鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学42 依存と自由

「忙しいから、あれ、やっといて!」
「俺の代わりに○○さんに言っといて?」
「あの話、代わりに止めて!」

俺はこの出版社で営業から都合良くコキ使われていた。
…そう言えば、かかって来たクレーム電話の対応を何故か俺に回された事もあったなぁ。

しかし、営業の事を腹の底では小馬鹿にし、彼らの推挙で正社員にしてもらった俺に文句を言う権利は無い。

渋々と従い、彼らの言うように動いていた。
不本意だが、仕方ない。こうして給料を得ているのだ。多少の理不尽には目を瞑った。
率先して、厄介事を引き受けたという面もある。
当初はそんな自分に満足していたのだ。

そして、営業の連中から何か依頼される、その度にこう思い出した。

(この人たちは、俺がいないと仕事ができないのか?)
(俺に"依存"するのはやめろよ)

そんな疑問を遠回しに言ったこともある。
そうすると彼らは、「そんな事はない。別に俺がやっても良いんだ」と言う。
つまり、(お前の代わりなどいくらでもいるんだぞ!)と言うわけだ。
確かに俺がしていた事など、別に特殊な力が必要なわけではない。誰でも出来た。
彼らに逆らえば、仕事が無い。

だから、俺は営業らのワガママに粛々と従っていた。

営業は俺に依存している、と思っていたが、今から考えてみたら、俺も営業らに依存していたのかも?

共依存』というやつだ。

互いが、互いの存在に依存しているのだ。
どちらもどちらを"頼り"にしたり、依願しているから、その関係性が壊れる事を極端に嫌がる。
『お前に任せなくても…』と言われたら、非常に困った。
困るから、『その仕事は俺にしかできませんよ』と思いたく、営業の方はそう思って俺が言うことを聞くことを喜んでいた。

そんな俺を見て、(コイツは"言いなり"になる)と思った馬鹿が社内に何人かいた。

ある日、同じ課の同僚から市内のスポーツジムに誘われた。
実はその前に俺は課長から別のスポーツジムに誘われて入会していた。初めは乗り気ではなかったが、元来体を動かすのが嫌いではないので、俺はそこそこハマっていた。

その同僚に誘われたスポーツジムも悪くはなかった。と言うより、ジムに対して拘りがなかった。
すると、同僚は「このジムに入会しろ」も言い出した。
俺としては、課長から紹介されたジムを辞めにくい。
その事を告げると、同僚はまるで吐き捨てるように、

「そのジム、辞めたら良いじゃん?」

と言い放った。
こちらの人間関係を全く理解していない。
(俺がここまで言っているのだ。わかるだろ?)という上から目線。

これにカチンと来た。

また、そのジムは同僚からすれば、帰宅途中にあるが、俺からすれば自宅から逆方向にあった。
その事を言っても、「辞めたら良いじゃん?」のままである。
(コイツ、頭がおかしいのか?)と本気で思った。
本人は『俺は良い提案をしてやっている』と言う雰囲気であった。

俺はジムを"移籍"する事が無かった。
俺が自分の思い通りにならないと見るや、同僚は俺から離れていった。
こちらとしたら、一向に構わなかった。

俺は子供の頃から思っている疑問が浮かんでいた。

『何故、他人は俺の"勝手"を許さないのか?』

前職で出会った、『唐揚げにマヨネーズ』をかける先輩が嫌いで、前面ライトが"キツい"車に腹を立ていたバイトの河野君(仮名)を思い出した。

人は、他人の勝手が許せない。

俺がどのスポーツジムに行こうが、それは俺の"勝手"だ。
何の問題かある?
お前に被害者ヅラする権利は無い!

この馬鹿(同僚)は、どうも俺の事を下に見ていて、俺にいろんな無茶を言ってきた。
休みの日に叩き起こされ、何故か営業の人間に連絡を取らされたりしていた。
(自分でやれよ!)と思った。
俺はお前の"部下"ではない。
だから、ジムも移籍しないし、お前の"命令"など聞かない。

俺が自分の思い通りにならないと分かると、馬鹿(同僚)は離れていった。
当然である。

『他人は自分の思い通りになる』
『何故なら、我々は良いことをしている』
そう思っているからだ。
だが、そんな事は無い。思い通りになる人間などいない。
ただ、この考えが"パワハラ"の根幹である。

俺の言う『他人幻想』だ。
それが進むと、『他人依存』になる。
『誰か、何とかしてくれる』
『俺の要望は、誰かが叶えてくれる』
『そうでないといけない』
『だって、我々は"良い事"をしている有益な人間だから』

そんな事はない。
馬鹿馬鹿しい。
部下や同僚に"依存"する人間は最低だ。


同じ頃、俺はプロレスに"戻って"いた。

プロレスはまだ総合格闘技人気に圧されていた。
"冬の時代"だ。
2008年の新日1.4を見に行ったが、客入りは2万3000程で寂しかったな。
メインの棚橋-中邑、ムタ-後藤戦はそこそこ面白かったが…。

イメージ 1


会社の人間に俺が『プロレスファン』を公言すると、よく小馬鹿にされた。

「あんなの八百長だろ?」
「何が楽しいの?」

確かに"八百長"かもしれない。好きじゃない人間からしたら、その楽しさは分からないだろう。

だか、人が何を嗜好しようが、何を好もうが構わないだろう。

「…俺は好きなんだよ。俺の勝手だろ?」

そう言うと、皆、苦笑い😅して去っていった。
それで、自分の意志通りにならない、自分の意志を"尊重"しない俺に怒っていた。

なんで、他人は俺の勝手を許さないのか?

別に良いではないか?
プロレス好きで悪いか?
(4、5年、MMAの方に片寄っていたが…)


平成維震軍が好きで、

イメージ 2


UWFに夢を見て、

イメージ 3


イメージ 4


小橋建太の復活に涙する💧俺は、プロレスファンであり、それは"自由"だ。

文句があるか?

プロレスには俺の"根元"がある。
やはり、楽しさがある。
最高だ。
誰に何を言われても、最高だ。楽しい。
そう思うのは、俺の"勝手"だろ?

俺は会社では営業の皆に依存し、プライベートではプロレスに依存していた。

何に"依存"しようが、これもまた人の自由である。

おかしな話したが、営業などからの要求には(クソが!)と思い、プロレスの引かれる自分には(俺の勝手だ!)と思いながら生きていた。

よく考えたら、かなりおかしい。
縛られたくないが、俺は俺の"価値観"で縛っている。
自由なのか、不自由なのか分からない。
ただ、働いて、金を得る事が出来、嬉しかった。

そうして、周囲に甘えて生きる俺に、悪夢が待っていたのだ…。