鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学⑮ 虚栄心と幻想

さらにこの部長、いや"ブラック企業"にはおかしな習癖がまだあった。

アルバイトに異常に優しいのだ。

何かあれば、必ずアルバイトの"肩を持つ"。

例えば、アルバイトと社員がモメる。
すると、アルバイトは本社や部長のいる事務所に電話を入れて社員の"横暴"を告げる。

確かに酷い社員はいた。
アルバイトに働かせ、自分はパソコンでネットばかりしたり、漫画を読んでいるような奴である。

だが、そればかりではない。
真面目に業務に取り組み、店の売り上げを良くしようと奮闘する社員も多くいた。
そんな社員はよくベテランバイトと意見が対立した。
社員はバイトの"支配下"にいる。
基本的にはその指示に従うべきであり、それが"組織"である。

だが、ベテランバイトらは"俺のように"、従う事に抗う。
そんな彼らの"必殺技"が『電話』である。

バイトからの話を受けた部長並びに、本社の人間は、必ずバイトの側に立つ。

どんなにバイトに非があろうとも、バイトのワガママにしか聞こえない話だろうと、必ずバイトの味方をする。

こちらは堪ったものではない。
何があっても、『悪いのは社員だ』と決めつけてくるのだ。

何故なのか?

社内会議の際に、たまにだかそんな事を部長に訪ねる社員がいた。

部長の見解は、

「バイトたちは"現場"を知っている。常にお客様と向き合っている。…彼らの意見はその店の現状である。」

または、

「バイトの"反乱"は、そこを任せた社員の指導力の無さである。ならば、社員が責められて当然だ」

全て嘘である。

いや、『嘘である』というより、"タテマエ"だ。

確かに店でお客に対応するのはバイトたちだ。
しかし、社員は忙しい。日々の業務に追われている。たまにはバイトとレジや店舗内に立つ事があるが、バックヤードなどで商品管理をしたり、パソコンの画面に向き合わなければならない。

そうさせているのは、部長自身であり、バイトの意見を尊重させるなら、社員の意見も尊重しても良いはずではないか?

しかし、それをはっきりとは言えないわけもある。
俺たち社員は部長から、そこそこ
高い『売り上げノルマ』を課されている。
つまり、「お前、ノルマもクリアしていないのに、文句を言うのか?」と言うわけだ。

…よく考えたら、『バイトへの指導力』と『ノルマクリア』は別次元の話ではないか?
同じと言うのであれば、まずは『社員の好きにやらせて』みるべきだろう。

部長及び、本社のバカたちが、"バイト贔屓"するのは、彼らの事を思ってではない。

『アルバイトは弱い。そんなバイトらをは守ってあげなければならない』
『バイトにまで優しい俺(たち)』

と、言う虚栄心があったからに他ならない。
"バイトの気持ちにさえ寄り添える"というアピールである。
男子中学生が好きな女子に優しく接するが如く、部長はバイトに甘かった。

『バイトにさえ優しい自分』を見せる為である。

社員は"良い面の皮"だ。
真面目に店の事を考えると、ベテランバイトが文句を言い出し、喧嘩。

そして、バイトは本社や事務所に電話。

すると、部長が現れ、こちらの話には聞く耳を持たず、「バイトもロクに指導できんのか!」と怒鳴る、という流れが出来ていた。

なので、バイトは果てしなく増長し、社員は課せられたノルマに苦しみ、自分の思ったような店を作れない、という悪循環に陥っていた。

ちなみに、人間関係が苦手な俺は、よくバイトとモメていた。
今思い出しても八つ裂きにしたいクソ野郎ばかりである。

それもこれも、部長やこの会社が抱く虚栄心が原因だ。

虚栄心とは、"見栄"だ。

"俺は凄い⤴⤴"
"俺は優しい"
"俺は誰からも信頼されている"

なとと"思い込む"事であり、そう他人に誇る事だ。

新日本プロレス棚橋弘至というレスラーがいる。

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彼は自分自身を『100年に一度の逸材』と誇る。

しかし…、

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同じ新日(だった)武藤敬司中邑真輔に比べたら、正直に言ってプロレスは上手くないと思う。
(俺から観てね)

それも、棚橋が『100年に一度の逸材』であることは認める。

…ま、多少、自己陶酔的なキャラを演じている部分はあると思うが。

自らを誇りたい"虚栄心"は誰にでもある。
俺自身、『俺なんてクソだ!』なんて言いながら、それを他人に言われたら頭に来る。
また、他人から「鈴木さん、凄いっすね」何て言われたら、むず痒いが嬉しい。
さらには、(他人から、そんな風に見られたい)とも思う。

"他人から、自分はこう思われている"という思い込みは、
言うならば、"自分幻想"だ。

(他人はこうでなくてはならない)と思い込むのが"他人幻想"(ストレンジャー・イリュージョン)ならば、その逆と言える。

他人を勝手に縛る他人幻想も迷惑だが、自分幻想もまた迷惑だ。

何故なら、そんな"自分"など居ない場合が多いからだ。

いくら、『俺って、こんな人間だ』と言っても、他人から見る自分は一定では無い。

凄くもないし、偉くも強くも、優しくも無い(かもしれない)


棚橋の場合はそれを見る我々が違うと、思っても、彼自身が"逸材"と思い込んでいることが、"キャラクター"になってしまっている。

プロレスは真剣勝負ではない。
決められた結末に向かい、レスラーが協力して試合を作り、観客を興奮させる。

ならば、棚橋のように「俺は逸材だ!」と叫んだ者勝ちである。

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棚橋弘至が"逸材"ではある事が、彼のプロレスを見る"前提"であり、そうである事自体からプロレスの試合が始まっている。

しかし、現実の社会で、会社という組織で"自分幻想"を押し付けることは、時にそこを硬直化させてしまう。

虚栄心に足を捕られ、身動きできない。

"俺は金持ちだ"
"俺は凄いんだ"
"俺は天才だ"

見栄は時として、争い😱の"種"になる。
つまらぬ見栄を張ったから、後々苦労した。

なんて経験はないだろうか?
(俺は、ある)

虚栄心など見せなければ、俺のいた"ブラック企業"も変わってたのかもしれない。

ちなみにではあるが、俺はこの会社を一年半ほどで退職したが、その痕、部長のいた事業部は崩壊。
調べたら、この部長はグループ内の子会社の管理職に収まっていた。

あれたけ虚栄心を張っていたのだから、裸一貫で起業したかと思っていたが…。

また、彼は社員を叱る際に、よく「社会人として…」という言葉を使った。

確かに"社会人"としては有りな人かもしれないが、
所詮は虚栄心のみの"腰抜け"な男だったのだ。