uインターが格闘技集団であることは人生の最重要次項だった。

ならば、また何故、「今回(10・9)はプロレスに付き合っただけ、やはりUインターはガチでも最強」と勝手な思い込みをしなかったのか?

前回書いた安生の『ヒクソン敗戦』があったからでもあるし、Uインターの"真実"に薄々気付いていたのもある。
だが、一番は、『Uインターのレスラーたちがガチ(真剣勝負)をして、果たして観ているこちら(観客)は楽しいのか?』と言う疑問だ。
PRIDEやRIZINなど、MMAがまだ無かった時代だ。
人が真剣に殴り合い、関節技を狙い合うそれは観ていて愉快なものか?
興奮できるものなのか?
バラエティー番組で、断片的ではあるが、UFCというガチの勝負は観た。グレイシーは強いと分かった。
たが、あんな簡単に決まってしまう試合が楽しいのか?
『10・9』は文句なしに楽しかった。
※第一試合の『桜庭・金原-永田・石澤』など今観てもドキドキする。
あの"プロレス"独特の興奮はUFC総合格闘技の真剣勝負(ガチ)では味わえないのではないか?


Uインターが"プロレス団体"ならば、そのにいるレスラーにガチで勝つことを強いるのは難しい。

俺はプロレスが好きになってから、観客を意識して戦うそれがいかに困難な事か、分かりかけてきていた。
対して、"リアルファイト"(ガチ)は客の目など関係無く、ただただ目の前の相手を倒せば良いのだ。

プロレスとリアルファイト。
お芝居と真剣勝負。
それは傍目には似ているが、内容は全く違うものだ。

そこまでプロレスに対して、真剣勝負を迫る必要があるのか?

俺がプロレスにのめり込んだ理由は、それをやっている奴が周りにいなかったからだ。
野球の上手い奴はクラスでも人気者だ。
Jリーグが出来て、急にサッカーをやる奴が増えた。
俺はどのスポーツも得意ではないし、好きでもなかった。
だが、そんな"花形スポーツ"のように目立つ存在になりたい。

そこで出会ったプロレスは俺の希望通りのスポーツだった。
他にライバルはいない。学校のグラブで『プロレス研究会』などはない。
ただ知識を仕入れて披露すれば、俺は一番でいられるのだ。
だからのめり込んだ。毎週、プロレス雑誌を買い、マット界の動向を追った。
『最強は誰なのか?』
永遠のテーマをずっと求め続けていた。
そんな時、自分の愛するプロレスが『八百長』と罵らしられた。
我慢できない。
たが、プロレスが"ショー"であろう事はすぐに分かっている。
どうすれば良いのか。
そこに現れたのが、"格闘技"っぽいプロレスをするUインターだった。
八百長』を黙らせる為にはプロレスこそ最強を証明しなければならない。
「所詮は八百長」と侮蔑されるプロレスを「違うだろ?」と言い得るのがUインターや高田の存在だった。
それらはやはり"プロレス"の域を出ないものだったが、俺はUインターの見せてくれる"戦い"にすがった。
まさに"信者"だ。

高校生になり、自我が固まり、物事を少し俯瞰で捉える事が出来始めた。
グレイシーの事は格闘技系雑誌を読んで知っていた。立ち技の最強を決める『K-1』が大ブームになりかけていた。タイガーマスクだった佐山悟が創始した"修斗(シューティング)"の存在も理解した。
特に修斗は『ガチの格闘技はこうだ』と俺に知らしめた。

やはりUインターはプロレスである。
おそらく勝敗は先に決められていて、その結末に向けて、レスラー同士が協力して、"真剣勝負"っぽい試合を作る。
だから、武藤との試合で高田は"ドラゴンスクリューからの足四の字"で負けたのだ。

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そして、その戦いは結果から受けたショックは別にして、非常に興奮したのは間違いないが無い。

もう良いのではないのか?

Uインターを含む、U系団体(パンクラス)以外は、やはりプロレスだ。
そういう(格闘技っぽい)プロレスをするプロレス団体なのだ。
彼らはプロレスしかできないプロレスラーだった。

のちにUインターの安生洋二は「アナタはプロレスラーですか?」と問われ、「俺はプロレスラー。この業界に入ってからヒクソン戦と引退試合以外は全てプロレス。プロレスしかしていない」と語った。 (kaminogeより)

そう思うと一気に"プロレス"を観る"枠"が広がった。
全日本も新日本もプロレス。
メキシコのルチャリブレもプロレス。
アメリカのショーアップされたドタバタ劇もプロレス。
大仁田の邪道プロレスもプロレス。
全女などの女子のプロレスもプロレス。

そして、U系の格闘技っぽく見える戦いよプロレス。

全て、同じ枠の中で行われているのだ。
プロレスからガチ(真剣勝負)という概念を外せば、なんと多様性の深い世界であろうか?

ちなみにショーアップされたアメリカンプロレスや女子プロレスは好きになれなかった。
リングスは崩壊した後に入って"プロレス"だったとネットで理解した。
何度かWOWOWの中継を見たことがあるが、あれが"プロレス"とは思えなかった。

U系団体をプロレスと認め(Uインターは崩壊したが)、俺のプロレスの枠が広がった95~2000年の約5年間は幸福な時間だったと言える。
大学進学で窮屈な地元から離れたのもあるが、一度プロレスと認識したら、別に深く考える必要はなく、多様に広がるプロレスの世界を自分の好きなように楽しめば良かった。

プロレスだけじゃない。
プロ野球、サッカーなども興味の対象になり、楽しんで見るようになった。
そして、最後はプロレスに帰っていく。
物事の多様性を認めれば、自分の感受性も大きくなるのだ。

俺にとって、『プロレスが変わった日』は2001年1月4日の新日本プロレスの東京ドーム大会『佐々木健介vs川田利明戦』である。
それは気迫の篭った素晴らしいプロレスだったが、明らかに格闘技を意識して試合に見えた。
当時、総合格闘技は"MMA"という造語とともに日本マット界に広まりつつあり、従来のプロレス団体は観客動員などで苦境に立たされていた。
からしたら、総合格闘技などプロレスとよく似た別の『スポーツ』であり、比較にはならない。
時々プロレスラーが総合格闘技のリングに上がり、ボロクソに負けるを見て、『負けて当たり前なのに、何故、上がる? 自分とプロレスの価値が下がるだけだろ…』と怒っていた。
俺がそうやって必死(?)に、プロレスと格闘技を切り離して捉えようとしているのに、肝心のレスラーが明らかに格闘技を意識させる"プロレス"をしていた。

からしたら、

「何でお前らがそんな試合を見せてくるんだよ!」

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と、納得ができなかった。
『10・9』より裏切られた気持ちがした。
…この気持ちは17年経った今でも残っている。

この一戦から俺のプロレスに対する気持ちは少し萎え始めた。
同時に、あの高田が総合格闘技PRIDEのリングでヒクソンと戦う事になった。

大学を卒業し、社会に出た俺はその"荒波"にもまれまくっていた。
その時の俺にとって、社会とはまさに"リアルファイト"であり、"プロレス"ような"台本(ブック)"がない真剣勝負の世界にしか思えなかった。

自然とプロレスから離れて、格闘技(PRIDE、K-1)の方にのめり込み始める。