鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学96 信者たちの黄昏

ブログを移籍したので、改めて俺がUWF“信者”になった経緯を書いておきたい。

 

俺がプロレスにのめり込み出したのは中学生二年の頃。

同じ部活の奴が全日ファンだった事が起因だ。

そこから徐々にハマり、高校入学の頃にはすっかりプロレスになっていた。

そんな俺が「プロレスが好きだ」と言うと必ず言われたのが、

 

「プロレスって八百長なんでしょ?」

 

という言葉だ。

「違う!」と否定したいが、テレビで見るプロレスはそれを否定出来ない。

相手をロープに振ると、綺麗に跳ね返ってくる…。

倒れた相手をフォールすると、必ず3カウントギリギリ(2.9)で肩を上げる…。

 

そんな“都合の良い”話があるだろうか?

 

俺はプロレスを見た時から、(これは何か“決まり”のある“ショー”のようなものでは?)と思った。

プロレス側はオープンにしていないが、プロレスは“リアル”ではない。 

そう思えた。

だから、「八百長!」の蔑視にも対抗できなかった。

そんな時に出会ったのが“UWF”だ。 

(俺が知った時は、もう4つに分裂していたが…)


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プロレス雑誌で見たそれは、リアル(真剣勝負)に思えた。

この世には“真剣勝負のプロレス”があったのだ!

 

俺はこれに激しくハマった。

何故なら、「プロレスなんて八百長だろ?」という侮蔑に対して、UWFは抗弁できたからだ。

 

「Uインター(UWFインターナショナル)を知らないのかよ? 真剣勝負のプロレスがあるんだぜ?」

 

そう言えたからだ。

 

だが、UWFインターナショナルは“プロレス”である。

おそらくだが、事前に“勝敗”が決められ、それに基づき、レスラーが“真剣勝負のっぽく闘う”のだろう。

 

近所のレンタルビデオで“Uインター”の映像を見て、俺はすぐに疑った。

 

(これって、“プロレス”ではないのか?

 

柔道部の友人に腕ひしぎ十字固めを掛けてもらったが、痛くてとても耐えられない。

Uインターのレスラーは対戦相対のガードが下がっていても、顔に蹴りを入れない。

 

何故か?

プロレスだからだろう。

 

ここで俺はおかしな“理由”を思い付く。


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「この人たち(レスラー)は、格闘技者を目指しながら、仕方なく“食べる為に”、プロレスをしているのだ」

 

と本気で思っていた。

 

今考えたら、全く以て奇妙な話だ。

UWFUインター)はプロレスだった。それは真剣勝負に見えるプロレスだった。

 

自分の信じたものを『八百長』だとは思いたくない。

筋書きありの“プロレス”だと薄々分かりながら、俺はそれを真剣勝負だと、信じ込もうとしていた。

 

…そんな俺の“UWF幻想”が消え去ったのが、例の“10・9”だ。


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あれは“プロレスの変わった日”ではない。

UWF幻想が終わった日”であり。

 

…そんな話を、以前書いたなぁ。

 

俺は“UWF信者”だった。

UWFは最強だ。最強の格闘技だ。最強はUWFUインター)のリングでのみ決められ、そのリングで最強である高田延彦は最強だ。

 

だが、違った。

 

UWFはプロレスだった。プロレスの結末は決まっている。リング内の闘いはプロレスであり、真剣勝負に見せる闘いをしていたに過ぎない。

高田は最強ではない。

 

だが、“UWFインターナショナル”のプロレスラーとしたら最強である。

高田延彦はプロレスラーである。

だから、UWFUインター)はプロレスだ。

 

痛くない十字固めも、顔にこまない蹴りもプロレスだからだ。


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信者とは素晴らしいものだ。

信じているモノの為なら、どんな不可解な事も、都合よく湾曲し、解釈して、正当化する。

誰かが、「あんなもん、“マガイモノ”だ」と言われても、信じる。

「目を覚ませよ」などと言われても、そう言った人間を勝手に“攻撃”してくれる。とても便利な存在だ。

 

俺がそうだった。

UWFは真剣勝負のプロレス』だ。それを信じた。そう信じるには乏しいと、自身で分かっていたのに、自分の信じた“幻想”を信じた。

 

社会に出てから、そんな信者と、それを利用している恥ずかしいバカをたくさん見てきた。

 

信じるに足りない人間を信じて、ひたすら仕える信者。

信者に“崇められる”事を楽しみに、己の“小さな王国”を堅守したがるバカ。

 

そして、人は信じたいモノを信じる。

 

Uインター“プロレス”だと、分かっていても、“リアル(真剣勝負)”だと思いたかった。

 

だから思う。

社会とは、プロレスなのではないのか?

 

社会に出てから嫌な事ばかりだ。今もである。

信じていたものが、嘘だと分かっても、もう信じるしかない。

『人は信じたいモノを信じる』である。

 

己の内側から沸く怒りを信じる人間は、やはり、自分の信念を信じるのだ。

 

UWFは“リアル(真剣勝負)”という最強を見せて、俺を信じ込ませていた。都合よく、事実を曲げて信じた。 

プロレスはプロレスだ。それ以上でも無く、真剣っぽく見えようがプロレスだ。

 

幻想から覚めたからといって、俺はプロレスが嫌いにもならなかったし、“U系”団体のプロレスも嫌いにならなかった。

それがプロレスならば、プロレスとして楽しめた。

 

何故なら、興奮(ヒート)出来ていたからだ。

 

プロレスの基準は『興奮するか、しないか?』である。

UWFもプロレスとなれば、興奮(ヒート)出来る。

 

こうして今も、プロレスの事を書いているし、常に観てきた。

少し離れた時期(02~08年)もあったが、俺はプロレスが大好きだ。

 

とある格闘技好きな作家も言っていたが、

UWFがプロレスだったとしても、それはプロレスが格闘技に移行する際に、絶対に必要だった団体

だったのだ。


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  俺がこのブログのこの項で書きたい(書いてきた)事は、『誰もが何かの“信者”であり、信者とは何であり、その先に何があるのか?』である。

 

誰かを、何かを信じる事は悪い事でも無いし、禁止させる事でもない。

だから、誰もが何かを信じている。信者になっている。

そして、その後はどうなるのか?

信者だった事で、人間は、我々はどうなるのか?

 

UWF信者だった俺は、信者だった事に後悔は全く無い。

“真剣勝負のプロレス”など無かったが、Uインターがプロレスだとしても、興奮出来た。

それは、プロレスだからだ。

 

俺はプロレスが大好きだ。

プロレスは真剣勝負ではない。実力を競うものでも無い。プロレスはショー👯‍♀️である。

勝敗は闘う前から決まっていて、レスラーは二人で観客を興奮させる為に、それを行う。

Uインターもプロレスだ。ショー👯だ。

 

UWF(Uインター)の信者だった先には、やはりプロレスがあったのだ。

 

では、社会に生きる我々の先には何があるのか?

 

それを知りたい。

何かを信じて、その先には何があるのか?

 

そして、そうなる心理は何故なのか?

 

プロレス=社会、なのなら、我々が信じた社会は何を見せてくれるのか?

プロレス同様、興奮(ヒート)するのか?

 

…それが知りたい。