「アイツら、付き合っているらしいぞ」
↓
ただ男女の友人が並んで歩いていただけ。
「昨日、酒🍶飲んでいただろ? 俺も誘えよなー」
↓
ただ着信に気付かず寝ていただけ。
「おまえ、あの店、好きだな~」
↓
たまたまその店から出てくる所を見ただけ。月に1度くらいしか行かない。
「パチンコばっかりしてんじゃないよ」
↓
俺はパチンコをほとんどしない。
トイレを借りに入った所を見たらしい。
「○○は俺の事が嫌いなはずだ。だって、俺の話を無視する」
↓
ただその友人の話がつまらなかっただけ。
……と、終始、勝手に思い込みをして怒っ足り、悲しんでいた。
話を詳しく聞けば、『何故、その情報量でそこまで思い込みできる?』という、僅かな事で深く思い込む。
思い込むだけならまだ良い。それは俺もする。
しかし、思い込みは時に"誤り"だったりする。
事実誤認や偏見により、そういう風に思い込んでしまう。
ならば、俺は謝る🙇。
だか、その友人は違う。
謝らないのだ。
『それは、そういう風に思い込ませた奴が悪い。俺は悪くない』
つまり、『付き合っている風な二人』が付き合っいないのは、その二人が悪い。
自分の電話に出ない俺が悪い。
あの店に行かない俺が悪い。
また、パチンコをしない俺が悪く、自分の話を無視する人間が悪い。
思い込みは、そう"思い込ませた"相手が悪いのだ。
そういう態度を取るのだ。
自分は被害者であり、思い込ませた相手が加害者であると言わんばかりに主張する。
どう考えても、思い込みは思い込んだ奴が悪い。
意図的にそうした場合もあるが、確証がなければ信じなければ良いのでは?
そして、何故、思い込みが外れると怒る?
怒る必要は無いのに。
その理由が分かった事があった。
ある日、その友人がキレて💢いた。
それは「最近のグラビアアイドルは、何故、あんなに次から次へと出てくるのだ?」という、よく分からない怒りだった。
当時、よく漫画雑誌の表紙にアイドルの水着グラビアが載っていた(…今もか)。
可愛いアイドルが大胆な水着姿を見せていた。
俺もよく見たなぁ。
小池栄子、優香、乙葉、吉岡美穂、MEGUMI…。
全盛期だったな、と思う。
友人が言うには、
その"グラビアアイドル"の"ピーク"が早い、と怒っていた。
「『この娘、可愛いな😍』と思っていたら、二、三ヶ月したらまた別の可愛いアイドルが出てくる。…全く、どうしたら良いのか💢」
…そういうものでは無いか?
アイドルと同じように流行には流行り、廃りが有り、1度人気になってもそれが永続的に続くとは限らない。
「何故だ。何故、"固定"しない? 次から次へとグラビアアイドルが出てきたら、誰を応援したら良いか、わからなくなる。…俺を迷わせたいのか?💢」
…だから、それが普通だ。
「もし俺が好きになったグラビアアイドルの人気が下がったら、どうなる?」
ここで分かった。
この友人は、"グラビアアイドル"が好きなのではなく、"グラビアアイドルを応援している自分"が好きなのだ。
だから、友人からすれば、自分が応援しているアイドルを見た他人が、「おまえ、あんなアイドルのファンなの?」と言われるのが絶対に嫌なのだ。
人の嗜好は様々である。
自分が好きなアイドルを勝手に応援すれば良いのだが、彼からしたらグラビアアイドルを応援する自分もまた他人から『凄い』(?)と思われたいらしい。
さらにはこんな事も言っていた。
「世の中のグラビアアイドルを競わせて、誰が1番か決めたら良いのだ。そのアイドルを応援すれば、俺に間違いはないのだ」
「俺が応援するアイドルが1番なら、それに越したことはないだろ?」
まるで前田日明のような発言("ごちゃごちゃ言わんと誰が1番強いか決めたらええねん")である。
彼の話を要約すると、『グラビアアイドル統一戦』的な大会を開き、そこで優勝したアイドルをみんなで応援すれば、間違いはないだろう、という事だった。
そうすれば、誰からもバカにはされず、安心してその"1番"のアイドルに熱を入れられる。
誰も損をしない。
この事から分かるのは、彼が"思い込みが強い"のでは無く、"思い込みたい"人間であるという事だ。
人の考え、嗜好、印象はその人によって違う。
自分にとってはそうであっても、他人から見たら別に思える。
自分の"Yes"は、他人には"No"かもしれない。
そう"思い込んで"いるのは、あなただけなのかもしれない。
他人から違って見えても、自分がそう思うのならば、それはそうなのだ。
自分がたまたま見た二人は交際していなくてはならなず、電話に出ない友人は自分を無視して、飲み会をしていて、"あの店"の常連で、パチンコが大好きで、自分の話を無視するアイツは自分が嫌いで無くてはならない。
それが単なる勝手な思い込みでも、そうでないといけないのである。
何故、人は"思い込み"をするのか?
人間は自分が大好きだ。
自分が1番可愛い。1番素敵に思う。
それを声高には言わないが、深層の奥で思っている。(俺もそうだ)
これが"自己愛"だ。
自己愛の世界には、常に自分しかいない。『自分が、自分を愛している』という自己完結の中にある。
しかし、社会は『自分しかいない世界』などあり得ない。
他人と関わらずに生きてはいけない。
他人からの評価や、印象で自分が決まる。
どうせなら、"格好良く"、"素晴らしい"自分でありたい。
だか、人の評価は様々だ。
自分が描いた印象通りに他人は評価してくるない。
グラビアアイドルの話で言えば、自分が気に入ったアイドルを他人も気にいるとは限らない。
何故、なら人の考えは自由だからだ。
(自己ユーティリティ)
他人からの評価、考えが、自分と違うと、人はまるで自分を否定されているような気になる。
自分の思い込みを否定されると、人は『自らが悪い』ような気持ちになる。
他人から攻撃されているような気になる。
別に責めてはいないが、自分が"Yes"なら他人もまた"Yes"でなくてはならない。自分を成り立たせられないのだ。
ならば、どうするのか?
そこで、social relevance assessmentは(社会的適合評価)だ。
先のアイドルの話で言えば、『1番』のアイドルを決めておいて、そのアイドルを応援しておけば、他人から『ダサい』などと"攻撃"はされない。
『あの娘が1番』と思い込んでいれば、自分は誰に攻撃されない。
むしろ、攻撃してくる奴が悪い。
何故なら、その人間は"社会"と適合していないからだ。自分が応援するアイドルが『1番』だと、みんな(社会)で決めたのだから、それに異を唱えて攻撃してくるのは、その人間が悪い。
『自分が攻撃されるかも、しれないから、先に自分を守っておく』
これが自己防衛だ。
自分が大切だから、攻撃されないうちに自分を守る。
国会で話題になる『集団的自衛権』と似ているかも?
守りたいのは自分であり、自分が可愛い。可愛い自分が傷付きたくないから、自分の"思い込み"を他人にも"思わせる"たがる。
思い込みたいから、思い込んでいるのだ。
人は思い込みたい人間なのだ。
俺にもそんな時期がかつて、あった。
プロレスにハマっていた青春時代。
『プロレスなんて八百長だろ?』と言われる事が何よりも嫌だった。
自分の好きなものを"まがい物"と言われている感じがした。
プロレスは真剣勝負であって欲しい。
しかし、それはやはり"真剣勝負"とは言い難かった。。
例えば、プロレスには『ロープスロー』という"ムーブ"がある。
相手をロープに振ると、ひっくり返って返ってくるのだ。
そんな事が科学的に、人間の身体的にあり得るだろうか?
この点からしても、プロレスは真剣勝負とは言い難かった。
そんな俺が引き付けられたのが、UWF(当時はUインター)だ。
プロレス雑誌で見る"それ"は"真剣勝負"に見えた。
そこにはロープスローなどはない。
選手同士が格闘技を競う真剣勝負があった(ように見えた)。
しかし、レンタルビデオで見るとおかしな点が目につく。
1度決まったスリーパーから脱出できるのものなのか?
ローキックで体勢を崩した山崎(一夫)の顔を、高田(延彦)は何故、蹴りあげない?
UWF(Uインター)は、『真剣勝負っぽく見えるプロレス』でしかなかったのだ。
…ま、プロレス雑誌で掲載している事からしてプロレスだったのだが…。
Uインターは"プロレス"では?
そう思えてしまう諸端が見えてきた。
俺はここで、かなり自分勝手な"思い込み"をする。
この団体は『真剣勝負を標榜する格闘技集団』である。
しかし、格闘技の試合では生活していけないから"泣く泣く"、プロレスっぽい試合をして"日銭"を稼いでいるのだ。
だから、あんな真剣勝負っぽいプロレスを見せているのだ。
そう思い込んだ。
今からしたら相当無理のある"思い込み"だが、当時は本当にそう思っていた。
そう思い込めば、自分は他人から『プロレスなんて八百長だろ?』と攻撃されても、「お前、Uインターを知らないのかよ?」とか「真剣勝負のプロレスがあるんだぞ!」と"反撃"できる。
また当時、グレイシー柔術などの総合格闘技の話題を度々と目にした。
こうした奴らをUインターは倒してくれるはずである。
何故なら、彼らは『真剣勝負を標榜する格闘技集団』だからだ。
UWF(Uインター)は、正しい。
彼を応援している俺も、また正しい。
Uインターは、俺のsocial relevance assessmentであり、
プロレスの"守護神"であるべきだった。
自己防衛の手段として、UWF(Uインター)は、真剣勝負のプロレス(正確には真剣勝負でも勝てるプロレス)でなければならなかったのだ。
そう思い込むことが、当時の俺の"自己愛"であり、他人への自己防衛だった。
そうでなくてはならず、それ以外は全て"不可"だ。
ここまでは、「グラビアアイドルを統一せよ。そうしないと応援できない!」と怒る友人と変わらない。
それが完璧に崩れたのが、95年の"10.9"だ。
だが、Uインターが"プロレス"だと分かった時、俺は別に『絶望』しなかった。
思い込みが外れても、怒らなかった。
Uインターが"プロレス"をしている事は分かっていたし、それが『格闘技っぽく見えるプロレス』だとしても、それは『そういうプロレス』と思えば、理解出来た。
ロープスローは"あり得ない"が、プロレスならあり得る。
だって、その方が楽しいから。
…ただ、総合格闘技ブーム(2000年代初め)が来たら、俺はやはりに流れてしまったが。
UWFがプロレスだとわかると、離れていったファンがいたらしい。
また、UWF系(パンクラス以外)の団体を厳しく非難する記事を読んだ事もある。
その論調は『U系団体よ、嘘を付くな! お前らは"プロレス"だろ?』『まるで真剣勝負のように装ってファンを騙すな!』『詐欺師!』である。
だが俺は当時も今も、UWF(Uインター)に対し、『詐欺師!』とは思えない。
確かに、"Uインターが真剣勝負をしている"、もしくは"真剣勝負に強い格闘技集団"と思う事で俺は、自己防衛していた。
だが、プロレスの強さは身体的、技術的な強弱ではないことも分かった。
プロレスの"強さ"は、『いかに観客を興奮させられるか?』である。
もし単純な強弱を観たければ、MMA(総合格闘技)の試合を観れば良いのだ。
プロレスの興奮を知っていたから、全日本ファンからUインターのファンになった俺は、自分の思い込みが間違っていた事を、比較的楽に受け止めらた。
プロレスはプロレス。
様々なプロレスがあっても良い。
Uインターもプロレスである。
「プロレスなんて、八百長だろ?」
そう言われたら、今ならば、
「ああ、(たぶん)そうだね」と言える。
プロレスはショー👯である。
勝敗はあらかじめ決まっていて、戦うレスラーは協力しあい、観客を興奮させる。
…おそらくそれが真実だろう。
何故なら、その方が面白いからだ。
『UWFは真剣勝負である』は勝手な思い込みであり、自分を守りたいファンの希望だ。
"幻想"だ。
思い込みなのだから、好きに思い込めばそれで良かった。
人は何故、思い込むのか?
それは、そう思い込みたいからだ。
その方か楽で楽しいし、他人から攻撃されないのだ。
その思い込みが外れると、怒る。
何故なら、自分が攻撃され、まるで自分が悪く思えるからだ。
別に悪くはないのだが、思い込み通りではないと、人は自己愛を感じられない。
社会の中で、自分を確立できない。
社会が自分の思い込み通りではないからだ。さらに「悪いのはお前だ」と言ってくる(ように思える)
そんなもの『あ、そう?』と"受け流せば"良いのだが、友人のように『俺は悪くない』と気持ちからすれば、思い込みは、真実でなければならない。
そうでなければ、自分がいる意味さえ曖昧になる。
自己を愛せない人間は、防衛するべき何かも分からなくなるのでは?
人は自分を愛しているから、思い込むのだ。
友人のアイドル話に戻るが、他人がどのアイドルを応援しようが勝手であるなら、自分もまた勝手なはずだ。
ほっとけば良いのだ。
だか、自分の応援するアイドルが必ず1番でなくてはならず、それ以外は不可だ。
だから、『1番だと思い込めるグラビアアイドルを決めるべきだ』となる。
そして、月替わりで現れる有力なグラビアアイドルたちはそうした自分を否定する、"攻撃者"である。
友人の心理を分析したら、そうなるのだろう。
そう考えると、なんて哀れな友か、と思えるが、以前の俺もそれに近かった。
自己愛、自己防衛から解き放たれたら、そうはならないのか?
Uインターが『プロレスしかできない集団』と分かった時の俺のように、プロレスを自由に見れるのか?
自分を縛るのは、やはり自分でしかないのか?
それを探っていきたい。