鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学⑫ "うるせぇ、馬鹿野郎"理論

俺はたまに物凄い失敗をする。

仕事がらみのメールの返信を怠ったり、しばらくメールフォルダを開かないことがある。

当然ながら、クライアントから非難される。

「一体、何をしているんですか!💢」
「しっかりしてくれ!💢」
「もう、仕事したくないね💢」

皆さんのおっしゃる通りである。
仕事の連絡に答えない、メールを無視するなど、ライターとしては最悪であり、忌避すべき人間である。
仕事を回してくれなくて当然である。

しかし…、

「社会人として、どうかと思います」

この『社会人』という言葉を聞くと俺の中で『カーン!』とゴングが鳴る。

俺の"社会人"経験上、『これが"社会人"だ』という規範になる人間にあった事は無い。皆(俺も含め…)、"社会人"と
は言いがたい人間ばかりだった。

ワガママで、嘘つきで、利己主義で…。

だから、「社会人として…」と言われるのは俺からすれば、"幽霊"や""宇宙人"と比較されているのと同じに聞こえる。
幽霊や宇宙人の存在は科学的に証明されていない不確定なものである。
そんな"社会人"はおそらく個人ごとにその"理想像"が違うはずだ。

そんなもんと俺を比べるな。
アンタの気に入った"理想像"を俺に押し付けるな。

…と思うのだ。
『社会人として…』というのは、つまりは『何故、俺の思っているような人間ではないのか?』という"思い上がった"考えから吐かれる言葉であり、

"社会人"という言葉を使い、人を非難する人間はすべからく"権威主義者"といえる。

別に『権威主義悪い!』とは言わない。
権威はその組織や集団を守るのに、とても必要な事だ。
権威により、物事の方向を決めていくのは悪い事ではない。
良く言えば、"リーダーシップ"とも言える。

だが、俺は逆らいたくなる。
権威、権益、主流、正論…。
皆、正しく強大だ。

だから、抗いたくなる。無性に逆らいたくなるのだ。

以前書いた"強い者イジメ"だ。
"弱い者イジメ"は誰にでもできる。立場の低い人間や、部下、年下、自分の仲間、明らかに自分に逆らえない人間を"叩く"のは気持ち良いかも知れない。

また仕事関連のメールを送ったのに見てもいないなど、あり得ない。
起こられて当然であり、唾棄しても良い人間である。
同じ仕事もしたくない。
"イジメ"られて当然だ。因果応報。当然の報いだ。

だが、それは誰か1人がやれば良い。足りないと思うのなら、その時にやればよい。"弱い者"は弱いなりの理由があるのだ。

比べて、"強い者"はイジメられない。
正しく強大だからだ。

俺はそれが嫌いだから、そしてそれを象徴する"社会人"という言葉に激しい嫌悪を感じる。

もし"社会人不適合罪"などという法律があるなら、

秘書に暴言を吐く政治家、
不倫する芸能人、
パワハラする大学アメフト部の監督は、即刻刑務所にぶち込まれなくはならない。

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だが、そんなニュースを聞いたことがない。
(日大アメフト部の元監督と元コーチは障害罪で逮捕の可能性があるらしい…)

『社会人としておかしい』は、それ自体は法律的な罪には取れない。
(社会的な制裁は、かなり受けるが…)

麻生大臣の『セクハラ罪という罪はない』というコメントは"ある意味"当たっている。
(だから問題なのだが…)

『新社会人』編でも書いたが、

俺は、世間(社会)とは、「うるせぇ、馬鹿野郎!」が言えるか、言えないか、だと思っている。

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何度も書いているが、人は基本的に自由だ。何をしても良いし、何を信じても良い。何を考えても良いし、どう動いても自由だ。

だから、他人に「うるせぇ、馬鹿野郎!」と言っても別に構わないはずだ。

これを「うるせぇ、馬鹿野郎!」と言われる人間の側から考えてみよう。

誰かに何か言葉を放つ。

そこにどんな考えや意図があったとしても、人には何でも言えるはずだ、自由だから…。

それに対して、「うるせぇ、馬鹿野郎!」のもまた自由だ。

だが、自分に対し、「うるせぇ、馬鹿野郎!」などと返す人間には、不快である。

意図はどうあれ、その人間に『良かれ』と思って言ってあげたのに…。

なぜ、罵倒されなければならない?

だが、言える。言われてしまう。

自分が何を言おうと自由なように、他人と何を言おうと自由だ。

だから「うるせぇ、馬鹿野郎!」と言われてしまう。
そして、それを取り締まり法律などは無い。

"名誉棄損"?

それはあくまでも「うるせぇ、馬鹿野郎!」と"言われた後"の話だ。

また、言われたとしても、それをいちいち起訴していたら切りがない。

つまり、いきなり他人から「うるせぇ、馬鹿野郎!」を言われる可能性は誰にでも十分にある。

だが、我々は他人からそんな言葉を言われたくない。
絶対に言われたくない。

ならば、どうするのか?

まず考えられるのは『尊敬』だ。

他人から尊敬されているならば、そんな暴言を浴びせられる事は無い。

こんな俺でも"尊敬する人"には無礼な態度は取っていない(つもり)。

しかし、これは難しい。
"尊敬・人望"というやつは金銭では買えない。また、いきなりは得られない。長年の行動やそれから得られる知識と技術。…さらに、それを理解されなければ、尊敬も人望も得られない。

町を歩いているおっさんがどんなに偉いのか、なんて一目では判らない。

次は『礼儀』だ。
目上や上司、初めて会う人間に「うるせぇ、馬鹿野郎!」などと言う奴は礼儀がなっていない、失礼な人間である。

我々は幼い頃からの教育で、"上"の人間や他人には『まずは礼儀正しく接しましょう』と教え込まれている。
年功序列は社会の常であり、初対面の場合は慇懃な態度をもっと臨む事は常識だ。

"常識"。
(この言葉もカチン💢と来るなぁ…)

だが、俺のような礼儀などクソのほども斟酌しない人間には、これが通じない。
他人に、毛ほども尊敬の念を持たない人間には、礼儀などは通じない。

ならば、『利益』だ。

「そんな態度ならば、給料やらん!」
「誰のおかげで飯を喰えているんだ!」
「お前にやらせる仕事は無い。帰れ!」

これは辛い。
俺自身、偉そうな事を言っても、他人から仕事をもらって生きている。
(うるせぇ、馬鹿野郎…)と思いながらも、ペコペコ頭を下げている。

金が欲しいから、気に入らない奴にも従う。
金が欲しいから、したくもない仕事をしてみる。

アメフトの試合に出たいから、相手の選手を潰す。

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自身にもたらされる利潤の為なら、人はいかなる理不尽も受け入れてしまうことがある。

利益を得たら、自分も、自分の家族も"幸せ"になれる、と思っているからだ。
(これは"幻想"みたいだが…)

『礼儀』と『利益』。

これが問題なのだ。

人は思い込む。
(コイツ、俺の事を尊敬しているな)
(俺って人望があるんだ)
(みんな、俺の味方)
(みんな、俺の"駒")

それは"思い込み"の可能性が高い。

ただ、礼儀により、目上のアナタに従っていて、
アナタに従っていたら『利益』を得られるから
そうしている可能性もあるのだ。

そこに尊敬など1mmもないかもしれない。

それでも尊敬されたい。無礼な言葉を吐かれたくない。

そんな人が作り上げるのが、"小さなグループ"である。
そこのリーダーに収まっていたら、人は誰でも尊敬される。

自分の利益を"分配"できる限りの人員ならばら、例え少ない"配当"でも、利益を与える事ができ、与えている限りはそのグループ内の人間からは無礼な言葉を投げられる事は無い。

"幻想"かもしれないが、尊敬して貰えるのだ。
そのグループに入らない奴などは無視しとけば良いし、自ら「入りたい!」と言って来る奴のみを見ておけば問題ない。

まさに"狭量な器質"であり、恥ずべき人間だが、こうした奴は世の中にゴマンといる。
俺もそんな1人とも言える。


俺がプロレスに惹かれた理由は、彼らが放つ言葉にあった。

「ぶっ殺すぞ!」
「潰してやるよ!」
「アイツの墓にクソ、ぶっかけてやる!」(長州)
「蹴り殺すぞ!」(Gサスケ)
「ごちゃごちゃ言わんと誰が一番か、決めたらえーねん」(前田)
「コバシ、キル(殺す)!」(ハンセン)
「この会社、腐ってんだよ!」(蝶野)

もちろん、これらの言葉はプロレスにおける"煽り"であり、本当に彼らがそう思っているかは分からない。
(Gサスケのは本音?)

悪態を放ち、観客の憎悪をかきたて、興奮させるのが目的である。

だが、俺にはこんな事を言えるプロレスラーが羨ましかった。
俺も周囲にそんな事を言いたかった。

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「この学校、腐ってんだよ!」と言って見たかった。

俺がプロレスにハマっていた高校生の頃、俺は何の力もない学生だった。
運動神経が良いわけでとなく、成績が優秀でも無い。当然、クラスや学校はそうした"実力者"たちが幅を効かせる世界であり、俺の存在など些末なものであった

「うるせぇ、馬鹿野郎!」などと言えば、たちまち吊し上げを食らっただろう。

だが、言いたかった。
偉そうに離す人気運動部の連中やちょっと不良な同級生らに、「おまえ、腐ってんだよ!」と言いたかった。

だが、言えない。そんな本音(?)は言えない。

その後、社会に出てから分かった。

社会に出たらもっと言えない。
本音を隠して、生きる。
生きているから、本音が言えない。

社会とは"プロレス"である。

たまに本音が出てしまう事もあるが…。

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プロレスラーが本音っぽく、相手を罵倒する言葉を吐くのは、観客の興奮とお金を得るためだが、
我々が本音を放ちたくなるのは、そこに自分の"真実"があるからだ。

だが、我々はなかなか放てない。

どうやったら放てるのか?

…そこで"小さなグループ"を作るのだ。
そうしたら、自分はいくらでも本音を、真実を放てる。

"社会人"と言う概念を固定したり、決めることは出来ないし、難しい。
仕事のメールを返さない無礼な俺は、その人から見たら"社会人失格"でしかない。

たが、『その社会人って何?』と尋ねたら、かなりバラつきがあり、おそらく『人それぞれの基準』になるのではないか?

だから、人はグループを作りたがる。
基準、価値、常識をそのグループ内では固定化したい。自分に都合の良い"社会人"像を固定したい。

だから、俺は"社会人"を否定する。
この世に"社会人"などはいない。

いるのは、自分や誰かにとって都合の良い人間だ。

そんな人間になりたくない。
だから、抗い続ける。反抗し続けるのだ。
「うるせぇ、馬鹿野郎!」と。