鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学⑳ リスク(責任)とバンプ(受け身)

他人を支配したい"自己ユーティリティ"の高い人間は、必ず『これはみんなの為だ』と"正当性"を主張する。

『利益を受けるのは、自身のみではなくみんなだから、これは間違っていない』

と言いたいのだ。

だから、他人は自分に従うべきであり、他人は自分に支配されるべきである。

そう考える。

イメージ 1


そんな自己ユーティリティの高い人間が最も嫌悪するのが、『責任』である。

『このプロジェクト、失敗したら、その責任は?』
『あなたの部下が起こしたミスの責任を果たせ!』
『これは監督責任があるのでは?』

全て不可だ。

他人など、自分の思ったようにいなくてはならないのに、なかなかならない。
自分があれほど"世話"しているのに、そんな自分に迷惑をかける他人。
何故自分が他人の責任を被らないといけないのか?
俺は悪くない!
自分と他人は同じだ。何故、俺だけがその他人の"尻拭い"をしなくてはならない?
悪いのは"他人"だろ!

…というわけだ。

自尊心(プライド)の高い人間はここが違う。
自分と他人は違う。だから、他人は自分たちの庇護の元にいる。
自分は他人の責任を"被ってやるべき"存在である。
何故なら、自分は他人と違い、優秀であり、他人を支配しているから。

この考えもいかがなものかと思うが、責任を他人に擦り付けたり、頭から責任を放棄している人間よりはマシだ。

東京五輪の競技場建設問題を想いだして欲しい。
競技場建設に巨額の予算が掛かると分かった途端、政治家、官僚、建築家が一斉に、

『俺のせいではない!』

の大合唱だ。
大の大人がこうなのだ。
皆、責任を取るのが大嫌いだ。つまり、『こうなったのは、アンタのせいだ!』と言われるのが大嫌いなんだ。

だが、こういう人間に限って、その器の小ささを露呈したくなく、表面上は"構わんよ"などと度量があるかのような態度を取りたがる。

その実、彼らに責任を取る度胸は無い。

責任とは、プロレスでいうなら、"受け身"だ。

イメージ 2


バンプ(受け身)はプロレスの基本である。
華やかで、衝撃的なプロレス技の数々は、レスラー同士の意志疎通が無くては成立せず、

イメージ 3


技を喰らう相手は、怪我をしないように、受け身を取らなければならない。

だからプロレスラーは練習や筋トレで身体を鍛える。

『相手の技を受け切る』
それがプロレスなのだ。

プロレスの勝敗はあらかじめ決まっている。
最後に派手な落とし技(垂直落下式)や、がっちりとした絞め技を決められて"負ける"。
それがレスラーの"ジョブ"だ。

どんな大技、危険な落とし技、厳しい関節技に耐えうる身体を作っておくのが、レスラーの"責任"た。

あらゆる技を受けて、観客の興奮を引き出す。
それがプロレスの試合だからだ。

なので、バンプ(受け身)のできないレスラーはリングに上がる資格がない。
危なくて上げられないのだ。

"受け身"をする(できない)という責任を放棄することなど、レスラーにはあってはならない事だ。
(それでもたまにリング過は起こってしまうが…)

同じように、社会で責任の取れない人間はあり得ない。
人の起こす行動には必ず責任が発生するからだ。

自己ユーティリティの高い人間はそれが分かっている。

分かっているから、誰かにその責任を押し付けたいのだ。
また、仲間とは言え、他人の行動の責任など取りたくない。

日本では、"責任(リスク)=危険"と訳される。

だが、リスクは危険ではなく、"責任"だ。
誰しもが負うべき責任である。
『他人を支配したい』という人間は、当然、他人の"責任"をも負わなくてはならない。

他人が何をするが、何を話すか、何を考えるか、分からないのであるから、他人の責任を負うのは、"危険"である、と自己ユーティリティの高い人間は思う。

だから、"小さなグループ"を作る。

自分にとって、"安全"で、何を考えているか理解でき(と思っている)人間"だけ"を近くに置いて置きたいからだ。

そうすれば、他人の迷惑な責任を負わされる可能性は低い。
他人を支配したいが、その他人の責任までみたくはない、という人間は必ず"小さなグループ"内で威を張る。

つまり、器か小さく取るに足らない人間である。

だが、そんな事は本人には分からない。
他人は自分に従っておけば良く、
他人の責任を自身が負うことなど、意味が分からない。
他人からは、尊敬と畏怖、感謝しかいらないのだ。

そんな人間を見分ける方法がある。

相手に『もし、○○○みたいな事が起こったら、どうする?』と、危急な状況を想像させて見れば良い。

「そんな事、あるわけねぇーだろ?」なとと言う奴は、かなり怪しい。

イメージ 4


この世の中に『あり得ない』事などないからだ。(東北の震災を見よ)

『あるわけない』などと言う馬鹿は、楽天主義者か、そういう自分の想像を越える事態に対して責任を負えない人間である。

人は自由だ。
何をしても、何を言っても、何を考えても構わない。
自然界もそうであり、現代社会もまたそうだ。人間関係もそうだ。

いかに責任から逃れようと、『他人を自分の思い通りにしたい』などと思えば、他人の責任を負わざるを得ないのだ。

それが分からない人間にリスクを負う事はできない。
他人をどうこうはできないのだ。

悔しいか?