鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

7/26 生きる理由

最近、あったこの事件…。


f:id:ojpkb:20200726155600j:image

 

ALS嘱託殺人事件。

 

何度か書いているが、俺は自ら死ぬ人間を認めたくない。

 

尊厳死…。

安楽死…。

苦しい状況、生きにくい病気、苦痛、迫る死期…。

それぞれに状況があるのだろうが、果たして、人は生きる事を“諦めて”良いのか?

 

難病(ALS)を患っていた被害者は、『他人に迷惑をかけてまで行き続けたくない』などと思い、『他人から蔑まれている』と思い、他人に自分の殺人(自殺)を依頼した。

 

どんなに辛かろうが生きなくてはいけない。

 

…と、つい“正論”を出したくなるが、病気となるとその惨めな気持ちが少しだけ分かる。

他人の力を借りて生きている、などと思いながら、生きるのは、やはり辛い。

『あなたは病気だから…』と言われ続けるのも辛い。

『あなたが生かす為に…』と言うのは、もっと辛い。

ましてや、被害者女性は難病のALSだ。

治療方法のない病気だと聞いている。

 

ならば…、と思う気持ちは分からなくも無い。

 

 

だが、それでも自分の命を、自ら終わらせる者は、やはり間違っている、と俺は思いたい。

 

命は誰にでも、一つしかない。

それを大事にしない人間は、やはり他人の命を軽んじているのではないのか?

 

『なら、お前がその病気になってみろよ』と言われそうだが、もしそうなったら、俺はこんなに偉そうな事を書いておきながり、(死んだ方がマシ)などと思ってしまうのだろうか。

口もきけず、身体を一ミリも動かせず、誰かの介助に頼って生きる一生…。

 

絶望してしまいそうだ。

 

自分の殺害を依頼した女性の気持ちになるのは、絶対に無理だから、俺は何としても生きていたい。

 

情けない話なのだが、“生”にしがみついていたい。

 

ロクでも無い人生でも、貧乏でも、誰かから小馬鹿にされていても、生きていたい。

生きていたら、なんとかなるかもしれない事を俺は知っている。

命があるからこそ、始まる事もある。

 

そうとしか言えない。

誰かに「私、死にたい」などと言われても、やはり「生きろ」としか言えない。

ALSだろうが、何百億の借金があろうが、やはり生きていて欲しい。

“甘い”のかもしれない。だが、生きているべきだ。