鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

1/15 地方“ロスジェネ”あるある

年明けのネットニュースに気になった記事があった。

“レポート”記事だと思ったが、『47歳自営業の男性が地元を離れるわけ』というような題名だったと思う。


内容は、47歳になる群馬県在住の自営業の男性が、会社を“畳んで”、地元を離れるまでの経緯が書かれていた。


子供の頃から、両親はガス管管理の代理店を営んでいて、そこそこ金持ちだった。

高校生の頃には近隣で有名な不良に…。

時代は“バブル”だった。

新興住宅が増え、家庭用プロパンガスの需要も増加。両親の会社はかなり儲かり出す。

当然、息子である男性の小遣いも増える。一端の不良な男性は当然モテる。

「この頃が、一番良かったなぁ」と振り返っていた。


東京の土地融資から始まった好景気は“バブル”として地方にまで行き渡り、多くの人に恩恵を与えた。

俺がまだ小学生(低学年)の頃だ。

そして、日本が一番景気が良かった頃だ。


思い返せば、俺の親父もこの頃、しがない塗装工ながら、会社の命令で“海外出張”なんかしていたなぁ。(カナダ→中国→スペイン)

景気も良かったようだ。

 

俺には好景気だった印象は無いなぁ。


そして、バブルは終わる。

 

貸し出し過ぎた融資は、会社から“貸し剥がし”として、“現金”の回転を止めた。景気は冷え出した。

急速に冷え出した景気が“ドミノ”のように地方を直撃する。

 

“ロストジェネレーション”のスタートである。


高校卒業後、両親の会社に社員として雇われた男性だったが、坂道を下るように会社は傾いて行く。

 

それでも、男性は呑気に夜遊びなどを繰り返していた。会社運営などは両親に任せっきりだったのだ。

遊ぶ金は両親から。

まだまだ、“金持ち”気分。

地元では、ちょっとした“不良”で周りからは持ち上げられて、周囲からは慕われている。

両親は経営者。

自営業の悠々とした生活、と思われて、男性に近づく人間は多かった。

当然、勘違いする。

男性自身も、自分の将来はそれなりに明るいと思っていたようだ。

 

ようするに“調子に乗っていた”のである。


20代で結婚するが、すぐに離婚。子供がいたので、別れた妻から養育費を請求される事に。

 

同じ頃、男性はようやく会社の経営に関わり出すが、会社の運営資金は“火の車”である。


養育費は最初だけ支払ったが、すぐに止めたらしい。 

自分の将来があまり明るくない事に気が付いた。

地方の自営業のガス会社に、バブル後の不景気を乗り越えるのは、楽ではなかった。


両親の会社は、典型的な“三ちゃん経営”(父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん)であり、地元の個人家庭との契約で成り立っていた。

景気が悪化して、新規契約する家などあろうはずか無い。

 

30歳過ぎに、父親が倒れ、男性が社長になる。


経営は不良のままでできるほど甘くない。


ただでさえ、元不良で人に頭など下げたくない男性が経営者として、営業や関連会社と上手く折り合っていけるはずもなく、経営はさらに火の車。


気が付けば、40代に突入していた。

 

会社は相変わらず、経営難で青息吐息

父親は亡くなり、残った母親は頑なに「倒産だけはしたくない」と言い張る。


「…完全に騙された」と男性は言う。


それでも去年まで粘ったが、さすがに限界が来た。

年末に倒産をさせた。

会社を畳み、整理し、残った僅かなお金を持って、地元を離れる決心をしたという。


47歳からの“再出発”である。

そう書くと、綺麗に聞こえるが、要するに地元と両親に“依存”していただけである。


俺にも覚えがある。

高校生の頃、妙に“上から”話してくる奴が何人もいた。

話を聞けば、皆両親が自営業で(小)金持ちだった。

両親の羽振りの良さを見て、勘違いしていたのだろう。

バブルは“弾けて”いたが(93年くらい)、その“残滓”が地方には多少あったのかもしれない。

何だか知らないが、威張っていた奴がよくいたなぁ。

 

アイツらも、この男性と同じだったのかな?

両親が、形なりにも社長。

『俺も偉い』などと思っていたのかな?


男性としても、親の会社に入り、“不自由なく生活”できると思っていたら、全くそうなならなかった。

不良で、腕っぷしが強く、周りに人間がいた男性は、苦労した経験かわなかったのだろう。


その高校の頃の友人とは、会社が傾き出してから 疎遠になる。

人間などそんなもんだ。

金の切れ目がなんとやら、だ。


高校生の同級生で大学に進学した連中は、地元には戻らす、東京などで細々と暮らしている。就職氷河期が直撃したのである。

 

「それよりマシか?」と男性は思っただろう。

 

そして、地元に、戻ってきた奴らもやはり“親のスネ”を噛り倒し、地元の企業にしがみつくようにして働いている。

(俺も?)

 

男性は40代になり、完全に行き詰まった。
男性は一応“社長”であったが、社員は母親のみ。それでも会社は会社。

全く威張れない。

しかも金は無い。

 

だから、もう会社は畳んで、地元を離れる事にしたのだ。


話を読んでいて、これは俺たちの世代(ロストジェネレーション?)によくある話だと思った。(正確には、この男性の年齢は少し上だが)


子供のころ、景気の良さ(バブル)を経験し、『このまま行けるかも?』と思っていたら、大不況の20年。

地元で威張り散らし、気が付いたら、どうにもならない状況に。

行き詰まった40代を迎えてしまう…。

 

そんな連中、結構いるのでは?

ロストジェネレーションあるある、ではないか?

 

俺は『大学進学組』だが、何度も仕事を替えて、今に至る。

当然、ド貧乏で地元にいる。両親とも同居だ。

この男性のように行き詰まっては無いが、状況は全く良くない…。

 

何で、こうなった?


『世間が悪い』とは思えない。

時代のせいにするには、余りにも自己研鑽が少ない。


だが、『仕方なかった』とも言いたくないなぁ。

自力で這い上がるタイミングはたくさんあったからだ。


そして、俺はまだこの男性のように“逃げる”ような感覚になっていない。

逃げる必要が無いからだ。

“ロストジェネレーション”だが、元から“喪って”いるから、失望感が無いのだ。

 

俺は、何を喪った?


俺は、そろそろ実家を出ようかと、思っている。

市内で1人暮らしを計画している。資金はそこそこ。


俺は、『ロストジェネレーション』という言葉があまり好きではない


“ロスト=喪われた”、のなら誰が補ってくれるのか?


どうも、それ自体も“世間”に背負わせているニュアンスを感じるからだ。

会社もクビになり、病気(脳腫瘍)になり、言葉も失った俺だが、不思議と希望は“ロスト”していない。

根拠はないが、まだまだ“逆転”の目はあると信じている。

 

逃げるのには、まだ早い。


だか、この男性は違う。

20代までは比較的楽しく過ごしてきたのだろう。そして、“これ”がずっと続くと思いたかったのではないか?

そこな喪失がある。

楽しかった90年代を喪っているのだ。


で、それが無理だから地元を離れるのだ。

この人にとって、地元とは何だったのか?


俺も地元(浜松)を離れていた時期がある。戻ってきて約20年になる。良くも悪くも、地元(浜松)は“地元”である。

『終わった』とも思わないし、『始まる』とも思えない。

“生きている”場所に過ぎない。


何故、逃げるのか?

俺は、逃げない。