長州力に嫌われたレスラーが三人いる。
そして、小川直也だ。
小川は長州との対戦後、「誰も言わないけど、…長州力は、アスリートとしては、終わっている」「新日本ファンの皆さん、目を覚まして下さい!」と発言した。
俺はこれを聞いたとき、(…?)と思った。
この頃(2000年前半)、長州は“既に終わっていた”し、「目を覚まして…」は、既に“覚めていた”。
前も書いたが、96年に長州力は新日の真夏の祭典G1で優勝した。
俺がプロレスを観始めた頃、長州力は完全なベテランレスラーであり、ピークを過ぎたプロレスラーであった。
この時点で長州はレスラーとしては、終わっている、と思った。
そんな長州が、新日の最強を決める真夏の祭典G1で優勝する?
…繰り返すが、プロレスはショー👯である。その勝敗はあらかじめ決まっている(…と思う)。
だから、新日の“現場監督”である長州は、自身の優勝を、あらかじめ“決めた”事になる。
俺にとって、『長州力優勝』はかなり奇妙に移った。『俺はまだまだ現役だ』というアピールにしか思えなかった。
(…:こういう“ブック”を見せて、満足すると思うのか?)
俺が新日に“疑念”を抱く契機になった事である。
断っておくが、新日本プロレスは間違いなく日本プロレス界の盟主であり、話題性や盛り上がり、熱い闘いは、プロレス界の“中心”なのは間違いなかった。
この年、例の『新日本vsUインター』の“10.9”が行われる前である。
この大会は凄まじく当たった。
東京ドームの動員人数を更新し、爆発的ヒットした。(俺の中で、U幻想が終わった…)
これが、長州のピークだったように思える。
10.9は爆発的なヒットをして、『プロレスが変わった日』とまで言われている。
だが、その後、新日本プロレスと日本マット界は迫り来る総合格闘技(MMA)の波に押され、大きく減退した。
小川が「目を覚まして…」と言った頃は、プロレス界はかなり総合格闘技(やK-1)に“喰われていた”と思う。
平成の始めから13年程(1989~2002)の新日本のプロレスは、完全に“現場監督”長州力が仕切っていた。
96年のG1優勝のような“イレギュラー”もあったが、その間、新日はそこそこ充実していたのではないか?
そのピークが“10.9”であった。そこからの6年間(96~02)は少しづつ長州“政権”は壊れていった過程である。
…“グレイシー柔術”という“黒船襲来”は多少不幸だったが。
(また別の項で…)
アスリートとしては既に“終わっていた”長州だが、“プロデューサー(現場監督)・マッチメイカー
”としては平成の前半部のプロレス界の中心だった。
それを終わらせたのが、小川のあの発言だと思う。
『目を覚まして下さい!』は、俺には『もうこの人(長州)の描くプロレスは“古い”よ!』という指摘ではなかったか?
長州力の思う“プロレスラー像”と、格闘技の匂いが濃厚に漂う当時のマット界は、噛み合っていなかったのではないか?
プロレスファン(特に新日ファン)はその事に気付くべきだったのか?
いや、薄々わかっていたのを、改めて“念押し”したのだ。
長州は武藤らが退団すると、責任を取らされる形で現場監督を外され、新日本から退団した。
そして、“地獄”のWJプロレスを立ち上げるのだが、これが現在まで続く日本マット界の“流れ”になっている。
この『目を覚まして…』のポイントは、『アナタはどこで“目を覚ます”のか?』である。
プロレスを見始めた俺は、全日から入り、次第に新日に移行していた。U系団体のリアル(っぽい)プロレスに惹かれながら、やはりテレビ放送(ワールドプロレスリング)のある新日本は外せない存在だった。
95年のG1、武藤の優勝✨は鮮やかで印象的だった。
だが、96年の長州の優勝はやはり『?』だった。
あそこで俺は“目が覚めた”。
で、“リアル”を求めて、UWF(Uインター)に没頭していたら、“10.9”で“U幻想”が終わった。
何かを信じ、何かに惹かれている人は必ず、覚める時が来る。
永遠の愛、最強の格闘技、孤高の天才、最高の組織が無いように、そう思えたモノは、そう思った時点から、失くなり始めてしまう。
人間は自身と信じたいモノを信じる“信者”だ。
そして、人間は誰かに信じてもらいたい。
信者が欲しい。
自分を慕い、信頼し、都合良く捉えてくれる信者が欲しい。
利害関係を一緒にする(癒着)すれば、それはもう信者であり、自分の意のままに動いてくれる。
何故なら、信者だからだ。
自分を信じてくれるからだ。
そして、信者は目を覚ます。
では、目を覚ました先にあるのは何か?
「嘘つき!」
「騙したな!」
「詐欺師!」
そう言いたくなるだろう。
だが、プロレスはその存在が“真剣勝負”という“嘘”だ(と思える)
それに長州はファンを「新日は真剣勝負だ」と騙していたのではない。
長州は「プロレスの本質は?」という問いに対し、「サプライズとインパクト」と答えている。
プロレスの本質を知っている発言だ。
だから、ファンに“それ”を見せていただけなのだ。
だが、その“プロレス”が観客(ファン=信者)と合わなくなってきた時、信者は目を覚ましてしまう。
プロレスの元が“嘘”なのだから、仕方ない。
小川直也の「目を覚まして下さい!」を聞いたファンの気持ちは
「そんな事はお前に指摘されなくても分かっているよ!」
ではなかったか?
それは、あの時の新日が既に世間とはズレだしていて、現場監督である長州の“プロレス”は終わっている、という事だったのではないか?
この時期(2002年)から、プロレスは“冬”の時代に入る。(俺も総合格闘技に浮気)
それでもプロレスは、無くならなかった。
プロレスは今日も存在しているし、長州力はなんだかんだと言いながら、芸人に物真似されても、今年(2019年)までレスラーをしていた。
長州力は人を騙した卑劣な“詐欺師”か?
いや、違う。
自分優先で、プロレス界という“小さな世界”で威張りたい矮小な人間ではあるが、プロレスという夢を見させてくれた偉大なるレスラーだ。
最盛期は、その一挙手一投足が話題になり、現場監督になってからは、信者(ファン)に“サプライズとインパクト”を与えてくれた。
つまり、“目覚める”、“目覚めない”は信者の勝手なのだ。
利害関係にまで話が及ぶと、また違ってくるが、信じたモノが果たして、『信じるに足るか?』をいつも思っていれば、間違う事はない。
何を信じてもよいが、何を信じなくても良い。
また、信じてくれても良いが、信じなくても良い。
長州のように自分と癒着しないと、関係性を結べないから、小川に「目を覚まして…」などと言われてしまうのだ。
癒着という言葉に違和感があるのなら、“共通項”と言っても良い。
長州は他人と“共通項”を持てないと、関われない人間だ。
他人が怖いのだ。
他人と共通項を持っていないと、関われない。
自分の奥さんになる女性に対し、初対面でマネージャーを同席させ、受け答えさせたほど他人が怖い。
だから、他人と共通項(癒着)し、自分の支配下に入らない人間(西村、橋本、小川)が大嫌いだ。
彼らはそれだけで、長州力という人間を否定しているかのような人間だからだ。
恐ろしく“臆病者”な人間だ。
自分の小さな世界から出たがらない、器の小さな人間だ。
小川直也の言った「目を覚ましてください」は、そうした長州の“臆病”さをしてきしているのだ。
そして、そんな長州はファンに“興奮”という幻想を見せて、支持されていた。
目を覚まさなければ、長州力は最高のプロレスラーである。
だが、目を覚ませてしまえば、小さな人間の臆病者でしかない。
だが、それは我々もそうではないか?
アナタは、目を覚ましているのか?