鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学61 価値観

高校生の頃、俺の周りにはプロレスファンが何人かいた。(ほとんど新日ファン)

そう言えば、天林(天竜林業高校)の友人の新日ファンと蝶野正洋の喧嘩キックの角度や、新日vs全日について激論を交わしたなぁ。

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あの頃のプロレスファンの友人はどうしているのか?
Uインターから総合格闘技に流れた俺をどう思うのか?

そんな俺からすると、プロレスファンは3つに別れる(と思う)。

1、プロレスを"ショー👯"と理解し、それをオープンにしてプロレスを語るファン。
芸能人などのプロレスファンにいるタイプ。プロレスをバカにしているわけではなく、それがプロレスだということを前提にしてプロレスを見る。

2、プロレスを"ショー👯"と理解しているが、それをあまりオープンにしないで、あくまでも"競技"としてプロレスを見る。
俺はこれだ。
プロレスはショーであるが、スポーツとして見ている。

3、プロレスは"真剣勝負"である。
稀だが、こういうタイプのファンはいる。

『2』の俺からしたら、『1』のファンは非常に扱い辛い。その考え自体は"真実"であるとこちらも思っているが、大ぴっらに言われると何とも言えない。「うるさい!」と言いたいが、言えないところである。

また、『3』の人間を否定できない。

何故なら、プロレスが本当にショー👯であるかは、わからない。
……今まで散々『プロレスはショー👯だ』と書いてきたが、プロレスラーが実際に試合の勝敗を決めているシーンを観たことはない。暴露本や映画などで観ただけである。(あながち間違っているとは思えないが…)

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また、プロレスが真剣勝負だと思いたい気持ちは痛いほど分かる。

だから、『2』である俺からしたら、これまた非常に扱い辛い。

だが、逆に『1』の人間からすれば、『2』はプロレスの"嘘"を知りながら、真実を語らない"嘘つき"であり、
『3』はプロレスに幻想を抱く"愚者"である。

また、『3』からしたら、『1』、『2』はプロレスを侮辱する『裏切り者』であり、『犯罪者』でしかない。

この3つに別れていると、思う。
そして、3つのファンとも"プロレスが好きだ"という気持ちには変わりがない。(程度の差はあるが)


プロレスファンが、皆「プロレスは真剣勝負だ」と信じているというは、まさに"思い込み"である。

しかし、プロレスファン以外から見たら、全て"プロレスファン"である。
別にプロレスが真剣勝負だろうと、ショー👯だろうと、別に構わない。
興味がないからだ。

今まで"プロレス心理学"と題してプロレスの話を書いてきた。
だが、別にプロレスを観ないと人間の心理学が分かる訳ではない。
俺はプロレスは人間関係や、社会心理を学ぶのにもってこいだと思うが、別にプロレス以外から学んでも良い。

何度も書いているが、人間が何を信じようが、何から学ぼうが自由だ。

プロレスが素晴らしかろうが、何であろうが、別にあなたの生活が良くなることはない。
ファンの種類が3つに別れていようが、意味はない。
皆、プロレスが好きなのだから、プロレスファンはプロレスファンでしかない。

多様性がやかましく叫ばれているが、多様な価値観をみとめるのなら、他人の"異質性"を理解するしかない。

プロレスファンがその中でも細かく別れている事も理解しなければ、ならない。

その反面、人は他人をシンプルに"思い込み"たがる。
単純な枠組みに落とし込みだがる。

何故なら、その方が楽であるからだ。

『プロレスファンは皆、プロレスが真剣勝負だと思っている』方が話が分かりやすいのだ。

何故なら、自分はプロレスが好きでも何でも無いからだ。

別にプロレスを観なくても、好きにならなくても人生は豊かに過ごしていける。
プロレスから社会を学ばなくても、他にいくらでも学ぶ事ができる。

極端に言えば、俺には『人生の教科書』(大谷晋二郎)だが、別の人からすれば、『低俗な人間が喜ぶ下らないお芝居」(某評論家)である。

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そのファンの"区別"など斟酌するはずがない。

社会とはそんな風に他人を見ている。
自分の価値観は、他人の価値観と"等価"ではないのだ。

だが、俺からしたら、プロレスを"どう捉えているか?"は非常に重要なファクターである。

その一方で『プロレスなんて…』と思っている人間がいることも充分に理解している。

だから、"押し付け"はしない。
"竹原ピストル"の歌では無いが、『俺の言うことを含め、誰の言うことをも聞くなよ』である。

以前、『ダーツ🎯を勧めてくる友人に困り果てた』という話を書いた。
その友人の論調は『ダーツ🎯をすることが1番だ』という思い込みに彩られていた。

いやいや。
それは"こっち"が決めるって。

俺が散々書いて来たプロレスの話もそうである。
『プロレス? 知るか!』と言われたらそれまでだ。
俺の"思い込み"を貴方に押し付ける気は、サラサラ無い。(巻き込む時はあるが)

大事なことは、一つの物事に対し、常に自分なりの基準や尺度を持つことではないか?

"思想"、"考え"と言っても良いかも?

誰か言っていた思い込みを、『それは最高だ!』と安易に受け入れる人間は非常に危険だ。
単純に思い込む人間は、また他の考えにも、安易に取り込まれやすい。

他人の基準は、所詮は他人の基準である。

その先にある"多様な価値観"までを見て、"参考"にする程度が良いのだ。

時折、それが気に入らないバカがいる。
自分の思い込みこそが1番であり、他人の考えなど価値がない、と考える人間もいる。

そんな奴が、『人として…』とか『社会人ならば…』と聞こえの良い"社会適合基準"を引き合いに出して、自分の思い込みを正当化する。
従わない人間を差別し、卑しめ、排除する。

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価値観は自分で決めろ。
そして、その価値観は決して一つではなく、多様にあると覚悟しておけ!

…というのも、俺の"思い込み"、"価値観の一つ"かもしれないのだが?