テレビで『ゲーム依存』の話をしていた。
学校でトラブルを起こし、引きこもって一日中ゲーム。
…ゲーム依存、というやつだ。
俺も別ブログで“ゲーム攻略”をやっている。(俺の場合はレトロゲームだが…)
「楽しいか?」と言われたら、正直“楽しくはない”。
俺はゲームが下手だし、いつも「アー!」とか「がぁー!」と唸りながら、全く先に進めず困っている。
それで諦めてやらなくなったり、仕事が忙しく全くやらない時もある。
ゲームとは、その程度では?
だが、心に“傷”がある子供には、“心のささえ”になるようだ。
ゲームとの“距離”が重要だと思う。
俺はゲームは(大変…)というイメージがある。
だから、“のめり込めない”のかも?
この距離というのが、なかなか難しいのかも?
ゲームなどやらなくても、人生は進む。
だが、ゲームをやらないと『人生が進まない』と思っているから厄介だ。
「…他にやることないから」とも言う。
他にやることはたくさんあるのだが、まず“ゲーム”になるのだ。
それは、外から見たら『ゲームに支配されている』なのだが、本人らは『支配している』と思っているのだろうな。
理屈では無いのかも?
ゲーム=楽しいから、ゲーム=苦労になり、『やらなければ』が『区切りを付けてやらなければ』になるしかない。
俺みたく、ゲーム下手ならなぁ。
レトロゲームって、たまに人生が見えるんだよな。
でも、リアルな人生はまた別だからな。