鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学110 信者になりたい!

 ようやく、新型コロナウイルス感染症の蔓延が少し緩んできたようだ。

病院も少し落ち着いて来たか。

(“第2波”はあると思う…)


 今、その対策で大阪府の吉村知事に注目と賞賛が集まっている。


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『対応が早い』

『分かりやすい』

『カッコイイ!』


 国(日本政府)が戸惑ったり、躊躇している中、吉村知事は大阪府としての対応、指針、独自の判断を行い、好評を得ている。

 その中には検証も必要な事もあろうが、感染症対策、経済的対応で後手に回った政府の対応に比べて、かなり力強く映った。


 俺も、「俺より年下なのに凄い決断力だ」と思う。特に「政治家は使い捨てで良い」は素晴らしい姿勢だと思う。


 すると当然ながら、


 『吉村知事を国政へ』とか、『吉村知事に付いていけば大丈夫!』というような声が上がって来る。

 吉村知事自体は国政には全く興味がないようなので、国会議員にはならないだろう。

(国会議員だったらしいが)


 こうして注目をされると、必ず“担ぎ上げようとする連中”が現れる。

 コイツらは一体、何なんだ?

 今よくメディアで見る橋下“元”知事の時もそうだ。


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橋下知事は確かに大阪府の財政状況を好転させたかもしれない。

 だが、それにはかなりの“痛み”が伴ったはず。それでも出来たのは、大阪府民らの「この人なら、何かわからんけども良くしてくれるかも?」という“期待感”ではなかっただろうか。


 で、予想以上に“痛かった”から、大阪“都構想”よ住民投票“否決”されたのでは?


 こうして、他人に『◯◯かも?』と期待かさせる人間は少ない。実際はそれほどでもなかったりするのだが、それはあまり問われない。

 期待させてくれたら、それで良いのだろう。

 

 肝心なのは、その人物の魅力や求心力であり、それで何か変わったり、注目を集める事ができたりすれば、問題が無い。


 人は“信者”が欲しいのだが、同時に“信者になりたい”とも思う。


 何があっても自分の事を優先してくれ、常に自分に遠慮してくれる便利な“信者”。


 逆に、何があっても自分を守ってくれて、常に自分の事を優しく扱ってくれる“教祖”。


 どちらか、もしくはどちらにもなりたい。


 なぜならば、何かあれば、その信者や教祖に“おまかせ”出来るからだ。

 自分に責任は無い。

 悪いのは信者であり、自分を“信じ”込ませた教祖だ。


 そうであって欲しい。

 そうする事ができる他人の“信者になりたい!”


 なので、吉村知事の『使い捨て』発言などは、かなり歓迎するバカが多いだろう。

 「ならば、吉村さん、我々の為に“使い捨て”になってください!」などと言って、吉村知事に国政参加を誘う奴がきっといるだろうな。


 『◯◯さんに任せたら、大丈夫』という考えは、言い換えたら『俺は責任取りたくない』『俺は、やりたくない』という“逃げ”でしかない。

 非常に格好悪い姿勢だ。責任逃れでしかない。

 他人に責任や使命感を押し付けている。


 

 プロレスにも“教祖”と呼ばれるレスラーはいる。

 圧倒的なパフォーマンス、パワー、魅力で“信者”(ファン)を惹き付ける。

 信者は酔いしれる。

 「アイツこそ最強だ」

 「アイツを観ておけば、間違いない」

 そう思われたら、プロレスラーは“強く”なる。


 政治家と違うのは、責任だ。

 政治家には責任がついて回る。

 

 対してレスラーに責任は無い。

 何故なら、プロレスラーの“強さ”は、演出であり、作られた“最強”だ。

 また、そのレスラーが試合に負けようが、信者(ファン)の生活に実質的な変化は無いだろう。

 少しがっかりしながら、日々を過ごすくらいではないか。


 『人は何かを信じて生きていたい動物』と何かの本で読んだ事がある。

 “信者”になれば、嫌な事、ややこしい事は信じた他人に押し付ける事ができる。

 

 そこにあるのは“安心感”だ。

 自分の生命、財産、身体、未来が“大丈夫”だと“保障”して欲しいから、“頼もしい”他人に従いたくなる。

 『アイツなら大丈夫だ』は、『そんなアイツを信じた俺も大丈夫だ』という事に他ならない。

  

 そして、それはそうならない可能性がある。


 信じた“教祖”は信じた通りの存在ではないし、自分に都合の悪い話をしてくるかも知れない。


 例えば、アントニオ猪木は間違いなく“教祖”だ。

 異種格闘技戦で多くの“信者”を集め、プロレスをメジャースポーツにさせた。

 猪木以降のプロレスラーはどこかに、アントニオ猪木の“影響”があると言っても良いだろう。


 だが、猪木は常に教祖として信者(ファン)を魅力したか?

 


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『アントン・ハイセル事件』

『舌出し失神事件』

『クーデター事件』

『TPG事件』

『熊本旅館破壊事件』


 リングの上での猪木は、必ずしも信者(ファン)らを魅了していた訳ではなく、“信頼”と解離した事件も起こしている。

(『熊本旅館破壊事件』は猪木の責任ではないか?)


 だが、プロレスが“ショー👯”である以上、我々の実生活に影響は少ない。(周囲のレスラー、スタッフはかなり迷惑だっただろうなぁ)


 政治家は違う。

 俺達の生活にダイレクトに反映する。

 だから、誰かを信じるのは慎重に考えた方が良い。

 プロレスラーとは違うのだから…。


 信者になるのは楽だ。

 その対象(教祖)を“信じる”だけで良い。

 後は、教祖が何とかしてくれるはずだ。


 何とかしてくれなかったら、「アイツは“嘘つき”だ!」と言えばいい。


 プロレスならば、「金返せ!」のコールだ。


 だが、それは他人への依存であり、自分で考える事を拒否している情けない姿だ。

 “教祖”にすり寄り、自身の身の安全を担保し、他人に責任を押し付ける恥ずかしい行為だ。


 プロレスと違い、実生活では“被害”が出る。


 自分の信じた吉村知事は、橋下氏と同様に、信者に“痛み”を強いる政策を今後するかもしれない。


 その時も「アイツに任せたら、大丈夫」と信者らは言えるのか?