鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学53 差違

地方出版社を解雇されたオレは、すぐに再就職先が見つけられず、派遣などで様々な仕事をしながら糊口を凌いでいた。

そんな中、とある"データ入力"の期間派遣の仕事をしていた。

午前9時~12時、休憩を挟んで13時~17時半の仕事だった。
とある資料を見て、必要なデータをピックアップし、それを再入力するような仕事だった。
当時(2006年辺り)から"個人情報管理"が叫ばれていた。

午前の仕事は12時で終わりなのだが、扱った資料の管理がかなり厳重であり、その資料の保存に時間をかけていた。
実質11:55に仕事は終わり、残り5分は資料が無くなっていないかを、一枚ずつ確認して、担当者に確認、さらに確認して、専用の保存ボックスに入れる。
これが、10分かかる。
なので、5分ほど休憩時間が減る事になる。

これに一緒に働いていた作山(仮名)がキレ出した。

契約上、昼休憩は12時~13時となっている。資料の保管に時間を食い、「休憩時間が不当に削られている!」と言い出した。
この言い分は100%正しい。
契約で『昼休憩は12時~13時』となっているのだから、5分も1分も一秒も侵害されてはいけない。

だか、オレは作山の主張に賛同しなかった。
たかだか5分少々である。休憩中になにか用事があるわけではない。

「そのくらい、別に良いだろ?」

と言ったら、彼の怒りがこちらに向けられた。

『こんな不利益を被っているのに、何故、アンタは怒らない?」
さらには、
「普通は"この5分"だけでも時給を付けてくれるはずだ。これはおかしい。俺は悪くない。こんな不利益を押し付けてくる派遣会社、もしくは派遣先は間違っている!」

まさにsocial relevance assessment(社会的適合評価)である。
5分だけだろが、仕事は仕事である。
雇用主であり、契約者である派遣先はこの5分にも給与を与えないといけない。

そういうのだが、そう言われると余計に作山の主張に賛同したくなくなった。
それにやはり、5分程度の遅れでガタガタ言いたくなかった。


…今になり、改めて思う。

何故、作山はあんなにも賛同しない俺に怒ったのか?

一つの物事に対し、人間は各々様々な印象を持つ。
それならば、この"5分の遅れ"に対し、どんな印象を抱こうと自由である。
「この5分にも金をだせ!」というのも、「別にいいんじゃない❓」というのも、自由だ。
誰かに規制されるものではない。

例え、作山が「これは社会におかしい。」と、social relevance assessment(社会的適合評価)を主張してもそれに賛同するか、どうかは自由だ。

しかし、作山からするなら、「"社会的適合評価"と照らし合わせてオレは間違っていない。オレの考えに賛同しない奴は皆、敵か、もしくは"裏切り者"だ!)

…となる。

だが、俺には休憩時間の5分が削られようが、俺にはどうでも良い話であり、気にならない差違である。

それが作山には、気にならないのだ。


昔、第一次UWFが崩壊後、前田日明は新日のリングにUターンしていた。

そして6人タッグで長州の顔面を真横から蹴り上げて眼底骨折の重症を負わせ、新日を解雇された。

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以前(新社会人編)書いたが、これはかなりおかしいな話だ。

プロレスのタッグマッチを観たことのある人間ならば分かるはすだ。

試合権利のあるレスラーのどちらかが、絞め技や間接技で捕まった際に、タッグパートナーがリングに入り、それを解除させる、いわゆる"カット"という行為は、頻繁に行われるプレーだ。

確かに試合権利の無いレスラーがリングに入りるのは反則だが、『レフェリーが5カウントする内ならば有り』だ。

どのプロレス会場でも、試合でも行われている行為であり、真横どころか、相手の死角からもっとエゲつない行為でカットに入る者もいる。

あの前田の"行為"が反則であり、会社を解雇されるのなら、他のレスラーは何百人、何百回と解雇されなくてはならない。

…ここで賢明なプロレスファンは気が付くだろう。

プロレスはやはり"八百長"であり、『レスラーを傷付けはならない』という不文律があるのだ。

だから、前田は解雇されたのだ。

もしも「プロレスは真剣勝負だ」と信じていたら、前田の解雇は相当おかしく映るはずだ。


プロレスの"ルール"を破った前田は、
例の作山(仮名)の主張から見れば、プロレスという"社会"の"普通"から不適合と見なされたのだ。

からしたら、5分の休憩時間が削られようが、時給が発生しようが、そんな差違は気にならない。

しかし、プロレスが筋書き有りの"八百長"か、筋書き無しの"リアルファイト✊"は大いに気になる。

自分が気になる差違が、他人が必ず同じように差違と感じるかは、わからない。

解雇された前田は、第二次UWFを始めた。
それは『リアルっぽく見えるプロレス』であり、プロレスの"枠"から出ないものである。

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従来のプロレスとは違うプロレスに過ぎない。

しかし、リアルファイトにこだわる俺は、UWFの流れを汲む、Uインターにハマったのだ。

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それはよく見たら"プロレス"だったのだが、『リアルなプロレス』(かなり矛盾な言葉だが…)だと思いたかった。
他人には、気にならない差違だが、俺には気になりまくる差違だ。

自分と他人には"差違"がある。必ずある。

最近、とかく"多様性"が叫ばれている。
『あなたと他人は違う。』
『世の中には様々な人間がいる』

口で言うのは簡単だ。
しかし、それを本当に理解出来る事は難しい。
ついつい、「普通は…」とか『社会人として…』と

作山の例を見たらわかるように、たった5分の時間にこだわる人間がいて、プロレスかリアルファイトかを気にしていきていた俺がいる。

果たして人間は、差違を越える事が出来るのか?

俺は、かなり難しいと思う。

これは常に人には『差違のある』と思って置く必要だ。social relevance assessment(社会的適合評価)のsocial(社会)や、普通など人それぞれだ。

あなたの近くでは、適切な事かもしれないが、別のどころかでは不適合かもしれない。

そういうものなのだ。

「それは社会人として…」、「普通はさ…」などと言い出す奴には注意しろ。
そいつだけのsocial relevance assessment(社会的適合評価)をしてくる可能性があり、作山のようにそれを主張し、自分を"正当化"してくるのだ。

彼らは、他人の差違を認めたがらない困った人間だが、それもまた差違なのだ。

ややこしい話だが、厭な『差違を認めない』という差違なのだ。

そんな人間さえもまた差違なのだ。

世の中は差違だらけで、差違の無い社会は無い。
ただ、"認めない他人"がいるだけなのだ。

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