鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学24 猪木-アリ幻想(上)

アントニオ猪木は"最強"のプロレスラーである。
それは余談を許さない。
間違いなく言い切れる。
彼の現役時代をほとんど知らない俺だが、『アントニオ猪木』というレスラーの偉大さは分かる。

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猪木以降に、猪木を超えるレスラーは未だに現れていない。
猪木は唯一無二の存在であり、猪木がいなければ、プロレスが今のような注目もされず、また2000年代初めの総合格闘技ブームや、UWFも無かったと、断言できる。

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猪木は何故、"最強"なのか?

それは、猪木が仕掛けた『異種格闘技戦』にある。
この闘いから導き出される効果は絶大だ。

今、プロレスには『台本(ブック)があり、レスラーは決められた勝敗を"演じ"、観客を興奮させるために様々なギミック(トリック)をしている』と、暴露されているが、

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当時は違った。
『プロレスは真剣勝負だ』と頑なに信じている人がかなりいた。
しかし、プロレスの試合はどうしても嘘臭い。
そんな中、猪木は"異種格闘技戦"と称し、プロレスラー以外の格闘技者と闘うことで、
『プロレスラー以外と闘う猪木』

『それは真剣勝負に違いない』

『だから、プロレスは真剣勝負なんだ』

という"理論"を示した。
…今からすれば、とても理論的とは言えないが、プロレスファンはその理論に酔っていた。

また、『猪木は普段は八百長臭いプロレスをしているが、"異種格闘技戦"で、他の格闘技者と真剣勝負している。だから、猪木は強い。プロレスは最強だ』という都合の良い解釈を自然にさせた。

これは分かる。俺も、Uインターのレスラーたちを『普段は仕方なくプロレスっぽい試合をしているが、リアルな闘いになれば強い」と勝手に思い込んでいたからだ。
"信者"という奴は本当に有難い存在だ。

現在になり、その異種格闘技戦の多くが事前に打ち合わせをして行われた"プロレス"であることが判明している。

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だが、本当に真剣勝負(リアルファイト)した試合もある。

"世紀の凡戦"と言われた『猪木-アリ』戦である。

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この試合には、プロレスの変遷が凝縮されている。

それもそのはず、アリは異種格闘技戦など、リアルファイトなど行うつもりはなかった。
最初から"プロレス"をするために日本に来たのである。
たが、待っていたのは、猪木とリアルファイトのリングだった。
アリは騙されたのだ。

何故、そんな事になったのか?

それを説明するには、プロレスというスポーツの"根幹"と誕生を語らないといけない。

以下は柳澤健氏の名著『1976年のアントニオ猪木』と『1964年のジャイアント馬場』などから俺が導き出した考察である。

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プロレスが始まったのは、20世紀初頭、欧州であると思われる。
その広がりには『ボクシング平行説』と『アマチュアレスリング発展説』がある。(ここでは割愛)
※ボクシングもレスリングも、欧州各国の軍隊で行われていた基本訓練だった。

退役した軍人らにより、興業が催されるようになった。
派手な打ち合いのあるボクシングに比べ、アマチュアレスリングは地味で傍目には判りづらい。

そこで、試合の前に勝敗を決めて置き、試合ではその勝敗に基づき闘い、レスラーたちが"リアル"ではあり得ない技を繰り出し、観客を興奮させることにした。

派手な技を繰り出すのは良いが、肝心の勝敗はどう決めるのか?

これを決めたのが、ルー・テーズの言う「コンテスト」だ。

興行に出るレスラーたちが事前に集まり、地味なアマチュアレスリングで先に勝敗を着けておく。

試合当日にはその勝敗に沿ってレスラーは勝ったり負けたりする。
"お芝居"をするわけだ。
だから、あり得ない技も出せる。
初めは勝敗のみだったが、そのうち"お芝居"中の技も組み込まれるようになる。

ここにプロレスの"台本(ブック)"が生まれた。

ちなみに、試合当日になるとコンテストで負けたのに、ブックを無視して勝とうとする奴が現れる。
そんな"違反者"を試合中や次の試合で"制裁"するのが、"シューター"(狙撃者)である。
カール・ゴッチはそうした"シューター"の中でも最強であったという。

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"シューター"はレスリングの技術はあるが、観客を興奮させられないレスラーが担当し、
逆にレスリング技術はからっきしだが、観客を興奮させることの出来るレスラーを"ジャニーマン"と呼んだ。
(語源は、重宝がられて各地をジャニー"旅"していたからか?)

そして、その両方が出来るレスラーを"フッカー"と言い、テーズは自身がそれであったと言う。
こうして、プロレスにブック📘(台本)が出来るとコンテストは次第に行われなくなった。

コンテスト通りに試合をしても盛り上がらなくなった為であり、コンテストの結果通りの勝敗をしなくなったからとも思われる。

ならば、誰が試合の勝敗を決定したのか?

それがプロモーターだ。
日本語で表すと"興行主"であり、テレビ番組でいえば、"プロデューサー"にあたる。
その場で一番の権限を持った人である。
その人間が勝敗を決定するのだ。
レスラーは文句を言えない。
プロモーターに逆らえば、次から上がるリングは無い。

やがて、プロレスはアメリカ🗽に持ち込まれた。

ここ時に生まれたのが、"ブッカー"(招聘係、渉外担当)だ。

昔は今のようにプロレス団体(WWE)などなく、全米各地にいるプロモーターにより、彼らの影響範囲内でプロレス興行が行われていた。
レスラーはプロモーターと契約して、その範囲内でプロレスをしていた。

ブッカーはそのプロモーターに掛け合い、
『そちらのテキサス地区で活躍している○○○を貸してくれ』とか、
『この前、アリゾナで大暴れしたアイツを貸して』と交渉して、レスラーを呼び寄せるのだ。

有名で、観客を興奮させるレスラーを集められるフッカーは優秀であり、プロモーターから信頼された。

そして、そのうちにレスラーの対戦カード(組み合わせ)と勝敗を決める"マッチメイカー"が生まれた。

これはプロモーターの権利を独立させたものだが、これはレスラーたちのプロモーターに対する批判(勝敗)をそらす為だったのだろう。

プロモーター、ブッカー、マッチメイカーがプロレスを仕切るようになり、プロレスはレスリングの技術を競ものから、いかに観客の興奮を引き出すか、に主眼が置かれるようになった。

ここで現れるのが、"ゴージャス・ジョージ"だ。

誰?と思うかもしれないが、1940、50年代にアメリカで活躍した悪役(?)レスラーだ。

元は、そこそこレスリング技術のあるレスラーだったという。
それがある時から、"キャラクター"を変えた。

突如、「私な貴族の末裔だ」と言い出し、相手や観客を馬鹿にしまくるレスラーになった。

そして、これがウケた。
当時のアメリカプロレスは、プロモーターの支配地域を回って興行を行っていた。
高慢な貴族キャラで現れ、観客を罵倒し、その地域の"ご当地レスラー"を蔑み、卑怯な手を使い、最後はご当地レスラーにコテンパンにやられる。
その姿に観客は興奮し、湧いた。
観客はゴージャス・ジョージに罵倒され、彼が惨めに破れ去る姿に喝采を送り、またチケットを買う。

これにより、プロレスは人気になったが、同時にアメリカではスポーツではなく、ショーであり、エキシビション、エンターテイメントの枠に入る事になる。

ゴージャス・ジョージは、プロレスの今の形をした第一人者である。
スチーブン・リーガル
ミリオンダラー・ディビス
初期のトリプルH
オカダカズチカなどもこの系統のレスラーであろう。

バディ・ロジャース
リック・フレアー
などは、彼を元としている。
彼はアメリカプロレスにおける"ヒールチャンピオン"の原型を作った。

ちなみに、ゴージャス・ジョージが活躍していたアメリカに武者修行していた朝鮮系元力士がいた。

力道山である。

彼はジョージを見て危機感を覚えたに違いない。
日本で初めてプロレスが行われたのは、昭和27年、駐屯する米軍の慰労を兼ねて行われたようだが、それは一目見て"ショー"だと分かる内容だったらしい。
しかし、アメリカのようにショーとは広まっていない。
ゴージャス・ジョージの存在やプロレスが日本に広まれば、日本でのプロレス、力道山自身の躍進が塞がれかねない。

力道山はゴージャス・ジョージの存在を完全に秘匿にした。

こうして、我々日本は彼の存在を全く知らないのである。

そんなゴージャス・ジョージを師事したボクサーがいた。

それが、カシアス・クレイ
後のモハメッド・アリだ。(ようやく…)

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<続く>