鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学55 teachingとcoaching②

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指導者は何故、暴力を振るうのか?

元巨人の桑田氏が言っていたが、
自分が指導するアスリートを殴ったり、蹴ったり、暴言を吐いたりしてもスポーツが上手くはならない。

だが、スポーツ現場での"暴力的な指導"は止まない。

何故か?

スポーツを始める場合、誰もが指導者に"教え"を乞う。
そのスポーツのルール、やり方、技術etc.を教えて貰い、上手くなるためのコツを教えてもらう。

ここまでは日本的には"師弟"である。
師匠と弟子。
弟子は師匠の教えを信じ、模倣する事でそのスポーツに対する技術を上げる。

ここまではteaching(教育)である。

そして、ある程度技術的に"上達"したら、次はcoachingである。

少しでも良い成績や"他者"を圧倒する技術、精神力を養う。

日本人にはこれが出来ない。(出来にくい)

何故なら、"弟子"は自分の所有物であり、指導者の自分が弟子に寄り添って、技術や精神的な向上などをする事などしたくはないからだ。

では、指導者は技術が向上した弟子に何をするのか?

"ミスの指摘"しかない。

「そんな事だからお前はダメなんだ!」
「なぜ、ミスをする。馬鹿野郎!」

よく考えてみれば、これはおかしい。
スポーツにおいて、ミスをしないアスリートはいない。
特に団体競技ならば、必ずミスは出る。

本来はそのミスの原因を解析し、再発を防止するのが、coaching(指導)である。

ミスを指摘するだけなら、誰でも出来るのだ。

『何故、そのミスをしたのか?』
原因を追求し、またミスをしないようにすることをアスリートと共に考えてみるのが、coachingであり、指導者(コーチ)の在り方である。

指摘し、怒鳴るのは違う。
殴るなどしても、ミスは減らない。

何故なら、それでは根本的な解決にはならないからだ。

という事などは指導者には分かっていないだろうか?

だからこそ、coachingができない指導者は、暴力に"走る"。

"弟子"に暴力を振るい、自分の権力を見せつけるのだ。

この指導者に悪気は無い。
なぜなら、弟子が自分に"従う"のは当たり前であり、弟子は自分の"所有物"である。
弟子は自分の思った通りにするのが、当たり前であり、それが弟子の"成績"を上げる『唯一の方法』なのだ。
(…そんな事はないのだが)

"暴力的な指導"とは、師匠たる指導者の"権力"の維持ではないか?

"どうしてもしてしまうミス"を指摘し、暴力を振るう。

問題は、指導者(師匠)が元々はteaching(教育)として、そのスポーツの"手解き"をしたので、例えcoachingできなくても、暴力を振るわれても、従ってしまう。

師匠からミスを指摘されると、それは良いことではないので、納得してしまう。
ぶん殴られても、それを"愛のある指導"と受け取る。



あくまでも、俺はスポーツにおける暴力を否定はしない。
teaching(教育)の過程では、暴力をしないとわからない人間もいる。
…あくまで"教育"だ。

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だが、coachingは違う。
いくらその選手を殴ったりしても、技術は上がらない。
意味がないのだ。

だから、指導者からの暴力は"弟子"に対する支配要求ではないか?

『お前は俺の弟子だ。だから俺の言うことは全て聞け!』

それはteachingの限界であり、自分の権力の維持でしかない。

俺の高校は、以前野球部が強く、野球部が幅を効かせていた。
確かに野球部は厳しく、野球部の連中は毎朝、放課後と練習しまくり、コーチの先生からよく殴られていた。

よく野球部の連中から先生に殴られたという話を聞いた。

その時、思った。

何故、あんなコーチに殴られるのか?
そのコーチ(先生)は、でっぷりと太っていて、傍目にも野球が上手くは見えなかったからだ。
そんなコーチに「ミスするな!」と怒られても、

「それじゃ、アンタがやって見せてくれよ」😠

と言い返したら、コーチ(先生)はどうだろうか?
また殴られるだろうかな?

『野球が上手くないとコーチをしてはいけない』などという"ルール"は無いが、怒鳴り付け、殴り付けるならば、オマエ(コーチ)がミスをしないプレーが出来るなければ、納得しないであろう。

できないなら、暴力など振るうなよ。

誰も得しない。
それに"暴力"は指導者の限界である。

暴力でしかcoaching出来ない奴は、指導者ではない。
自分の"権力"を示したいだけの、器の小さな人間である。

指導の限界を感じ、暴力的指導の"無力"さが分かる指導者が次に獲たがるのは…。

その"権力"そのものだ。

それの最たるものが、そのスポーツを統べる"協会"などへの関与だ。

自分の"地位"を固定し、常に尊敬を集め、自分を崇め"奉って"欲しいのだ。

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『俺はここまで、"力"があるのだ!」
と誇示したいのだ。
暴力という名の指導に無理があると思うから、こうした"権力"を獲たがるのだ。



プロレスにおいても、コーチはいる。

それはあくまで体力的な指導までしかしない。

何故なら、『どうしたらプロレスの試合を盛り上げるか?』などは、指導でどうにか出来る話ではないからだ。

そのレスラー個人のキャラクター、ムーブメント、性格など、それはレスラーそれぞれに違い、一口に指導はできない。
指導法も様々だ。

"プロレスを上手くする方法"は、かなり難しい。
教えて出来る事は無い。(と思う)

コーチが出来るのは、体力的な"教育"でしかなく、"指導"はレスラー個人が体得していくしかないのだ。

『経験を積むしかない』のだ。
coaching(指導)は誰もできない

だから、プロレスには体罰がない。
暴力的指導のしょうがないからだ。

よく聞くレスラー間の"縛り"は、人間関係の嫉妬や好嫌であり、プロレスはそれさえもリングに上げて、観客を煽る。
あれも経験から来るプロレスの"やり方"だ。

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プロレスに"体罰"、"暴力的な指導"は無い。

指導などできないからだ。

『どうしたらプロレスが上手くなるか?』は誰にもわからない。

プロレスに"コーチ"はいない。
内包的、技術的な指導が出来ないから、体罰はない。

師弟関係を技術的指導に持ち込めないなら、その上下関係を持ち込めない。
そこに"パワハラ"が起きるのだ。

プロレスラーを見ていれば、暴力的指導の意味は無い事がわかる。
(…レスラー間の"かわいがり"、イジメの話はよく聞くが)

レスラーがよく聞く"暴力"は、本当に純粋な暴力だ。

…それは、それでダメだが、"指導"の名を借りた暴力より増しだ。
指導という正当性がないから、イヤなら"逆キレ"してしまえば良い。
指導ではないのだから、"拒否"できる。

指導というパワハラをしてくるコーチ。
coaching出来ないコーチ。

そんな馬鹿を存在を"拒否"できる。
拒否すれば良い。それでもしてきたら、それこそ"サミング"(目潰し)してやれば良い。

他のスポーツで"暴力的な指導"を拒否し難いのは、そこに"師弟関係"(極めて日本人的な考え)があるからだ。

逆に言えば、"師弟関係"さえ否定すれば、人はcoachingを受けられ、スポーツにおいては実力をUP出来るかもしれないのだ。

暴力は、スポーツの技術的指導ではない。
そして、暴力的な指導の先にパワハラがあり、その前提にteachingという師弟関係がある。