思わず言ってしまう。
つい口から出てしまう。
いろんな場面で出てしまう。
そんな言葉があるはずだ。俺にもあるが、時期によって変わる。
今はなんだろう?
以前働いていた出版社の皆の口癖は、「忙しい!」だった。
「"忙しい"から、代わりにやっといて!」
「俺、今は凄く"忙しく"てさー」
「今日は"忙しい"から無理かな?」
「ごめん、ごめん。"忙しく"てさ」
…などであった。
本当に忙しいかどうかは疑問だったが、社会人は『忙しい』に逆らえない。
『忙しい』
⬇
『仕事が立て込んでいる』
⬇
『それは何より優先しなくては…』
⬇
『こちらの要求が通らなかったり、代わりにするのは仕方ない』
こんな流れができてしまう。
本当に忙しいのかは怪しかったが、確かに営業は忙しい。
俺の事などに構ってはいられない時もある。それは分かった。理解できる。
しかし、だ。
この人達は「忙しい!」と言えば、何でも通るような気になっていたのではないか?
心理学用語でいうと、"クロージング・フレーズ"である。
それを出せば、如何なる契約も"締結"(クロージング)させる言葉の事だ。
「忙しい!」と言う人間にはなかなかこちらからお願いができない。
また、「忙しい!」と言う人間からの要請には"仕方ない"と妥協し、聞き入れてしまいたくなる。
特に営業部長などが何かあると、この「忙しい!」を連発していた。
また、俺に対しては『正社員にしてやった…』というような心理学な"アドバンテージ"(優位性)があり、何にしろ無理難題を投げ掛けて来た。
当初、俺もそれを嬉々としてこなしていた面もある。
そして、何にかあればお得意の「忙しい!」である。
その言葉を意図して使っていた証左として、たまに俺が「今、忙しいっす」と言うとキレられた。
「何にが忙しいんだ!💢」と言うのだ。
俺も人間だ。同じ会社で働いている。
たまには忙しくなるときもある。
アンタらが"忙しい"ように、俺も"忙しい"のだ、
だが、どうも「忙しい!」というフレーズは『自分だけの物だ』という気持ちがあるので、それを他人が使うと猛烈に頭に来るようだった。
「忙しい!」はパワハラをする人間の最大の"必殺技"であり、"免罪符"だ。
それを口に出せば、全て納得され、許される。
だから、口癖になる。
他人に対し、常に"優位"な立場にいたい人間は、このクロージング・フレーズを放ち続ける事で、周囲を納得させたいのだ。
以前、格闘技団体『パンクラス』でヒールホールドが禁止された。
理由は『ヒールホールドは技がかけやすく、ダメージが深いから』であったと思う。
確かにヒールホールド(踵固め)はかなり簡単な部類の関節技だ。
相手の片脚を自分の両脚で挟み、膝辺りを固め、ヒール(踵)を"捻る"。
これだけで、脚の"筋"が捻れて、激痛が走る。
人間の脚の"靭帯"は伸縮にはある程度強いが、"捻り"には弱い。
脚に重大なダメージを負ってしまう。
非常に危険な技だ。
そして、俺のような未経験者にも可能な技だ。
(同じような関節技にアキレス腱固めがある)
安易にホールド(固定)が出来て、ダメージが深い…。
しかし、当時のパンクラスは『秒殺ファイト』で注目されていた格闘技団体である。
対戦し、タックルか何かで倒して、ヒールホールドで"勝つ"。
なんの問題があるのか?
パンクラスは、藤原組(プロレス)から枝分かれした、"格闘技"団体である。
ヒールホールドが唯一無二の"必殺技"ならば、それで良いではないか?
"最強"を目指す格闘技ならば、最強の必殺技である『ヒールホールド』を認めるべきではないか?
ここにパンクラスの根幹が"プロレス"である事がわかる。
あくまでもパンクラスは"格闘技"であり、"プロレス"ではない。
だか、"試合が始まって、組み付いてヒールホールドで瞬殺"。
それでは、"盛り上がらない"のだ。
"興行"として成り立たないのだ。
(俺はそれで良いと思うのだが…)
プロレスの最大の目的は"興奮"である。
観客を煽り、興奮させるのが目的である。
対してパンクラスは純粋な格闘技であり、身体的な特徴、格闘技技術の強さを示す事が目的である。
その効果として、観客の"興奮"がある。
にも関わらず、パンクラスは興行としての興奮を選んだ。
かつて、パンクラスの船木誠勝は、
「将来、プロレスというものはパンクラスだけになるかも?」
と言っていた。
(1995年くらい?)
この発言は興味深い。
プロレスの結末は決まっている。レスラーはリングで技を見せ、観客を煽り、興奮させる。それがプロレスだ。
パンクラスは格闘技である。いわゆる"ガチ"だ。
ヒールホールドという"必殺技"を求め続けるなら、そこに興奮はない。
"無い"から、必殺技とも言える。
あの会社の皆が、『忙しい!』と言うのはその言葉が如何に有効であるか、分かっているに違いない。
それだけ有効なのだ。それを言い放てば、何でも通ってしまう。
卑怯だが、それを有益に"使用"しようとするのは当たり前ではないか?
よく考えてみたら、「忙しい!」と言われたら、それを言われた人間の感じ方とリアクションである。
『ヒールホールドを禁止とする』と言われた時のファンの心理と似ている。
『それは良い』と思うか、
『なんだ、それ?』と思うかは、自由だ。
「忙しい!」と言われたら、それに対して従うか、「うるせぇ、馬鹿野郎」と反発するかは、自由だ。
こちらの問題なのだ。
俺は内心、(うるせぇ)なのだが、その「忙しい!」に従ってしまった。
逆らう事ができなかった。
それなら、悪いのは"向こう"なのではなく、こちらだったのだ。
この後、この出版社を解雇になるのだが、俺は『正社員にしてもらった』という"負い目"を抱え続けていく事になった。
あの時、「うるせぇ、馬鹿野郎」が言えていたら…。俺の人生があったかも?、とは思わない。
俺は、そこに"社会"を感じた。
前の"ブラック企業"から続く"パワハラ"の"根幹"を見たような気がした。