鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学⑰ 義務と自尊心

"自己ユーティリティ"の高い人間と、自尊心(プライド)の高い人間は、似ているようで違う。

どちらも他人を"支配したい"、"思い通りにしたい"という点では共通しているが、

自己ユーティリティが高い人間は、
(他人は自分の支配下にいた方が良い)という考えから行動し、

自尊心の高い人間は、
(他人は常に支配下にあるべきだ)という考え方から行動している。

つまり、"自己ユーティリティ"は、
『自分は特別ではないから…』という意識が常にあり、
"自尊心"には、『自分は特別だ』という意識がある。

それは、その人に何かお願い(頼み事)した時に分かる。

自尊心の高い人間は、それを喜んで受ける。
なぜなら、自分は他人と比べて"特別"であり、そんな自分は他人から何か依頼されて"当たり前"の存在、と思っているからだ。

だが、"自己ユーティリティ"の高い人間は他人からのお願い(頼み事)を引き受けたがら無い。
その事(お願い)に対し、嫌悪感を受けるからだ。

なぜなら、自分は基本的には他人と同じだ。"同じ"なのに、何故自己だけが他人のお願いを引き受けなければならない?、と考えるからだ。

しかし、社会生活を営み、組織に入れば、人は何かしらお願い(依頼)される。また、自分から他人にお願いする事も多々ある。

(自分は"特別"ではない。だが、特別として見て欲しい)と願う"自己ユーティリティ"の高い人間はどうするのか?

そこで現れるのが、"役目"である。

『あなたは○○する役ね』
『○○の件、宜しくね』
『○○の事、任せた』

と、他人をそれ(依頼)を"役目"として押し付けるのだ。
自分が特別ではないのなら、他人もまた特別ではない。
特別ではない他人にお願いして、"拒否"される事を防ぐべく、役目として負わせる。

役目を請け負った以上、その人にはそれを行う"義務"が生じる。
義務は"完了される"責任がある。

これを利用するのだ。
嫌な事は他人に"義務化"させて、任せる。
自分は自分の好む役目を行い、他人には自分が負いたくない役目を負わせる。

何故なら、他人にとっては"負いたくない"役目かもしれないが、その他人はそれを完了することができ、自分ほどにその役目を『負いたくない』と思っていない(と思い込んで)からだ。


昔、飲み会🍻好きな友人がいた。

よく酒を酌み交わした。明るく楽しい奴であった。

だが、ある時に気付いた。

(アイツ、自分から、飲み会したい、って言ったこと無いな…)

彼はいつも誰かが『今夜、飲もうか?』なんて言い出すのを待ち構えている節があった。

何故か? 
酒を飲むのが好きなら自らが飲み会を開けば良いではないか?

それとなくその疑問を聞いてみると…、

まず、彼は他人を誘って"拒否"(断られる)のが大嫌いらしい。
「あー、俺、辞めとくわ」なんて言わるのが我慢できないらしい。

なので、

「だからさー、それは俺の役目じゃないんだよね。みんなに任せてんだよ?」

役目?
何を言っているか、分からなかったが、つまり、
『酒を飲む場にいるのは大好き』

『しかし、人を飲み会に誘う事はしたくない』

『だって、断られるのは嫌だから』

『ならば、人を集めるのが得意で、他人から拒否されても平気な奴に"任せよう"』

…こんな事らしい。
勝手に任せてほしくないのだが、その友人からすれば、

『得意な奴に、その得意な事を任せているだけ。何の理不尽がある?』

となるらしく、本人に罪の意識は皆無だった。

『他人から拒否されたくない』
これは、自尊心から来る感情だろう。

だが、『だから他人に任す(義務化)』は、まさに"自己ユーティリティ"である。

他人と自己は基本的には違う。
だが、他人は自分の為に行動しなくてはいけない。

そう考える人間にとって、"義務化"は非常に有益な方法だ。
自分がしたくない何かを、特別な"何か"にしてやらせてしまう。
できなかったら、義務を請け負った他人の責任であり、自分は関係ない。
そう逃れてしまえるからだ。

"自己ユーティリティ"の高い人間は、そうした"請け負える"人間を探し出すのが上手い。

プロレスの勝敗は、あらかじめ決まっている。
プロレスラーにとって、リング上の敗北は敗北ではなく、"負ける"という結末を演じているだけであり、だからレスラーは"負け役"を"ジョブ(仕事)"と隠語で呼ぶ。

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レスラーにとって、敗北はそれ自体が仕事であり、義務なのだ。

しかし、対外的に見れば、それは身体的な"敗北"でしかない。
勝者は栄光や名誉を受けるが、敗者には何ももたらされない。

敗者が受けるのは、その戦いを見た観客の興奮だけた。
それしかない。

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後は、惨めに『負けた』という事実しか残らない。

『プロレスラーの"ジョブ"など、なんて嫌な仕事なんだ』

と思うかもしれないが、それを"構わない"という連中もいる。
何故なら、プロレスの勝敗はリング上の"勝ち負け"ではなく、いかに観客の興奮(ヒート)を得られたか?、だからだ。

そんなレスラーは喜んで"ジョブ"する。
自分が負ける事で、観客が興奮し、またプロレスを見にチケットを買う。
その為なら、惨めな敗北を受け入れる。

その"役目"を引き受ける。

"自己ユーティリティ"の高い人間はこうした"役目(ジョブ)"をしてくれる人間を見つけるのが抜群に上手い。

自分には嫌な事を、義務として行ってくれて、責任までとってくれる"ありがたい"存在。
そんな人間が大好きだ。

それに比べ、自尊心の高い人間はまだかわいい。
(自分は特別だ!)と思い、嫌な事もやるからだ。

自己ユーティリティが高い人間は、
(自分は特別では無い。無いが、他人を支配したい)という矛盾を持っている。

何度も書くが、人間は自由である。
何もしても、何を考えても良い。
それは他人もそうなのだ。

自分の自由は確保したい。

だから、他人を縛りたい。
だから、他人の自由を規制したい。
自分は特別ではないが、自由だからだ。

だから、他人の自由を"義務"で縛る。
それを好む人間と繋がりを持ちたがる。
何かしらの利潤を分けて、義務と責任を負わす。

だから、"小さなグループ"を作りたがるのだ。

そのグループの人員が少ないほど、分け与える利潤は小さくて済み、義務を与えたメンバーがその義務を完了しやすい。
自分は被害や苦情の少ない立場にいて、厄介事は任せた人間に"丸投げ"。

中小企業の社長や、大きな会社の管理職(課長、部長)などを見たら、きっとたくさんいる。

彼らは必ず"ジョブ(負け役)"を拒否する。
自分が"敗北"するなど考えたくもないからだ。

そこで誰か代わりを見つけ出す。
その"ジョブ"を"負け役"とは思っていない、自分にとって都合の良い人間を見つける。

狡猾で、小さな人間であるが、
おそらく我々の心の中には、こうした"自己ユーティリティ"と"自尊心"が混在していると思う。

飲み会🍻好きな友人のように、
ある瞬間は『自分は特別だ!』と思い、また別の瞬間には『自分は特別じゃないから、他の人がやるべきだ!』と思う。

他人の狡猾さを嘲る時、我々は自身の狡猾さを見なければならない。

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人間の行動、思考など支配できない。
自分も他人も…。

…と、常に思っておくべきだ。