鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学85 青木真也の"KY"理論

この前、ネットで格闘家、プロレスラーの『大抵の悩みは「うるせぇ、バカ」で片がつく』を読んだ。

俺は以前、彼の著書『空気を読んではいけない』を読んでかなり感銘を受けた。

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『大抵の悩みは「うるせぇ、バカ」で片がつく』とは、他者との"距離感"をどう取るか、そして他者に影響されない"生き方"を示唆するものだ。

『空気を読んではいけない』も、他者から無用の影響を受けない生き方を書いている(と、俺は思う)。

俺の初対面の際の『うるせぇ、バカ野郎!』理論と似ている。

他人にいきなり『うるせぇ、バカ野郎!』などと言う人間はかなり失礼だ。
非常に無礼な人間だ。
なるべく関わりたくない人間だろう。

だが、初対面ならば分からない。
その人間がいかなる人物か、分からないからだ。
"優しそう"、"礼儀正しそう"に見えて、いきなり『うるせぇ、バカ野郎!』と言う"失礼"な奴かもしれない。

それは関わらないといけない。分からないのだ。

そんな罵倒など受けたくない。『うるせぇ』などと言われたくない。

だから、人は他人と初対面に会うのを嫌う。恐れる。
他人か怖いのだ。
自分の"テリトリー"でしか、出会えない。

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だから、他人を自分の思った通りにしたがる。
自分が圧倒的に有利で、尊敬される"状況"を期待する。

『うるせぇ、バカ野郎!』などと言われない状況を作りだがる。

だからこそ、他人には「うるせぇ、バカ野郎!」と言うべきなのだ。

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そこで言わないのが、"KY"(空気を読める)人間なのだろう。

社会において"空気を読む"事は、別に悪い事ではない。
組織、集団の中で、誰かを想い、その意見、意識に従うのは良いことだ。

「うるせぇ、バカ野郎!」と反抗する奴は空気を乱す"愚か者"であり、和を乱す許せない人間だ。

しかし、『空気を読む』という事は、他人の"意識下に入る"という事だ。

それは幸せか?

会社を考えてみたらわかりやすい。

会社という組織は、"空気を読める"人間が重宝する。
誰かの意識を感じ、それを尊重する。
会社という集団の存在理由は『稼ぐ』事だ。
利益を出す事を目的にしている。
だから、『利益を稼ごう』という空気に従う事を強いられる。
当たり前だ。

その空気に従わないなどという人間はいらない。
そして、自分以外の誰かに従う事で、我々も利益(給料)などを得ている。

他人の意識に入り、他人に従って生きる事はそれなりに正しい。

それは"自分の考え"を否定してはいないか?

『俺は本当はこう思うけど、みんなはあああだから、止めておこう』

それは組織では"正しい"。
確かに正しいが、自分で考える事を放棄している。

だから、青木は『空気を読んではいけない』と言うのではないか?

そして、「うるせぇ、バカ!」はいろんな意図を含んで関わってくる他人をそう言って、突き放す事で誰かの意識下(支配下)に入るのを拒絶する。

「うるせぇ、バカ!」など言われたくないが、本当にその人間(自分)に関わる必要があるなら、「うるせぇ」と言われても近付いてくる。
「うるせぇ、バカ!」と言われて離れていく他人は"そこまで"の人間だ。

貴方を自分の支配下に入れたい人間では?
個人の考えや自由などは認めず、自身の"空気"だけを信じさせたがる。

…違うかもしれない。
単に『何だ、コイツは!』と無礼に怒る人間という可能性もある。

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だが、「うるせぇ、バカ!」と言われたくない人間を排除すれば、自然と自分と"本当に"関わりたい人間のみが残る。

自然と他人と"距離"が取れる。

不要な人間関係の煩わしさから解放する。
空気を読む必要が無くなる。

だから他人には『うるせぇ、バカ!』と言うべきなのだ。

そして、空気は読んではいけない。

自分の考えで、自分の意識で生きるのだ。
他人に従う人生は、まるで"他人"の人生ではないか?
それで生きて、利益を得たとしても嬉しいか?