最近、あったこの事件…。
ALS嘱託殺人事件。
何度か書いているが、俺は自ら死ぬ人間を認めたくない。
尊厳死…。
安楽死…。
苦しい状況、生きにくい病気、苦痛、迫る死期…。
それぞれに状況があるのだろうが、果たして、人は生きる事を“諦めて”良いのか?
難病(ALS)を患っていた被害者は、『他人に迷惑をかけてまで行き続けたくない』などと思い、『他人から蔑まれている』と思い、他人に自分の殺人(自殺)を依頼した。
どんなに辛かろうが生きなくてはいけない。
…と、つい“正論”を出したくなるが、病気となるとその惨めな気持ちが少しだけ分かる。
他人の力を借りて生きている、などと思いながら、生きるのは、やはり辛い。
『あなたは病気だから…』と言われ続けるのも辛い。
『あなたが生かす為に…』と言うのは、もっと辛い。
ましてや、被害者女性は難病のALSだ。
治療方法のない病気だと聞いている。
ならば…、と思う気持ちは分からなくも無い。
だが、それでも自分の命を、自ら終わらせる者は、やはり間違っている、と俺は思いたい。
命は誰にでも、一つしかない。
それを大事にしない人間は、やはり他人の命を軽んじているのではないのか?
『なら、お前がその病気になってみろよ』と言われそうだが、もしそうなったら、俺はこんなに偉そうな事を書いておきながり、(死んだ方がマシ)などと思ってしまうのだろうか。
口もきけず、身体を一ミリも動かせず、誰かの介助に頼って生きる一生…。
絶望してしまいそうだ。
自分の殺害を依頼した女性の気持ちになるのは、絶対に無理だから、俺は何としても生きていたい。
情けない話なのだが、“生”にしがみついていたい。
ロクでも無い人生でも、貧乏でも、誰かから小馬鹿にされていても、生きていたい。
生きていたら、なんとかなるかもしれない事を俺は知っている。
命があるからこそ、始まる事もある。
そうとしか言えない。
誰かに「私、死にたい」などと言われても、やはり「生きろ」としか言えない。
ALSだろうが、何百億の借金があろうが、やはり生きていて欲しい。
“甘い”のかもしれない。だが、生きているべきだ。