「お前は礼儀がなって無いよ」
俺が人生で時折言われる言葉だ。
俺としたら、心外だ。
別に自分の事を"礼儀知らず"とは思っていない。
ちゃんと礼儀正しくすべき相手には、正しく接している。
…俺の基準で。
俺が"あなた"に礼儀を払わないのは、あなた自身が俺からしたら、礼儀を払うべき人間ではないからだ。
俺がその人の実力、人間性を尊敬できたら、きちんと礼儀を払う。
…俺の基準で。
上司だから、
社長だから、
組織だから、
先輩だから、
俺より立場が上だから、
…では、俺は尊敬視しない。
だが、世の中には、小さな"社会"で偉いから、そこの外でも自分が偉いと"決め付け"ているバカが多い。
俺にはそんなバカを絶対に尊敬しない。
小さな小さな"社会"の中で威張り腐るバカが、「礼儀がなっていない」などと言うのは、鼻で笑いたくなる。
そんなバカの思い込みを覆してやりたくなる。
俺から言わせてもらえば、「お前は礼儀を払う程の人間では無い」なのだ。
以前、とある派遣現場で、一度そこの社長に挨拶したのに何度も挨拶を促された覚えがある。
理由は、『とにかく、あの社長には挨拶しないといけないから…』と事務のおばちゃんが言い張ったからだ。
俺としては、しがない零細会社の社長にいくら頭を下げようが何も変わらないと思えたが、そのおばちゃんが何度もせがむので仕方なく従った。
そして、心の底からその社長とやらをバカにした。
一体、何が満足なのか?
いくら頭を下げようと、俺は心底では別の感情を抱き、その社長を小馬鹿にしているのだ。
なのに、その社長は満足そうに頷いていた。
下らない男だ。
礼儀を大事にする人間は、『自分に礼儀正しい』人間が大好きだ。
だが、逆ならどうだろう?
自らが礼儀を"払われたい"立場になった、としたら?
俺もそうだ。
『他人になど礼儀なんか払うか!』と思っているが、では後輩や自分より立場が"低い"と思っている人間から無礼な態度を取られたらどう思うか?
おそらく、
「お前は礼儀がなっていない!」
などと言うだろう。
つまり、"自分は礼儀など払いたくないが、他人からは礼儀を払われたい"という、とんでもない"わがまま"を言いたくなるのだ。
『自分は他人から礼儀を払われたい』
↓
『他人から尊敬されたい』
↓
『俺は偉いんだ』(と思われたい)
↓
『"偉い"と"思い込ませたい"、そう"決め付け"て欲しい』『そうすれば、俺は"偉い"』
それは大きな"思い上がり"なのだろうが、我々人間は、社会の中でそうやっていたいと思う。
だから礼儀があり、秩序があり、序列があり、組織がある。
どうしようもなく下らないのだが、その下らない"礼儀"に、凄く拘る"馬鹿"が社会には多い。
そんな馬鹿にとって一番嫌なのは、自分への"礼儀"か"効かない"他人だ。
自分を尊敬視せず、遠慮せず、特に贔屓しない人間だ。
プロレスには、序列や"礼儀"がないようで、確実に存在する。
先輩レスラーは、先輩であり、自分がいかに人気レスラーだろうと、その序列は絶対だ。
何故なら、プロレスの序列は実力ではないからだ。
プロレス興行だ。
いかに先輩だろうが、後輩だろうと、お客を呼べるレスラーが偉い。
しかし、プロレス団体は年功序列ではなく、実力主義を標榜している。
つまり、プロレスの"実力"は肉体的、格闘技術的な資質ではない。
いかに観客を興奮させ、人気を持つかによって決まる。
それが全てだ。
『そんな馬鹿な…』と思うかもしれないが、社会をよく見て欲しい。
社会ではよくある話ではないか?
何の実績も無いのに威張る奴。
上司というだけで、自分は偉いと勘違いしている奴。
自らが礼儀を払われるべき存在だと、思い込んでいる奴。
皆、勝手な"決め付け"なのだ。
そんな事は無い。
偉くもないし、礼儀を払われるべき存在でもない…かもしれない。
だから、それを覆してみる。
他人の決め付けを否定してみる。
他人の"正しい"に敢えて、"NO"を唱えてやれ。
他人に対し、何も考えなく礼儀を見せてはいけない。
考え、分析するんだ。
果たしてソイツは礼儀を払うに値する人間か?
他人の"決め付け"を生きるな。
そして、他人を決め付けるな。
誰かの思い通りにならない。
そして、誰も思い通りにならないのだ。