鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学69 2010年の"白い天井"

2010年の年明けを俺は比較的明るく迎えていた。

前回書いた"パワハラ"課長は他の事務所に異動になった。

そして、俺は2月に『準職員採用試験』に応募する事を決めていた。

そう決めただけで、採用されると決まったわけではない。
なのに、俺は『合格するに違いない』と、勝手に思い込んでいた。
課長には忌み嫌われ、同僚からの評判は決して良くなかったのに、俺はそう思い込んでいた。

愚か、である。

だが、何故かそう信じていた。
明るい将来を信じきっていた。
『俺は公的保険機構の"準職員"になり、そして、"正職員"に昇格する』

そう信じていた。
ようやく俺にも明るい未来が来る。
ブラック企業、解雇…。
苦労(?)ばかり人生だったが、30を過ぎて、やっと報われる時が来たのだ。

と、同時に原因不明の"肩凝り"に悩まされていた。
前の年(2009年)の夏過ぎからだった。
強烈な肩の痛みに襲われ始めた。
会社を早退した日もあった。
それはおかしな"肩凝り"だった。

風呂に入っても痛みは引かなかった。
そして、突然、痛みが無くなる。

(慣れない事務仕事で首の血管が詰まったか? はたまた"トシ"か?)

その前の出版社の仕事もデスクワーク中心だったのにも関わらず、俺はこの"肩凝り"を『仕事の疲労』と"決め付け"いた。

…恐ろしい病気のサインとも気付かずに。

忘れもしない、2010年の2.18(プロレス的な日付の言い方)。
俺は事務所で倒れた。
強烈な頭痛で動けなくなったのだ。

休憩室で寝ていたが、眼を覚まし、課長(新任)に早退を勧められた。
どうやって帰ったのか覚えて無いが、俺は午後の5時に自宅に戻り、倒れるようにまた寝た。

手術後、家族などから何度も"記憶の有無"を確認されたが、幸い俺の記憶は大丈夫だ。
…この1日を除いては。俺はこの会社でぶっ倒れた日の記憶があやふやなのだ。

目を覚ますと、日付の変わる寸前で頭痛は治まっていた。
それでも俺は、

『こりゃ、キツいインフルエンザかな?』

と思った。
明らかに風邪などの症状では無いのに、俺は自分がそんな重大な"病気"とは思わなかった。

パワハラ課長はもういない。
出版社はクビになったが、こうして大手(?)保険機構に入れた。
準職員採用試験を受けた。

俺には明るい将来が待っているのだ。

そのまま寝た。

朝起きると頭痛がぶり返した。"肩凝り"も出た。首を数ミリ動かすだけで、体の芯が痙攣するほど痛かった。

俺は近所のクリニックへ向かった。
薬を貰い、速くこのインフルエンザを直すのだ。

だが、念のために受付で「なんか去年の夏から首の付け根が痛いんすよね…」と申し出た。

今から思えば、これが俺の生死を分けたかも?(大げさ?)
ここでCTスキャンを受けていなかったら、俺は"肩凝りだ"と思い込んで、治療が遅くなったかも?

スキャンを撮ると、クリニックの医師が順番をすっ飛ばして俺を呼んだ。

俺の頭部のスキャン画像には、頭の下、首の少し上、後頭部にボンヤリとした白い"花"が咲いていた…。

「君…、頭に腫瘍があるよ」

(…はぁ?)
言葉が出なかった。
頭に腫瘍? 脳腫瘍? 死ぬの?

それからは"嵐"のように日々が過ぎた。
クリニックの紹介で浜松医大病院に入院し、様々な検査を受けた。

俺の頭に出来た腫瘍は脳腫瘍の"ステージ2"。あの肩凝りは"肩凝り"ではなく、大脳と小脳の間に出来た腫瘍が俺の小脳を下に押し、首の頚椎と神経を圧迫していたのだ。
開頭手術での除去が可能であり、俺は3月末に手術する事になった。
医大に入院し、手術までに塞栓神経などの細かい準備手術をした。

俺としては、目の前で行われるそれや、俺の頭の中にある腫瘍がまるで現実に思えず、夢の中のように過ぎて行った。
つい先日まで描いた"明るい将来"が嘘のように思えた。

あれは、カテーテルでの脳内撮影手術の前日だった。
母が俺の元に会社からの"通知"を持ってきた。
準職員採用試験の結果だった。

……"不採用"。

紙切れ一枚で俺の"明るい将来"は消えた。
(…何も、こんなタイミングで送って来なくても)
俺は目の前が真っ暗になった。
(ここから俺の人生は変わる!)と思っていた。
脳腫瘍と分かっても、
(必ず治して、バリバリ働いてやる!)
と思っていた。
俺には、確かで明るく遣り甲斐のある仕事と将来が待っている。

そう思い込んでいた。
それが消えた…。
しかも、これから生死を賭けた大手術の前に、冷たく知らされた。

俺は"会社"の余りにも非人情なやり方を恨んだ。

…今から思えば、"会社"のやり方は別に普通だ。
俺が採用試験を受けたのは、脳腫瘍と分かる前だ。関係は無い。
また、もしも俺の病状を知って不採用としたなら、それも仕方ない。
どこの企業で"脳腫瘍"の人間を雇いかだるというのか?(この後、嫌と言うほど思い知るが…)

この時の会社の判断は極めて正しい。
俺が一人で『明るい将来だ!』と思い込んでいただけだ。
別に誰かと"約束"したわけではない。

2010年3月29日、俺の"1回目"の脳腫瘍除去手術が行われた。
俺の頭の腫瘍は少し珍しい種類の腫瘍で、16時間に及ぶ大手術だった。

麻酔から目を覚ますと、世界が縮み、言葉を失っていた。
頭の中に蝉でもぶち込まれたように耳鳴りがした。

腫瘍は半分しか取れなかったらしい。約6センチもある俺の腫瘍は脳内の血管にへばりつき、少しでも触ると大出血したらしい。

本当に死にかけた。

手術室から運ばれてくる俺を見た両親は、俺の死を覚悟したらしい。

俺はICUと普通病室の間にある"準ICU"に入れられた。何か異変があればナースが飛んでくる部屋だった。

腫瘍のせいで脳髄液が塞がれていた俺は、頭のてっぺんから管を通され、24時間、脳髄液を出していた。
つまり、ベッドから全く動けない。
しかも、手術直後は頭を少しでも動かそうものなら、脳内の嘔吐中枢が反応し、すぐに吐いた。

イメージ 1


なので、ひたすらベッドで病室の"白い天井"を見つめていた。
それしか、できなかった。
初めの2日程は手術の疲労もあり、睡眠を取ってやり過ごしたが、三日目からは、何もする事がなかった。

ただひたすら、白い天井を眺める日々。

そうしながら、俺は自分の"甘さ"を痛感した。
何が『明るい将来』だ?
そんなもの、こうして病気になれば簡単に崩れ去る。

そもそも、誰と約束した?
自分に明るい未来があると、契約した?

それは俺の勝手な"思い込み"だ。
"悪魔"はいつも自分の側にいる。

イメージ 2


何を"安堵"していたのだ?
何を"頼り"にしていた?
人生には、常に"悪魔"が顔を覗かせているではないか?

会社を信じた。こんな"不幸"な俺に、会社は必ず温かな"風"を送ってくれるはずだ。
そう思った。
ボロ雑巾のように俺を使い捨てたブラック企業…。
あっさり俺を切り捨てた、出版社…。

俺は"不幸な被害者"であり、『助けられるべき』存在である。

全て、俺の思い込みだ。

誰かに頼る時点で、それはあのブラック企業と一緒であり、出版社で『鈴木君、何とかしてよー』とゴネる営業と同じだ。
また、"自分は正しい"と俺にパワハラしてきた課長と変わらない。

愚かだった。

誰かが自分を救ってくれると、信じていた。
こんな俺は、必ず誰かが"拾って"くれると思い込んでいた。

甘過ぎる。

俺は今も、あの"白い天井"を思い出す。
頭に来る事、悲しい事、楽しい時も、あの何も無い、ただ黒いブツブツがある白い天井を思い出す。

どんな事があっても、あの"白い天井"の日々を思い出せば、何でも無い。

1日中、見ていた。見つめるしかなかった、あの日々…。

希望は失われた。
何の希望も見当たらなかった。
地獄の"底"のようだった。

『俺の人生、終わったかな?』

そんな事ばかり考えていた。