明日、『緊急事態宣言』が出されるようだ。
「遅い!」とか「何を躊躇していたんだ!」と憤る声を多く聞く。
確かに『遅』と思うし、安部総理含め政治家は『何を迷ってんだ?』と思う。
これだけ全国(特に大都市)でコロナの感染が拡大しているのだから、あまり強制力はないにしろ、出すべきだという意見は間違っていない。
俺も東京の『外出自粛から一週間後、感染の広がり具合が落ちるかも?』と期待したが、広がるばかりだ。
『緊急事態宣言』は当然か?
だが、ただ「出せ、出せ!」という声に手離しで喜べない。
なぜ、政治家は緊急事態宣言を嫌がるのか?
国民目線から見たら、それは怠慢にしか見えないのだが、政治家から見たら、それを躊躇したがる気持ちは十分に分かる。
あまり強制力の無い『緊急事態宣言』だが、出されたら、それを理由にいろいろな経済活動がストップする。
そしたら、皆、何と言うか?
『“宣言”が出たから、会社が潰れそうだ。政府よ、補償しろよ!』と言うだろう。
その責任を被るのが、嫌なのだ。
「そんなもの、日本の危機なのだから仕方ないだろ?」と思うかも知れないが、それで後々、俺たちの税金が上がったら?
『コロナ復興税』などとして、増税が決まったら?
先の言葉を借りれば、
『補償したのだから、国にお金👛が無いのだ。国民よ、増税は仕方ないだろ?』
となる。
その責任が総理と政治家にはある。
「金出せよ」「金くれよ」というのは簡単だ。「宣言を出せよ」というのも簡単だ。
だが、その先に責任がある。
俺たち国民は、請求し、批判するが、『責任は?』と問われると、黙るしかない。
宣言を出すことで、発生する責任を取るのは、宣言を出した総理や政治家だ。
“傍観者”で、“批判者”でしかない俺たちは好き勝手言って、責任は取らない。
「宣言、出せ、出せ!」という奴等に「じゃ、責任、あんたらが取るの?」と聞きたい。
「嫌だよ 」「何で?」というなら、「遅い」という権利は無い。
だが、切実な問題として、観光地、小売店、中小企業はギリギリだ。
補償をしないとやっていけない。
そして、宣言はしないといけない状態でもある。
「責任、責任」と言っていたら、物事は前に進まない。
責任を取るのは、嫌だ。
だが、お金👛は欲しい。
では、我々はどうしたら良いのか?
この矛盾をどうしたら良いのか?
それは他人の事を“想う”しかない。
責任を取ることを厭わず、お金はそれほど欲しがらない。本当に金が欲しい、必要としている人に必要なだけ、配る。
弱い人間を“正しく”判断する。そして、助ける。
“助ける”ように動く。
他者を“想いやる”気持ちを持つしかない。
自分だけは助かりたい、と思うことは悪い事ではない。
だが、それは自身で抑える事ができる。
「~して欲しい」は今必要か?
そして、「責任を取りたくない」のなら我慢する。
もしくは、自分が他人の為に責任を取る。
そういう事を厭わない気持ちを持てるかが、これからポイントになってくるのかもしれない。
俺は、できるかな?