そろそろ"決め付け、思い込み"の"まとめ"の話をしていこう。
大学卒業後、俺は"ブラック企業"(当時はそんな言葉無かったが…)に就職した。
そして、4月から大阪の店舗で1ヶ月間、研修をした。
その最後に、ガリガリに痩せたよく分からない眼鏡を掛けた怪しげな"兄ちゃん"がやって来て、俺達新入社員に説教を垂れ出した。
「…利益を出さない社員は、会社にはいらないんだよね…」
こんなバカな事を言い出した。
(何をぬかしてやがる💢)
当たり前ではないか?
大学時代、俺はよくバイトをしていた。何回かバイト先は変わったが、絶えず働き、金が無くなったら、"掛け持ち"もしていた。
『働かざる者、食うべからず』であり、生きるためには働くしかない。
当たり前ではないか?
何故、それをわざわざ新入社員の俺達に言う?
そんな事はとっくに判りきっている。
その眼鏡のバカは関西事業部の若き部長らしかったのだが、俺はこの"念押し"の意味が理解できず、その若い部長を腹の底から小馬鹿にした。
そして、配属先が決まり、店舗での業務が始まると、この眼鏡部長の言葉の"真意"が分かった。
俺のいたこの会社は所謂"ブラック企業"(その時はこんな言葉無かったが…)だった。
休みなど週に一回取れたら良い方で、毎日八時間以上働き、休みは月に3日(0もあったな…)という過酷な労務状況だったからだ。
あの眼鏡部長の言葉の裏には、『お金💰が欲しいのなら、休まず働け✋💦』という真意が隠れていた。
ドラマ
『私、定時で帰ります』では、"パワハラ部長"(ユースケ・サンタマリア)が社員を残業して働かせる為、
何だかんだと"正当化"させていた。
こういう奴がブラック会社の幹部クラスには多かった。
『身を粉にして働くこと』=『良い事』と"思い込ませる"のだ。
『みんな、働くのが好きだから働いているんだよ』という理論だ。
これかブラック企業の理論だ。
何故、そこまでした働くのか?
それは言葉通り利益(お金💰)を得る為であり、会社としては、"それ"をもたらす社員を"欲して"いるのだ。
それこそ、"当たり前"だ。
以前も書いたが、こうしたブラック企業に勤める人間は幹部の一部を除いて、非常に純粋で直向きな社員が多い。
利益の為。
会社の為。
お客様の為。
そして、自分の為。
働き、稼ぎ、会社に利潤を与え、お客が喜ぶ。それが最終的には自分の為になると頭から信じている。
もちろん、それは間違いではない。
合っている。
『少し休みたいよ』
『そんなに働きたくないよ』
『そんなに利益(お金💰)は欲しくないよ』
…などと言う奴は、ここ(会社)には要らない。
だって、利益を与え、産み出すから会社(組織)はあるのだから。
「いやなら、出ていけ。お前など要らん❗」
あの眼鏡部長はそう云いたかったのだ。
それとともに、部長からしたら俺達、新入社員に『身を粉にして働くことは会社、お客、自身の為である』と"思い込んで"欲しかったのだ。
『自分は間違っていない。善いことをしている る』
そういう想いがある以上、我々人間は自分の行動を規制しない。
眠い目を擦り、食事もそこそこに身を摩りきらしながら働く。
純粋にそう思えば、思うほど人は"善いこと"をする。
休みや睡眠を削っても"仕方ないなぁ"と思うのだ。
その"純粋さ"を利用したい奴がいる。
眼鏡部長がそうだったのかな?
いや、あの人も『利益を得る為には休まず働けば良い』と信じる純粋な人間だったのかもしれない。
どちらにしろ、『利益を上げられない人間は会社には要らない』は、そう"思い込んで欲しい"誰かからの"マインドコントロール"とも言える。
実際、俺達の給料(お金💰)は、商品を買ってくれるお客からのお金であり、働かない限りそれは増えないし、貰えないのだから間違ってはいない。
"思い込み"や"決め付け"の裏には、『そう思って欲しい』誰かいる。
一定の価値観、思想、システム…、それらを思い込むことで、世の中の一部は動いている。
それらが"正しい"と思い込んで欲しい人間がいるのでは?
あの眼鏡部長としては、俺達新入社員に、自らの大事なモノを削り、ひたすらと会社の為に、自分(会社幹部)の為に働いて欲しかったのではないだろうか?
俺はこの時期(2001~03年)、おそらく人生で一番プロレスが遠くなっていた。
全く観てなかったわけではないが、俺の興味はMMA(総合格闘技)に向いていた。
何故か?
プロレスには"思い込み"が多い。
様々なスタイルのプロレス団体、レスラーがいる。
そして、彼らが唱えるのは"最強"だ。
だが、彼らは必ずしも、最強とは限らない。
何故ならプロレスの"結末"は決まっている。
プロレスにはブック📘(台本)かあり、プロレスラーはそれに従って試合を進め、観ている我々観客の興奮を煽る。
我々がプロレスを楽しむ為には、プロレスラーが唱える最強を"信じ込まない"と始まらない。
それは半ば、"最強"とは思えないのだが、そう思い込まないと楽しめない。
それは、それで楽しいのだが…。
対して、MMA(総合格闘技)は真剣勝負だ。ブック📕は無い。
MMAの競技者の見せる闘いには、技術的、身体的に"最強"と言い得る。
プロレスの"最強"と、MMAの"最強"は違う。
早くから"それ"には気が付いていたが、PRIDEなどのMMAかブームになる、俺の興味の多くはそちらに向かった。
リアル(真剣勝負)の最強は、プロレスと違い、『八百長』などとは言われない。
MMAを信じたら、思い込んだら、
MMAの最強を"最強"と決め付けたら、
俺は最強を見ていられる。
格闘技の最終的な目的は『最強の人間は誰か?』である。
その答えがMMAにはある。
ブラック会社で『利益を出す為にお前らはいる』と思い込ませたい会社側と、『最強を知りたい』と願う俺の意識は同じだ。
だが、ます違ったのはブラック会社の唱える『利益第一』という考えは入社する前から分かっていたことであり、分かりきった事を繰り返されると、どうしても…、
『果たして、その考えは正しいのか?』とか、『正しいが、それを建前に俺達を働かせていないか?』という疑惑を生んだ。
ちなみに俺が退社した理由は、ブラックな労務環境では無く、人間関係である。
ブラックな労務環境には半ば納得していたのだ。
だから、この会社の"思い込ませ"に疑問を感じたのだ。
次に、『MMAこそ最強』という"思い込み"も、プロレスの"最強"を観たり、興奮出来ないMMAの試合を観ると、揺らぎ出した。
PRIDEなどの試合で"膠着"した展開を観ると、『果たして、この最強は楽しいのか?』
最強は最強なのだが、プロレスほどの興奮は無い。
俺がプロレスへの回帰をし始めたのは、このブラック会社を辞めた辺りだ。
ブラック会社が決め付ける『利益が一番』は、間違っていないと今でも思っている。
『お金💰を稼ぐこと』を否定できる人間はいない。
その為に働くことも、また否定できない。
だが、それのスタンスは誰にも強制できない。
自分のペースで、信念で、やり方で、お金を得たい。
働くことを否定しないし、嫌がらないが、誰かの考え、思考、スタイルの中では働かない。
MMAとプロレスの最強は違う。
どちらが良いかは、どちらが興奮するのか、それは自分が決めたら良いのだ。
俺はMMAの最強より、プロレスの最強の方に興奮する。
思い込ませたい誰かがいる。
それはその人からしたら、そう思い込んでくれないと困るのだ。
だから、良くも悪くも、誰かの"思い込み"に加わる前に自分で考えて欲しい。
それが自分にとって正しいのかは、誰かでは無く、自分で決めろ。
そして、気を付けるのは誰かの言う『◯◯◯が欲しい』『◯◯◯は正しい』という決め付けだ。
それは間違っていない。
間違っていないだけに、否定しにくい。
あの眼鏡部長のように、当たり前の事を声高に叫んで自分の都合の良い方向に思い込ませ可能性がある。
『それが正しいのだから…』と言い方は少し注意が必要だと思う。
思い込みは、誰かの為にある可能性がある。
思い込みは自分の為に思い込めば良い。
最強も、利益も、会社も、プロレスも、自分の"思い込み"を思い込めば良い。
誰の思い込みに飲み込まれてはいけない。