鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

4/23 強制させる難しさ。

新型コロナウイルスによる感染症の拡大が止まらない。

今日も感染者が増加。

国や政治家からは、「人との接触を8割減らして」と“要請”している。


f:id:ojpkb:20200423191712j:image

 

人⇒人と感染症する、この病気は人間の(直接の)“関わり”を減らすしか“予防”は無い。

 

だが、人間との接触を避けて、人は生きていけるのか?

 

これはかなり難しいはずだ。

バカな俺でも分かる。

『人は人と関わらず生きることなど出来ない』というのが、42年生きてきた俺の“人生観”でもある。

 

だが、それでも『8割減少』しないと、自身や、身の周りの大切な人の命を奪う危険がある。

人との関わりを減らすしかない。

できないのなら、“強制的”に減らすしかない。

 

要請で効果がないなら、強制しか無い。

 

だが、この“強制的”が、日本人に出来ない。

 

それは、強制的に人間関係を規制したら、必ず『では、その代わりに?』とか『補償してよ』『責任とってよ』となるからだ。

 

“責任”…。

この言葉ほど、日本人が嫌う言葉は無い。

他人から強制的されたら、必ずその“補てん”を要求するのが、日本人だ。

 

だから、“要請”になる。

それは『結局は、自己責任』としたいのだ。

 

後々モメるのが分かっているから、強制出来ない。

“腰抜け”なのだ。

 

責任が怖い…。 

批判されるのが怖い…。

補てんが嫌だ…。

『私のせい』が嫌だ…。

 

俺が今まで出会った“クソ上司”ども💀と変わらない。

“度胸”も“矜持”も“勇気”も無い。

保身が大好きで、自身が一番で、ややこしいことは他人まかせで、責任は自分では絶対に取りたくない“クソ野郎”ばかりだ。

 

ならは、そんな腰抜けこそ、働け。

責任が怖いなら、責任を取らなくてよいくらい働いてみろ。

他人に強制できないなら、その“弱さ”を認めて、自分より勇気のある“他人”に任せろ。

 

“外出自粛”を強制できない“腰抜け”どもを見ていると、俺は昔の“クソ野郎”たちを思い出す💢

 

病院にマスク😷が、遂に来たよ。😃💕