今、テレビ静岡で猫の話を放送している。
前足を失い、“処分”寸前の老猫(タマ)がこの世から亡くなる間際を追っている。
ここは、老犬や障害のある動物の保護施設だ。
動物を『看取る』為の施設だ。
観ていて、悲し過ぎて、苦しかった。
こうした動物を観ていると、(…なんて不憫なんだ)と思うのたが、そんな不憫を生んでいるのほ、我々人間だ。
「可愛い」「綺麗」「癒される」なんて言いながら、飼い出して、人間の気持ちで棄てられる。
「不憫だ」というなら、その不憫を産み出す我々人間が飼わなければ良いのだ。
俺は過去に2匹、犬を飼っていた。
“それなり”に可愛がったと思うのだが、果たして2匹とも幸せだったのか?
それは分からない、ペットは喋らないから…。
「不憫だ」というのは簡単だ。
だが、一度飼い出したら、そう思わないくらいの事をしないといけない。
そうでなければ、やはり飼わない方が良い。
だから、俺はもう犬を飼わない。
飼いたいし、尻尾を振ってくる犬は大好きだ。
しかし、不憫な思いをさせない自信がない。
だから、飼わない。