思い込みの強い人間がいる。
何かを『きっとそうだ!』と思うと、その考えから抜け出さない人がいる。
その思いに囚われ、信じ込み、それに従い、言動してしまう。
そんな人間は、必ず存在する。
以前、ある現場で働いていた時の事だ。
その仕事の契約期限が近付いてきた時の事だ。
そこの正社員が俺に話しかけてきた。
「…ねぇ。ここ契約終わった後、どうするの?」
その言葉に侮蔑を嗅ぎ取った俺はカチンと来た。そこで、
「俺、去年、宝くじで一等が当たったんですよ。だから稼がなくていいんですよね(笑)」
100%、嘘である。
本当に宝くじが当たっていたら、通販工場の入出庫のデータ入力の仕事などしていないはずである。
すぐバレる嘘を吐いた理由は、要するに「うるせぇ、馬鹿野郎!」ということであり、腹立ちまぎれに吐いたデマカセであった。
しかし、だ。
数日後、思いがけない事態が起こった。
一緒に働いていたおばさんに小声で尋ねられた。
「鈴木君、宝くじ、当たったんでしょ? いくら?」
自分のついた嘘をすっかり忘れていた俺は仰天した。そして、思い出して訂正した。
例の正社員から聞いたという。
俺は、その正社員を捕まえて、「あんたは馬鹿か?」となじった。
初めは、俺の嘘に対する"当て付け"で周囲に言いふらしたかと思っていたが、違っていた。
恐るべき事に彼は俺の付いた嘘を信じていた。
俺が本当に宝くじに当たったと思ったらしい。
何故か?
「だって、鈴木君って、なんか"余裕"なんだもの…」
とても自分の生活に余裕かあるようには思えなかったし、余裕を見せていたとは思えないのだが、彼にはそう思えたのだろう。
彼には俺が"余裕がある"ように見え、その余裕の根源が"宝くじで当たったお金"であるという事で、思い込めたらしい。
そんな事(宝くじの当選)など無いのだが、その"思い込み"が彼の真実であり、そうてある事が信じるに足る理由であったのだ。
そんな思い込みをする人間はいる。
必ずいる。
迷惑な話だが、いるのだ。
こんな話を書く俺もそうであるし、これを読んでいるアナタもそうである。
前田日明もそんな人間ではないだろうか?
前田は以前、他団体、パンクラスの社長、尾崎氏に対する暴行事件を起こしている。
理由はホテルのロビーでリングス(前田の団体)の契約中の外国人選手と喋っていた尾崎社長を見て、(引き抜きだ!)と"思い込んだ"前田は思わず殴ってしまったらしい。
また、第二次UWFのフロントの資金問題(これは前田の思い込みではないと思う)でモメた前田は、団体を解雇された。
その際に、前田はUWFの選手たちを集め、新団体を作ろうとした。言わば、"第三次UWF"を作ろうと思った。
だが、前田は仲間と思っていた選手から、あっさりと見捨てられた。
前田は仲間だと"思い込んでいた"UWFの選手たち(高田など)だったが、彼らからしたら前田はワガママで独り善がりの強い厄介な人物でしかなかったのだ。
前田にはWOWOWから資金提供の話が来ていたが、仲間と思っていた高田らは前田の許を去った。
このためにUWFを分裂し、高田らはUインターを、藤原は藤原組、船木はパンクラスを立ち上げ、前田は一人でリングスを立ち上げるしかなくなったのである。
そんな自分を見限った選手を前田は許さず、その後、断絶している。
(高田とは一時親しくしていたが…)
実を言えば、
先の尾崎社長と前田は、以前は昵懇の仲であった。
また、UWFの仲間は、新日時代からの後輩であり、苦楽を共にした大切な仲間のはずだった。
友人や仲間を猛烈に信頼し、仲間と"思い込む"。
そして、その"思い込み"が強過ぎる為に、その相手から忌避されると、逆に信頼が怒りに変わる。
相手を『裏切り者』にしか見えなくなる。
だから、前田は尾崎を殴り、自分を"裏切った"後輩らを許さない。
UWFやリングスは『格闘技に見えるプロレス』であり、観客やファンを"思い込ませて"いた。
そんな前田が"思い込み"から孤独になったのは皮肉な話である。
だから前田日明は純真な人間であり、仲間には温かな愛情を示す人間なのだろう。
ただ、前田の周辺の人間からすれば迷惑な話である。
勝手に、猛烈に思い込まれ、また勝手に、猛烈に嫌われ、「裏切り者」呼ばわりしてきて、そして怒りをぶつけてくる。
殴られたりもする。
人間は、思い込む。
猛烈に思い込む。
そして、その"思い込み"が外れると怒る。
何故か怒る。
思い込んだのはそうした人間の責任であり、思い込んだ人間が悪いのであるのに、である。
そんな思い込みをするのは、それだけ他人を信じる事が出来る純真さがある証拠だ。
そういう意味では、前田日明は猛烈な純粋さを持った人間とも言える。
前田日明に限らず、そんな人間は社会にはたくさんいる。
いや、そんな『人間ばかり』とも言える。
そんな人間に対して、どう対応すれば良いのだろうか?
勝手に思い込んでくる人間に対して、どのように接すれば良いのか?
最初から「私はずる賢くて、汚い人間です」と喧伝すれば良いのか?
そんな事はできない。
会社の面接を思い出すと良い。
面接官に対して、「私は御社に入賞者しても、誰のいうことも聞きません」などという奴はいない。
本心ではそう思っていても言わない。
それを隠し、純真で誠実な自分を"演じ"る。
いきなり本心を出してしまえば、その組織(会社)に加わることは出来ない。
そんな人間など、組織(会社)には入る事が出来ない。
組織が欲しがるのは、純粋で、組織とそれを動かす人間に従順な人間だ。
だから、最初から"従わない"、"ワガママ"な人間は除外される。
だから、我々は面接では真面目で従順な人間のふりをするのだ。
初対面の人間に対して、いきなり本心をさらけ出す奴はなかなかいないだろう。皆が嘘をついて、相手もその嘘を期待する。
他人が見せる従順な姿を『演技』と分かり切っているのは、それを期待する相手もまた本心を隠し、『演じ』ているからだ。
それが社会だ、と俺は思うし、それってまさに"プロレス"では?
ならは、我々はどうしたら良いのだろうか?
人と関わらないようにして生きる?
それは無理だ。
そんな事はできない。
人間は必ず人間を欲するし、字のごとく『人の間』でしか生きていけない。
だから、思い込まれずに生きることは不可能と言える。
必ず思い込まれてしまう。
(たぶん、こんな人なんだろう)
(あれが好きなんだな)
(こう思っているに違いない)
…などと、思い込まれてしまう。それから逃れることは不可だ。
ならば、それを利用するしかない。
本当は誠実ではないのなら、誠実さを装い、従順さなどの欠片も持ち合わせていないのなら、まるで召し使いのような従順さを見せるべきだ。
もし他人がその"演技"を"本心"と思い込んだとしては、その責任は思い込んだ人間にしか無いはずだ。
10・9でUインターが『プロレスしか出来ない集団』とわかっても、前田のリングスが"プロレスだった"と分かっても、俺の中に『裏切られた!』という意識はなかった。
(そういう"プロレス"なんだ)と甘受していた。
その後、プロレスに対する熱は幾分と下がったが、プロレスを切り離した事はない。
なぜなら、(そういう事もあるだろう)と思っていたからだ。
UWF系の"プロレス臭さ"は以前から分かっていたこともあるが、人間にしろ、何にしろ、一つの考えで"固定化"することはできない。
常に変化し、その深奥は分からない。
また、それ(プロレス)が観ていて、楽しいのだ。そう感じる俺がいた。
それが人間であり、社会だ。
だから我々は一つの物事に対し、(そうではないかも?)という"可能性"を見ておかなければならない。
しかし、逆に貴方が思い込んでしまう人間ならばどうだろうか?
人を信じる事を素晴らしい。
常に変化し、どうなるか、どうするか分からない他人や物事を信じる事が出来るのは、信じる側が掛け値無しに"純真"であるからだ。
※そういう意味では前田日明はやはり素晴らしく純真な人間なのだろう。
だが、人は必ずしもアナタが思っているような言動を取るとは限らない。
アナタの"思った通りに行動する"人間などこの世には一人もいないのだ。
だから、前田は仲間に怒り、裏切り者を絶対に許さない。
思い込まれた側にすれば、迷惑な話である。
誰も『信じろ』などとは言ってはいないのに、勝手に思い込んで、勝手にキレる。
他人から「お前、思い込みが強いなぁ」と言われても、思い込みが強い人間は自分をそうだとは思わない。
自分の思い込みこそが"正義"であり、"真実"なのだ。
それ以外は"悪"であり、"嘘"である。
そうでなければならず、それ以外の観測や情報は思慮するに値しない。
だから、思い込みが強い人間は、それが違うと猛烈に頭に来るのだ。
自分の"正義"を損なう人間は"悪"である。
だから、「裏切り者!」なのだ。
だが、人は"裏切る"。
アナタの思い込みなど意に返さない。
何故ならば、人間が何をしようと、何を考えて、何と発言しようと、それはその人間の勝手だからだ。
誰もアナタの"思い"に添って動かない。
自由なのだ。
それを頭に入れておけば、他人が何をしても『裏切り者』とは思わない。
他人に対し、(きっと、こうだ!)と思い込んでいても、頭の片隅で(そうではないかも?)と思っておけ。
そうすれば、裏切り者は現れない。
他人は常に勝手に動くし、勝手に喋るし、勝手に思う。
それが人間なのだ。
他人の自由(勝手)は認めたくないのに、自分の自由(勝手)は認めて欲しい。
そんな馬鹿な話は無い。