昔、やたらとお願い事をしてくる友人がいた。
「なー、代わりに○○しておいてや」
「俺、出来ないから○○やってよ」
中でも多かったのは、飲み会などの宴会の幹事役の"依頼"だ。
そして、ある時に気が付いた。
この友人は自らは決して幹事をしたがらないのだ。
何故か?
以前も書いたが、それは「俺は人を集めるのが苦手」だかららしい。
みんなで酒を呑むのは楽しい。
俺も好きだ。
だが、誰かを誘って断られたら、それまでだ。
仕方ない話だ。
その友人はその"拒否"が許せないらしい。
他人からの拒絶を、異様なまでに嫌う。
その時は(横着な奴だ…)と思っていたが、社会に出たら分かる。
世の中には他人からの拒絶を嫌う人間がいる。
しかし、拒絶など人生においでよくある出来事である。
いくら営業周りしても、契約してもらえないクライアント。
凄く頑張って練ったプレゼンしても、採用されない提案。
いくら想いを寄せても、付き合ってくれないあの娘。
拒絶される事はよくある話だ。
それが許せない人種がいる。
"自己ユーティリティ"の高い人間である。
自尊心(プライド)の高い人間は、他人からの拒絶を受けたら、
『アイツ(ら)は、俺より"下"だ。何故、俺を拒絶する? ならば、アイツ(ら)など知らん!』
と、憤怒する。他人と自分は違う、と思っているから、他人からの拒絶は許さない。
だから、自分が拒絶した、としたい。
それは『裸の王様』と言える。
だか、"自己ユーティリティ"の高い人間は、思考の根本では『他人と自分は変わらない』と分かっていて、他人が拒絶してもそれが他人の"勝手"だと分かっている。
だから、拒絶が許せない。
自分が他人から"拒絶されてしまう存在"になることを受け止められない。
そして、他人と交渉する役を他人に任せたい。拒絶されたくないからだ。
拒絶を嫌うからこそ、それを他人に任すのだ。
だから、"小さなグループ"を作りたがる。そこの"王様"でいれたら、"嫌な"事は他人に任せられる。
使命感、信頼、恩義、利益という人間関係を使い、拒絶を拒否し、それをくらいそうになると、他人に任せ、拒絶を受け入れない。
狡猾ではあるが、人間関係を構築することは、悪い事ではない。
豊かな人間関係は、その人の人生を豊かにする。
自己ユーティリティの高い人間にとって、"人間関係"は、
プロレスにおいての"ロープワーク"に似ている。
プロレスラーはロープを使って、攻撃したり、走ったりする。
関節技を食らっても、ロープに触れば、"ブレイク"(脱出)が認められる。
プロレスにおいて、"ロープワーク"は反則ではない。
たが、こんな風にロープを使うことも可能だ。
(これは反則)
ロープを上手く使うことがプロレスの戦いの大きなポイントになる。
"ロープワーク"とは、『ロープを使い、自分の優位✨な展開にする』行為である。
人間関係を上手く築けない人は、社会で上手くやっていけない。(俺のように…)
自己ユーティリティの高い人間は、自身が他人と変わらない存在と認識しているから、人間関係、立場などで他人を縛り、自分の希望を実現させてしまう。
一見、小賢しい人間に思えるが、社会で評価される人間は意外と、こんな人間だったりする。
子飼いの"小さなグループ"で嫌な事、自分を忌避する人間とは関わりを持たず、自分は周囲から尊敬と賞賛のみを求める。
自分の気に入った、自分の為の、自分が認めた人間関係の中で威を張る。
そんな"ロープワーク"が得意だ。
もしも近くにそうした人間がいたら、近付かない事に越したことはない。
だが、それは難しい。
何故なら、彼らは意図して言う。
「私の言う通りにすれば、間違いない。お前らに損は無い」
そんな"謳い文句"で他人を"支配"しようとする。
それは『損は無い』のだが、"自分に"では無く、そう言っている小さなグループの"王様"気取りの馬鹿にとって、でしかない。
優しそうな王様、
楽しそうなリーダー、
信頼感のあるさりそうな社長、
誠実そうな部長、
全て、"ロープワーク"(人間関係)が得意な"わがままな王様"かもしれない。
そんな奴には、ガチ(真剣勝負)をしてやれ。
サミング(目潰し)してやれ。
(コイツ、俺の思い通りにはならんな…)と思われたら、コイツらは関わってこない。
狡猾で、矮小な器量しか持たない馬鹿は、自分の思い通りにならない他人を嫌悪する。
自分の意向が影響できない事、人には関わりたくないのだ。
何故なら、元来、他人と自分は"同格"であり、他人が何をしようと自由だ。
自分は人間関係を使い、他人を規制しているが、規制出来ない人間は、自分の思い通りにならない。
それが我慢出来ないからだ。
誰かの思い通りになりたくないのなら、サミングしてやれ。本気で関節を極めてやれ。
誰かの"ロープワーク"に乗ってはいけない。