『自分を愛し過ぎない』と決めた俺に、そこから『そうしよう』決めている事がある。
それは『強い者いじめ』だ。
世の中には、"弱い者"がいる。
だが、それは弱い者側に問題がある場合もある。
仕事が遅い奴がいる。
何度言っても間違える奴がいる。
何回も指摘しても、動かない奴がいる。
こういう"馬鹿"は、ついつい攻撃したくなるのが人の常では?
俺も攻撃したくなる。
また、仕事が出来なかったり、ミスばかりする奴は攻撃されても仕方ないと思う。
皆が、多数で攻撃するのは『いじめ』であろう。
いじめられる人間には、それだけの理由がある。
攻撃する側は"強い者"であり、攻撃される奴らは、攻撃れるから"弱い者=弱者"だろう。
俺も"弱い者いじめ"が好きだ。
ズルい奴、マヌケな奴、言うことを聞かない奴…、攻撃されても仕方ないと思う。
思うからこそ、別に俺もそれに加わらなくても良いのでは?、と思う。
批判されるべき者は、批判されて然るべきだ。
皆が攻撃するから、"弱者"だが、弱者の側に問題があるなら、弱者は攻撃されるのだ。
みんなが攻撃してくれるなら、俺は別にやらなくても良い。
それは、攻撃する側(=強者)に任せたら良いのではないか?
俺が加わらなくても大丈夫だ。
『弱い者いじめ』は大好きだが、それは他の人に任せておこう。
放っといても、やってくれる人間はたくさんいる。
それに"敢えて"加わる理由もまた無いだろう。
それよりも弱者への"理不尽"ないじめ、強者からの独りよがりのいじめが気になった。
強者は理由が有って弱者を攻撃するが、無くても攻撃したり、やり過ぎたりする。
何故なら、"弱者"だからだ。弱者は叩きやすい。弱者本人が悪いのだから、抗弁の余地はない。
…皆で弱者をぶっ叩く。
強者vs弱者はプロレスの"シナリオ"の基礎だ。
圧倒的な強者に対し、弱者(と見られる)が懸命に戦い、時には強者が勝ち、時には弱者が"奇跡"の逆転をする。
(これが全てではないが…)
何度も書いているが、プロレスは作られた"ショー"だ。
リングで勝敗を"披露"して、観客の興奮を引き出すのが目的だからだ。
この観点から見たら、『弱い者いじめ』は、ただ『"強者を演じる者"と"弱者を演じる"』と見える。
だから、"弱い者いじめ"はあまり意味の無い"やり取り"かと思える。
だが、現実(リアル)の『弱い者いじめ』には理由無き、理不尽な"強者からの攻撃"がある。
攻撃している強者には、彼らなりの理由があるのだろうが、理不尽に攻撃された弱者はどうなるのか?
ブルーハーツの『青空』という歌の歌詞は中で、
『弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く♪』
という歌詞がある。
そう弱者は、強者から理不尽に攻撃されたりするが、強者を理不尽に攻撃しない。
自分より弱い者を叩く。
叩かれた弱い者は、必ず自身より弱い者を叩く。
自身より強い者を叩く事は無い。
そんな"シナリオ"を俺は散々見てきた。
これは"プロレス"ではない。
強い者が弱い者を叩いたら、今度は弱い者が強い者を叩かないと。
弱い者が理不尽に叩かれるのならば、強い者も理不尽に叩かれなければ、おかしいだろう。
"現実"はそうならない。
ならば、俺は『強者を理不尽にイジメよう』ではないか。
どんな場所、組織にも"強者"がいる。
そんな強者がいるから成り立っている可能性もある。
だが、それに俺は攻撃する。
理不尽に攻撃する。
理由などない。
上から物を言われるのが頭に来るから、攻撃する。
逆らう。怒る。減らず口を叩く。
強者だから、苛める。
叩く。抗う。絶対に逆らう。
何が何でも従わない。
絶対に許さない。
絶対に逆らう。
何故か?
それは相手が"強者だからだ"。
『強い』『偉い』『力がある』
それだけで、俺はそいつらを"いじめ"たくなる。叩きたくなる。
強者が理不尽に弱者をいじめるように、俺は理不尽に強者をいじめる。
別に弱者の味方をするわけではない。
そうした方が"バランスが良い"と思う。
理不尽に弱者をいじめる強者がいるなら、弱者を理不尽に強者をいじめる人間もまた必要だ。
それが社会には良い事だと思う。
(勝手にね♥)
だが、見極めにくい人種もいる。
政治家が、それだ。
己の主義の為に無節操に所属を変える議員。
選手を『メダルを獲る為だけの存在』かのように言う大臣。
批判したくなる。(大臣の発言はマスコミの"切り取り方"に問題がある気が…)
その気持ちはわかる。
だか、政治家は強弱の判断が付きにくい。
"強い政治家"は確かに強い。
しかし、弱い政治家は弱い。
それは政治家が基本的には我々民衆の"支持"を元に成り立っているからだ。
支持を多く得ている政治家は強者と言える。
しかし一転、批判され出すと弱い。
彼らは果たして『強者』と言えるのか?
ただ"叩きやすい"弱者に成り下がっていないか?
そうなった彼ら(政治家)を攻撃するのは、まさに"弱い者いじめ"ではないか?
だから、明らかに権力を持っている政治家は批判する。
だが、みんなが批判しだしたら、俺の興味はなくなる。
そうなった政治家はもう"弱者"だからだ。弱い者いじめは得意な人達に任せよう。
例えば、『日大アメフト悪質タックル』の内田前監督。
"あの"騒動以前、彼は"絶対"的な強者だった。
裁判では『直接的な指示はなく、障害罪に当たらない』とされたが、そんな馬鹿な話はない。
この監督の"圧力"があったのは違いなく、指示も何もなくても、その権力を振るいまくっていたに違いない。
そんな馬鹿は世間からいじめられて"当たり前"だ。
しかし、彼はもう強者と言えるのか?
障害罪に問われなかったとして、もうこの"パワハラおじさん"に監督を依頼する人間はいないだらう。
もうこの人は単なる『小汚いおじさん』だ。強者では無い。
俺が、理不尽に攻撃すべき対象ではないのでは?
こうなってもみんなが散々叩くだろう。
(そうなって当然。ざまあみろ!)
また、先にも書いたが、別に『弱者を助けたい』から"強者いじめ"をしたいのではない。
弱者が弱いのには理由があり、その人が"強く"なればよい。
(そうなれないのから"弱者"なのだろうが…)
自らより弱い人間を叩くのが、"強くなった"のではない。
弱者が強者に『抗う』『逆らう』から、"強い"のだ。
絶対的な強者を、理由無く叩くべきだ。叩くのが"強くなる"ではないか?
だから俺は"強者"をいじめる。
理由も無く、嫌いだから、いじめる。
自分を『愛し過ぎない』と決めているから、自分を平気で"捨てて"、強者に"挑む"。
これは『強者への挑戦』だ。
圧倒的に強いから、理由も無く反抗する。キレてやる。
"弱い者いじめ"は、他の連中に任せる。
俺は"強い者"に挑む。
強者が気に入らない、からだ。
気に入らないから揉める。何でも逆らう。絶対に従わない。
ひたすら強者に挑む。絶対に従わない。
強者が正しくても、逆らう。
それはプロレスの"悪役"(ヒール)だ。
理不尽に強者を攻撃し、卑怯な手を使ってもいじめる。
強者だから、だ。
それくらいで世間(社会)はバランスが良いと思う。
社会は"プロレス"だ。"プロレス"だから、強者との戦いを見せるべきだ。