今日も感染者が増加。
国や政治家からは、「人との接触を8割減らして」と“要請”している。
人⇒人と感染症する、この病気は人間の(直接の)“関わり”を減らすしか“予防”は無い。
だが、人間との接触を避けて、人は生きていけるのか?
これはかなり難しいはずだ。
バカな俺でも分かる。
『人は人と関わらず生きることなど出来ない』というのが、42年生きてきた俺の“人生観”でもある。
だが、それでも『8割減少』しないと、自身や、身の周りの大切な人の命を奪う危険がある。
人との関わりを減らすしかない。
できないのなら、“強制的”に減らすしかない。
要請で効果がないなら、強制しか無い。
だが、この“強制的”が、日本人に出来ない。
それは、強制的に人間関係を規制したら、必ず『では、その代わりに?』とか『補償してよ』『責任とってよ』となるからだ。
“責任”…。
この言葉ほど、日本人が嫌う言葉は無い。
他人から強制的されたら、必ずその“補てん”を要求するのが、日本人だ。
だから、“要請”になる。
それは『結局は、自己責任』としたいのだ。
後々モメるのが分かっているから、強制出来ない。
“腰抜け”なのだ。
責任が怖い…。
批判されるのが怖い…。
補てんが嫌だ…。
『私のせい』が嫌だ…。
俺が今まで出会った“クソ上司”ども💀と変わらない。
“度胸”も“矜持”も“勇気”も無い。
保身が大好きで、自身が一番で、ややこしいことは他人まかせで、責任は自分では絶対に取りたくない“クソ野郎”ばかりだ。
ならは、そんな腰抜けこそ、働け。
責任が怖いなら、責任を取らなくてよいくらい働いてみろ。
他人に強制できないなら、その“弱さ”を認めて、自分より勇気のある“他人”に任せろ。
“外出自粛”を強制できない“腰抜け”どもを見ていると、俺は昔の“クソ野郎”たちを思い出す💢
病院にマスク😷が、遂に来たよ。😃💕