鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

5/21 実像

先日、『文春オンライン』に“カリスマ”編集者として

メディアにも出ていた箕輪厚介さんの記事が出ていた。

 

それは、簡単に流れを述べると、

『ある女性ライターがエイベックスの松浦社長の自伝を書いて、幻冬舎の箕輪氏と書籍化を進めていたが、社長の見城氏が反対し頓挫した』

…というものである。

 

これは本当になのだろうか?

俺は、少し怪しんだ。

何故なら、この記事中の箕輪氏は、“上司”であり、社長の見城徹氏に意見を聞いたり、見城氏の意向にそうように行動しているからだ。

 

見城徹氏と言えば、俺でも知っている“カリスマ”編集者であり、箕輪厚介氏からしたら、“所属”する組織のトップである。

 

だが、彼がいろんなメディアで語る『働く姿勢』は既存の考えから逸脱し、常に新しい価値と己の基準で考える姿だった。

 

俺は、この人があるイベントに短パンと缶酎ハイ片手に来ていた見て、かなり仰天した。しかも、髪のには金のメッシュが入っていた。『仕事と遊びの区別もつかないのか、コイツ?』と思ったが、話を聴くと、かなり納得できたり、共感できる部分があった。

しかも、それで“副収入”が本収入の何倍もある。

 

かなり“できる”男であり、“既成概念”を打ち破る稀有な編集者、だと思っていた。

『新しい働き方』『既存概念を打ち壊す働き方が出来る人間』とも思えた。

 

しかし、この記事の中の箕輪厚介は、見城“社長”の顔色を見て自伝の出版を決めたり、社長にあれこれと“お伺い”を立てて動いている、一般的な“社会人”にしか見えない。

非常な“組織人”であり、圧倒的に“既成概念”の中で仕事をしている。組織の“序列”に従っている人間である。

 

今の彼からしたら、例え“カリスマ編集長”(見城)が『ダメだ!』といっても、それが自分の価値基準で“アリ”なら、出版できるようにしてしまいそうな気がするのだ。

それが、見城“社長”からの“鶴の一声”で断念…。

 

こんなものなのか?

あまりにも今の彼と違い過ぎる気がした。

 

だが、よく考えてみたら、当たり前かもしれない。

『カリスマ編集者』とか『副収入で稼ぐ男』『新しい働き方だ』と言っても、彼はやはり『幻冬舎』という“大看板”の中の“組織人”である。

組織の理論に従い、“上”の顔を見て行動するのは当たり前だ。

 

しかも、この話は2016年辺りの事らしい。

 

俺の記憶が確かなら、箕輪厚介氏が騒がれ出したのは、2018年頃だと思う。

 

この頃(2016年)の箕輪厚介氏は、非常に“良識的”で、“組織の序列に従う”ような人間だった。

そして、そこから“急に”あんな風になり、“副業だ、短パンだ、酎ハイだ”、になったのか?

 

つまり、これは箕輪厚介という人間の“実像”が見えた話ではないのか?

 彼は実はかなり組織や会社、既存の権力に従っていきている人間ではないのか?

『副業』『短パンに缶酎ハイ』は、彼を“そういう風”に見せたい人々により、そう見せているだけなのでは?

 

つまりは、“作られたカリス”では?

2016年頃から、『新しい働き方』『組織の中にいても自由に動く人材』をアピールしたい人間(見城氏?)によって、“作られた”人間なのではないのか?

普段の彼は極めて組織に従順で、既存概念を壊す事など出来ない人間では?

 

箕輪氏は、元々チャラくて編集部でも“浮いた”存在だった。

それに目をつけた人間が“利用”したのではないか?

 

…断っておくが、

別にそれが『悪い』とか、『騙された』と訴えたいわけではない。

また、彼が嫌いなわけではない。

“カリスマ”など、作られるものであり、カリスマをカリスマと思うのは、いつも“我々”の思い込みだ。

 

よく考えてみたら、『副業で何億』とか、『仕事に短パン、缶酎ハイ』『金髪』などおかしすぎる…。

 

ここから分かる事は、『既存概念から脱却』する難しさ、だと思う。

『自由だ』『新時代だ』『副業だ』と言っても、それは誰かの“意図”の上で“見せている”だけの話かもしれない。

 

それは、それでアリだとも思うが(プロレス…)、『本当に自由はあるのか?』『本当に新しいのか?』を我々は確実に捉えないといけない。

見極めが必要という事だ。

 

…ちなみに、箕輪厚介氏がそのライター(女性)に“セクハラ”した件は、見た目通りの“チャラさ”だから、別に何とも思えない。

そういうバカなのだろう。真偽も不明?(LINEが出ていたが…)だから。