いつも“環境”に文句を言う人がいる。
「◯◯ならば」とか「◯◯さえあるならば」と言って、現状を否定し、仮定を尊重する。
意味の無い話だ。
それは、“仮定”だからだ。
“仮定”はどこまで行っても仮定だ。
身の回りの“状況”のせいにして、『環境が悪い』という便利な論法に帰着する。
そこで『◯◯ならば~』という仮定があれば、自分は救われると思っている。
本来は、どのような環境からも、それをどうにかするしかないのに…。
与えらた環境がどうであれ、それをも理解し、対応しつつ、自分の希望を叶えるしかない。
たまに、環境を“ガチャガチャ”に例える人がいる。
つまり「俺はなんて運が悪いんだ」と言いたいのだろう。
「運が悪い」
それを『このガチャガチャが悪い』ではなく、『ガチャガチャで出て来た“環境”をどうにかする』しかないのだ。
実はそれは「運が悪い」ではなく、「そうした環境」でしかない。