鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2/23 支配からの“距離”


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テレビで『ゲーム依存』の話をしていた。

学校でトラブルを起こし、引きこもって一日中ゲーム。


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…ゲーム依存、というやつだ。

 

俺も別ブログで“ゲーム攻略”をやっている。(俺の場合はレトロゲームだが…)

「楽しいか?」と言われたら、正直“楽しくはない”。

俺はゲームが下手だし、いつも「アー!」とか「がぁー!」と唸りながら、全く先に進めず困っている。

それで諦めてやらなくなったり、仕事が忙しく全くやらない時もある。

 

ゲームとは、その程度では?

 

だが、心に“傷”がある子供には、“心のささえ”になるようだ。

ゲームとの“距離”が重要だと思う。

俺はゲームは(大変…)というイメージがある。

だから、“のめり込めない”のかも?

 

この距離というのが、なかなか難しいのかも?

ゲームなどやらなくても、人生は進む。

だが、ゲームをやらないと『人生が進まない』と思っているから厄介だ。

「…他にやることないから」とも言う。

 

他にやることはたくさんあるのだが、まず“ゲーム”になるのだ。

それは、外から見たら『ゲームに支配されている』なのだが、本人らは『支配している』と思っているのだろうな。

 

理屈では無いのかも?

ゲーム=楽しいから、ゲーム=苦労になり、『やらなければ』『区切りを付けてやらなければ』になるしかない。

 

俺みたく、ゲーム下手ならなぁ。

レトロゲームって、たまに人生が見えるんだよな。

でも、リアルな人生はまた別だからな。