そんな嫉妬の感情が誰にでもあるはずだ。
自分と他人を比べ、足りない部分、持ち得ない部分を比べて強烈に羨ましがる。
『何でアイツばかりが持て囃されるんだ?』
『何でアイツだけが、"特別"なんだ?』
それは、その他人が自分に比べて優れているからである。
だが、人はそれを認めたがらない。
『俺の方が上だ!』と思う。
しかし、自分を評価するのは常に他人である。
他人から評価されない限り、いくら『俺には実力がある!』と言い張っても意味がない。
…と、ここまで考えてみて、思い返して欲しい。
『何でアイツばかりが持て囃されるんだ?』
という"嫉妬"を素直にオープンに出きるか?
社会において、嫉妬の感情は非常に見苦しく他者に映る。
実力を評価するのがその他者であるので、大した実力もないのに「何で…」と嫉妬するのは、ものすごく格好悪いし、惨めだ。
そんな事は嫉妬する側も分かっているから、そんなに見せないではないか?
腹のうちでは『何で…』と嫉妬の炎を燃やしながら、表面上は素知らぬ顔をする。
それが"社会人"である。
プロレスのリング上では嫉妬をストレートに見せる。
『俺の方が上だ!』
『てめぇなんて、運が良いだけだろ⁉』
『クソか!』
そんな見苦しい感情を見せ合ってレスラー同士は戦っている。
しかしだ。
プロレスの結末は決まっている。
勝敗はあらかじめ分かっていて、その結末に向かい、レスラーは二人で協力して試合を"作る"。観客の興奮を引き出す。
それがプロレスだ。
ならば、彼らの嫉妬は"演技"なのか?
プロレスは決められた勝敗を"見せる"ショーだ。
だから、その嫉妬は"演技"と言える。
いくら相手を罵り、妬もうと結末は決まっている。
そのブック(台本)に従わないレスラーに上がるリングは無い。
だから、レスラーの身体的な優劣や格闘技的な技術を必要としない。
見栄えが良く、観客を興奮させる事が出来るレスラーが評価される。
これに対し、レスリング技術(アマチュア)からやって来たレスラーはどういう感情を抱くのか?
長州力が藤波に「噛ませ犬じゃない」と言ったように嫉妬の感情を持たないだろうか?
(実際には、長州力は言ってないが…)
プロレスの世界は実力世界ではない。
実力が反映されない世界で、真に実力のある人間がしたがる事は、
「自分を本当に評価してくれ!」という事と、
「本当はアイツより、俺の方が上だ!」という主張だ。
そこにプロレスの"仕組み"を越えたものがある。
怒り、妬み、恨み、奢り。
人は様々な感情を持つがそれをなかなか表に出せない。
社会でそんな事をすれば、逆に攻撃されてしまうかもしれないし、恥ずかしい。
レスラーも人間だ。
観客の為や団体の為とは言え、負けることを簡単に受け入れられないはずだ。
行き着く先は、嫉妬だ。
だが、プロレスはその"恥ずかしい"感情さえもリングに上げる。
感情をコントロールし、言わば"半分本気、半分演技"の嫉妬を見せて、観客を興奮させる。
決まっている勝敗の試合に、嫉妬の感情を持ち込ませ、レスラーにそれを吐露させるのだ。
『なんて俺は不遇なのだ!』
『なんで俺ばかりが非難される?』
『俺は、強い!』
『俺は、正しい!』
『誰も俺に文句は言うな!』
どれも独り善がりの"悲しいワガママ"だが、それさえもプロレスでは観客の興奮を導き出す"演出"になる。
感情と演技を混ぜて表すことの出来るレスラーは一流だ。
一流のレスラーは己の感情さえ利用して、観客を興奮させる。
嫉妬は人間誰しもが思う感情であり、人はそれに自身を投影する。
なかなか敵わないアイツ。
腹が立つが勝てないアイツ。
憎らしいアイツ。
それに対して、露骨に「羨ましいんだよ!」と言い放ち、殴り出すレスラーは、まさに"憧れ"であり、自身の"願望"だ。
キレて、憎い他人を傷付けるのは大変良くない行為である。社会的には完全にアウトだ。
俺も他人を羨ましがった時期があった。
例のブラック企業を辞めて地元(浜松)でバイトを掛け持ち。
金も友人もいない。
たまに会う同級生たちは、それなりに幸せそうだった。
テレビを付けたら芸能人の派手な遊びが目に入った。
(何で俺だけが
"貧乏"なんだよ!)
地元(浜松)に戻った当初は『俺は自由だ!』なんて羽を伸ばしていた。
だが、金💰が無くなり出すと、
自分で会社をやめたくせに、そんな都合の良い事を考えて嫉妬していた。
そして、上辺では(平気平気💟)と余裕を見せていた。
人はその嫉妬の感情を他人には見せられない。
『嫉妬』などは恥ずかしい行為で、多くは『嫉妬』する方に問題がある場合が多い。
だから、人(俺も…)は嫉妬を隠し、別の観点で他人の欠点をあげつらったりする。
『アイツは間違っている』
『アイツは酷い奴だ』
しかし、その奥に嫉妬の感情があるから、その欠点の主張はいつか"破綻"する。
無理があるのだ。
対して、レスラーは堂々と嫉妬を見せる。
見せたからといって正当化されないが、それが観客の興奮を呼ぶ。
『嫉妬』という感情をコントロールしている。
『嫉妬』は重要な感情だ。
誰かを『羨ましい』と思うと、それが日々のエネルギーになったりする。
「全然、羨ましくないよ」などと言っても、人間はやはり他人が羨ましい。自分の持ち得ないものを持つ他人が羨ましい。
そして、それを現したい。
だが、出来ない。
違う方法で出すが、そこにはやはり無理がある。
どうかにかして、自分より優秀な人間を、評価されている人間を貶めたいと思う。
"自己ユーティリティの高い"人間が、他人を自分の思い通りにしたいが、出来ないから、金や関係性で他人を縛るのと同じだ。
残念ながらだが、他人は自分とは違う。
自分より優秀な他人もいる。
「それはおかしい」
いや、残念ながらおかしくない。それもまた人間なのだ。そういう他人なのだ。
認めたくないが、あなたより優秀な人間はいる。
『人間至る所に青山あり』である。
その"人間"が自分より評価されているだけだ。
だが、そんな他人への嫉妬の感情もまた確かにある。
どうしても悔しい。頭に来る。羨ましい。
これをどうするべきか?
リングに上げるしかない。
コントロールするしかない。
レスラーのようにリングの上で満天下に『俺はお前が羨ましいんだ、この野郎!』と言ってしまえ。
格好悪いが、そう言う人間もまた、そう言える人間が羨ましいはずだ。
嫉妬は隠すな。
その嫉妬の感情を利用しろ。コントロールしろ。
悔しがれ! 怒れ! 暴れてみろ!
感情を表すことができたなら、もう組織も上司も関係ない。
嫉妬は、最高の"噛ませ犬"だ。
嫉妬に狂い、嫉妬と戦う自分自身は"何か"から解き放たれたい証では?
他人。
他人からの評価。
世間体。
金。
賛美。
批判。
全て聞くに値しない(©RHYMESTER)
本当は値するものもあるのだが、嫉妬しているから聞かない。
"外野のヤジ"はほとんど聞くに値しない(©RHYMESTER)
『嫉妬』は他人への一方的な否定と、自分への一方的な肯定だ。
本当はそんな事は無いのだが、嫉妬とはそういうものだから、仕方ない。
つまり、嫉妬は社会的な非難を気にしなければ、様々な感情や行為を"肯定"するものになる。(独り善がりだけど…)
嫉妬が1番だ。(自分の中でだけ)
だから、嫉妬を隠すな。
さらけ出せ。
悪いのはあなたでは無い。憎いアイツだ(笑)。