無職になったが、気持ちは軽かった。
それまで1日12時間勤務で、月の休みが2日ほど、という"名ばかり管理職"だった俺は、好きな時間に寝れて、好きなだけ自由に出来る生活が楽しかった。
…当初は…。
次第に俺の心は蝕まれてくる。
24才で無職。
当たり前だが、金はない。職もない。コネも友人もない。
金が無いから、遊べない。
無職だから、人にも言えない。
恥ずかしいから友人にも言えない、頼れない。
人との関わりが薄くなる。
友人が離れていくし、それを止めないでいる俺。
誰にも相手をされなくなっていった。
何とも情けない生活が続く。
(この後、解雇や病気で人間関係はさらに希薄になっていく…)
心はそうした状況に蝕まれていたが、どこかで受け入れている自分がいたのも確かだ。
金が無いのは、無職だからであり、無職で働いていないから、金💰が無いのだ。
至極当たり前の状況である。
そして、金が無ければ誰も寄っては来ず、一人になる。
金がないから、満たされない。
『働かざる者、食うべからず』
社会の"大前提"であり、これを否定出来る社会人はいない。
俺が事実そうだった。
ブラック企業にいた頃、よく部長に言われた。
「我々はサービス業である。お客様に満足してもらって、お金を戴いている。
休むという事は『金がいらない』という事だ」
そんな理論で、休日は剥奪され、サービス残業は毎日課せられた。
酷い話だが、当時の俺はこれを『…そりゃそうだ』と思って、納得していた。
退職して10年以上が経っている今も、この理論は俺には"真っ当"に思える。
『お客様がいて、収益を得る』
この関係において、サービスを提供する側(企業)は、利益(金)を得るため、お客様に対してサービスをし続けなければならない。
それが嫌なら、サービス業に就かない事が賢明である。
仕事がある限り、働く✋💦。
金が欲しければ、働く✋💦。
それが社会人だ。
仕事がある限り、働かなければならない。利益(金)を得るために…。
そんな考えが、退職して10年以上たった今も、俺の中にある。
この前、そんな話をある人にしたら、
「あなたはまだそのブラック企業の"マインドコントロール"にかかっている」
と言われた。
そうなのかな?
俺は、パワハラしてくる"上司"が大嫌いだ。
自らの権威をかさに圧力を掛けてくる人間を心の底から軽蔑する。
しかし、仕事は仕事だ。
引き受け仕事は、ぐちゃぐちゃ言いながらもやる。当たり散らしてもやる。
何時間かかろうが、仕事だ。
金が欲しければ、やる。
何故なら、仕事だから。
何時間だろうが、遅くなろうが、やる。
…そう思っている。
psychosocial deprivation(心理的剥奪)という、心理学用語がある。
人間は限らた空間、集団、環境に長くいると、新しい情報を得られなくなり、正常な判断が出来なくなる。
よく冤罪の容疑者がやってもいない罪を認めてしまうのは、拘束され、留置場なとで心理的剥奪されるからだ。
(冤罪でなければ、拘束されるのは当たり前だが)
これと同じように、職場で同じメンバーがいて、長時間勤務を繰り返し、外部との接触(プライベートな休み)が与えられない場合、人間の感覚はおかしくなる。
俺もあの頃、毎日10時間以上の勤務。
休みは月に1、2日、という日々を一年近く送っていた。
思えば、社会から"隔離"させられていたのかな?
部長の言葉が"正しい"聞こえた(今も)のは、このpsychosocial deprivation(心理的剥奪)を受けていたからだからだろうか?
パワハラをする人間は、自分がパワハラをしている実感がない、という。
本人は至って当たり前の事を言っている、と思っている。
しかし、パワハラと分かっている人間が
他人を服従させたくて、この
psychosocial deprivation(心理的剥奪)を仕掛けていたら、どうか?
新興宗教では、"修行"やら"治療"と称してこの外部との接触を意図的に絶たせ、"洗脳"させる。
俺もあのブラック企業に洗脳されていたのか?(今も?)
様々な情報や外部の様子を得る事は現代社会では凄く大切なことだ。
だか、"自分だけを信じていて欲しい"人間には他の情報などに自分の"信者"を触れさせたくない。遮断したいのだ。
昔、プロレスラーはよくマスコミと揉めた。
前田は記者を脅していたし、
高田は"俺たち(Uインター)の取り上げ方がおかしい"と週プロの編集部に怒鳴り込んだ。
※宮戸のゲラ原稿チェックは有名。
長州は、週プロ記者を"出禁"にしたっけ?
蝶野も東スポの記者に「てめぇらの書いた記事は読書感想文以下だ!」とキレていたな。
まだネットがそれほど発達していなかった時代(90年代半ば)、俺のような"地方のプロレスファン"の貴重な情報源は専門誌(週プロ、ゴング、東スポ)だった。
それらしかなかった。
だからこそ、プロレスラーは専門誌に怒り、少しでも自らに"好意的"な記事を望んだ。
自らの団体の記事だけを大きく扱うことを望んだ。
そう書かない雑誌などにキレていた。
(週プロが新日のドーム大会を取材拒否にされていたなぁ)
確かに、ターザン山本(現・ターザン山本!)編集長の週プロ後期は"思い込み"や"独断的"な記事が多かったように思う。
しかし、マスコミが何を書こうが、それは記者の勝手だ。
自分に批判的な記事ならそれでも仕方ないはずだ。
また、プロレスの専門誌である。
他団体を持ち上げる記事も書く事もあるだろう。
プロレスラーはそれを許さない。
よく、一つのプロレス団体を好意的に書くと、必ずクレームの電話を入れてくるプロレスラーがいたらしい。
『なんであの団体ばかり持ち上げるんだ!』
『もっと俺達の団体を誉めろ!』
これは、レスラーによるpsychosocial deprivation(心理的剥奪)ではないか?
(今は無理だが)
自分たちのプロレスだけを信じさせたく、他の団体の情報を遮断して、自らのみに注目を集めたい。
情報操作ではなかったか?
外部(他の)情報を、地方ファン(俺ら)に届かせないようにして、自分たちだけを信じ込ませる。
『俺たちだけが最強であり、俺たちだけを見ていれば良いのだ…』
そう言いたかったのではないか?
心理的な情報遮断をしたかったのでは?
しかし、それは無理な話だった。
プロレス団体が複数あるのは周知していたし、他団体のプロレスもそれなりに楽しいし、気になる。
情報が無くても、存在は知っていたし、知りたいと思っていた。
この状況で情報を遮断するのは不可能だ。
本来、格闘技団体である(と思っていた)Uインターが"週刊プロレス"に載っているのは不思議だったが、他のプロレス団体と比べる事で、(やっぱりUインターは最強だ!)と認識していた。
「俺たちだけ見ていれば良い」というのは"洗脳"に近い。
マインドコントロールは『そういう風に思い込む確率を上げる』心理操作であり、
洗脳は『そういう風に思い込ませる』心理操作だ。洗脳の方が深いのだ。(簡単に言うと…)
プロレス、というジャンルは多様化しいた。
様々な種類があり、それぞれに主義、主張がある。
『俺の言う事だけ聞いておけば良い』は、その多様性の否定である。
多様化する文化を否定する者に繁栄は無い。
何故なら、他者との競争と生存を否定するなら、自分と比較する部分が無くなり、埋没し、やかては自滅するからだ。
マーケット(市場)は独占した瞬間から、減退が始まるのだ。
他人が、自分では無い"何か"に引き込まれてないように絶えず変化していかなくては、生き残れないからだ。
他人から機会や情報を剥奪しようとしても無理だ。
特に現代では。
psychosocial deprivation(心理的剥奪)は、他人を服従させたい為の手法でしかない。
だから、『俺だけを見ていろ!』などと言う奴には注意が必要だ。
そして、他者を無闇に否定してはいけない。
他人の"歪(いびつ)"にしか見えない姿こそ、自分自身であり、他者が何をしようと、考えようと、自由だ。