スターダムのプロレラー木村花が亡くなった。
自殺のようだ。
ワイドショーやネットで大きな話題になっている。
『テラスハウス』という“恋愛リアリティーショー”に出ていて、その言動がネットで相当酷く誹謗中傷されていたらしく、それが原因と思われる。
プロレスオタクだが、女子プロレスはあまり観ない俺でも、彼女の事は知っている。CMとか出ていたよね?
プロレス雑誌でもよく見る選手であった。
『テラスハウス』は観ていない。
また、ネットでの誹謗中傷も内容は知らない。そんなに酷い内容だったのか。
また、彼女はその番組(テラスハウス)で、何をしたのか。ネットで大バッシングされるような事をしたのか。
俺が気になったのは、この『テラスハウス』が恋愛リアリティー“ショー”という事だ。
“ショー”は観客を興奮させるように“作られている”
“リアリティー”なのだが、“ショー”なのだ。
つまり、彼女がいくらおかしな事をしても、それは観客(視聴者)を楽しませるパフォーマンスでしかない。
まさに“悪役(ヒール)”だ。
“悪”という“役”を演じているに過ぎなかったはずだ。
では、テラスハウスは“リアル”(真実)ではないのか。
それは微妙なところだ、と思う。
例えば、喧嘩している2人の人間に、「こっち、見て!」とカメラ📸を向ける。
喧嘩していた2人は、カメラ📸に向かい、ニッコリと微笑む。
そこを、パチリッと撮ったとしよう。
出来上がった写真には、カメラに笑顔を向ける2人が写されている。
それを見た事情を知らない第三者は何とか思うか?
(仲の良い友人だなぁ)と思わないだろうか?
この場合、喧嘩していた2人は、第三者を“騙して”いたのか、喧嘩は“リアル”ではないのか、喧嘩は“演技”だったのか…。
それは違う。
喧嘩はリアル(事実)だし、また写真に写されていた2人の笑顔もリアル(事実)だ。
誰もが、カメラの前では『第三者に良く思われるような』表情を見せるのだ。
これを向社会的行動(prosocial behavior)とか、アサーションと言う。
カメラ📸を向けらた人間は無意識に『社会的に好まれよう』とする行動(ポーズ)を取る。
この写真の話は、聞いた事のある人も多いだろう…。
つまり、彼女は『テラスハウス』の前で“その行動”をしていたに過ぎない。
“演技”ではない、でもリアルでも無い。社会的に“求められる”行動だ。
それが、多くの人に不快感を与える行動だった。
何故、そんな事をしたのか。
それは、彼女が“プロレスラー”だからだ。
何度も書いているが、プロレスはショー👯♂️だ。
観ている我々(観客)を興奮させる為に、悪“役”が様々な“悪逆無道”を行う。
全ては、観客(視聴者)の為である。
彼女が番組内で、見せた姿に怒り、呆れ、ブーイングする事で、観ている我々は興奮するのだ。
多少、“演出”が入っていたのかもしれないが、その行動は、彼女の“アドリブ”であり、そうするように製作者(スタッフ)から期待され、自分から求めただけ。
それが“ショー👯♂️”だ。
“リアリティー”と言いながら、“ショー”なのだから、そこには“興奮させる要素”が入る。
彼女は、その要素を“悪役”として行っていただけ。
そんな彼女を見て、罵詈雑言を浴びせるのは少し冷静さを欠いていないか。
確かに俺もバラエティー番組などで、芸能人がおかしな発言をすると、『このバカは💢が!』と思ったりする。
だが、それはショーである。
俺(観客)にそういう風に“思わせる”ように振る舞っていたり、編集でそういう感じに“見せて”いるだけなのだ。
冷静になれば、分かるのではないのか。
何故なら、テレビ番組もプロレスと同じで、視聴者を興奮させないと、“盛り上がらない”からだ。
“リアリティーショー”を見て、「何だ、アイツ💢!」と怒るのは良い。
だが、番組が終わったら、「あー、楽しかったぁ👊😆🎵」と思えば良いだけだ。
それを、「死ね!」とか「消えろ!」などとネットで発言するのは冷静さを欠いている。
そんな事をしても意味が無いからだ。
それは、“そういう風”に思われる為の彼女の“技”だ。
何故、そんな事をする?
何故なら、ショー👯♂️だから…。
観客(視聴者)を興奮させる為である。
冷静になれよ。
他人に「死ね!」と言うほどの事じゃねぇよ。
彼女に怒っていた連中、“アマチュア”だ。
所詮、“ショー”の見方も分からない素人だ。
こんなもん、無視すれば良かったのに…💧💧💧
それでも、俺は言いたい。
やはり、自ら死を選ぶ人間を俺は、認めたくない。
『誹謗中傷に我慢しろ』とは言えないし、“ショー”を理解できない人間の言葉など聞くに値しないと思うのだが、
自ら死んではいけない。死んで欲しくない。
「誹謗に強くなれ」などと無責任な事は言えないが、生きていて欲しかった…。
生きて、何年後かに、「…あの時は、キツかったわ~」などと笑顔で振り返って欲しかった。
彼女を追い込んだ奴らは、ショーの見方も分からない“素人”(アマチュア)だ。冷静になれない、悲しい“観客”だ。
悪役を“悪”と勘違いして、“魔女狩り”でもしていた気になっていたのだろう。
その“代償”はデカい。
そして、彼女の“プロレス”を楽しみにしていた“玄人”のファン(観客)の哀しみは計り知れない。
今日は、20年前に『船木vsヒクソン』の“死闘”が東京ドームで行われた日だ。
死ぬ気で戦った船木はヒクソンのスリーパーで“オトされた”
1996年、バス・ルッテンに負けた船木はマイク🎤を握って言った。
「明日からまた、生きるぞ…」
彼女にも“明日”を“生きて”欲しかったなぁ…。