鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。

プロレス心理学119 “エース”循環論

東京五輪組織委員会 森会長の“女性蔑視”発言が大炎上🔥している。

 

連日、「辞めろ!」の大合唱だ。

五輪ボランティアにも辞退者が続出し、まだまだ長引きそうだ。


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こうした事態にあるだけで、森会長にはある程度の責任があると思うのだが…。

ボランティアは“変え難い存在”だからだ。彼らがいなければ、大会が運営できない恐れがある。

そこを分かっているのか?

 

女性蔑視発言も馬鹿馬鹿しいが、特に俺が気になったのは、この発言。


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まるで『俺を切れるものなら、切ってみろや💢』と言っているような物言い。

俺としては、この人(森会長)でないとまとまらない事もあると思い、東京五輪開催には必要な人物に思えていた。

だが、その上でこんな発言をするのならば、頭に来るのだ。何様のつもりだ?

頭に来た。

 

それは、俺も過去に「俺を切れるもんなら切ってみろ!」と他人に迫った事があるからだ。

 

数年前、俺は“ある仕事現場”で揉め事を起こした。

とある、“腰抜け”ジジイがやたらと俺に色んな事を押し付けて、“上”から物を言ってくるので、頭に来て、“クーデター”を起こしてやったのだ。

その腰抜けジジイは、案の定、派遣会社に泣き付き、俺を排除しようとした。

 

で、俺は「別に俺を切りたければ、どうぞ?」もいう態度で派遣会社の担当者と揉めた。その派遣にクレームのメールまで入れてやったりした。

 

すると、腰抜けジジイは、恐るべき事に「ワシ、辞めるから…」と言い出した。

もちろん嘘である。この腰抜けにそんな度胸は無い。

 

だが、派遣担当者は、俺とその腰抜け爺さんのどちらかを取るか、と選ぶような状況になり、最終的に爺さんを選んだ。

俺は、解雇となったのだ。

(…この顛末は『糾合』に描いている)

つまり、腰抜け爺さんの方を『余人を持って変え難い』と判断したのだろう。

俺自身、特に優秀だったわけでもなく、また周りの人とよくぶつかっていたので、『コイツ(俺)よりも…』と思ったのだろう。

(…詳細は『浜松“合”シリーズ 糾合』で)

 

なので、森会長のその発言にカチン💢と来ている。

自分を何だと思っているのか?

誰も『辞めろや!』と言えない事を良いことに、己の権力を振るう“腰抜けジジイ”だ。

 

だが、俺自身も『切りたければ、切ってみろ!』と迫った経験があるから、この馬鹿野郎どもの気持ちは分かる。

それは、『俺は他人にから“特別だ”と思われたい』である。

他に代わり得る人のいない、“変える事の出来ない人”になりたい、なっていたい、なっている(はず)なのだ。  

 

派遣社員として、『お前の代わりなんて山ほどいるからよ』という環境にいる俺からしたら、そう周りから思われたい(思われているはず)という欲望は常にある。

 

だが、必ずそうであるはずがない。

俺がジジイに“負けて”クビになったように、『余人をもって…』という存在は本当に少ない。

そう思うと、あんな事を言って、まだ党内から擁護する声の上がる森会長は、本当に“変え難い”存在なのかもしれない。(それでも責任は大きいと思うが…)

 

この“変え難い存在”をプロレスに例えたら、団体内の“エース”の事になるだろう。

 

プロレスにとって“余人をもって変え難い”存在とは“エース”である。

試合のメインを飾り、それを目当てにお客が集まり、チケットを買ってくれる。“絶対的必要”な存在。それが無ければ“興行”が成り立たない。

 

日本プロレス黎明期における力道山

全日本プロレスジャイアント馬場

そして、後の“エース”ジャンボ鶴田三沢光晴

新日本プロレスにおけるアントニオ猪木

WARの天龍源一郎

FMWの大仁田厚

リングスの前田日明

UWFインター高田延彦


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…誰もその組織(プロレス団体)には不可欠な存在である。

彼らがいないと、団体の存続さえ危うくなる。

 

今の新日本ならば、棚橋、オカダ、内藤か?


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ちなみに、“チャンピオン”ではない。

王者(チャンピオン)がいなくとも、プロレスに“エース”さえいたら、成り立つ。

チャンピオンは“選手権”試合をすれば、簡単に産み出されるが、“エース”は“ベルト”では生まれない。

 

何故なら、プロレスはショーだからだ。

何度も書くが、プロレスはショーである。肉体的な力量や格闘技の技量を競うものではない。

その結末はあらかじめ決まっているか、マッチメイカーにより指示があり、レスラーは2人(時には4人)で、技やムーヴ(動き)で観客を興奮させるのが、目的だ。

たから、プロレスのチャンピオンはいわば、“舞台装置”のようなものであり、その争奪を見せる事でこちらが興奮(ヒート)すれば、良いだけであり、価値はあるが、大事なのは『誰がチャンピオンか?』ではなく『チャンピオンと戦うのが誰か、なんで戦うのか?』が問題なのだ。

 

一方、エースは簡単には作れない。

日々の試合の中で、観客を興奮させる方法を掴み、それを恒久的に行える者が“エース”だ。


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エースを作り上げるのは時間が要り、難しい。

だから、エースは貴重であり、“余人をもって変え難い”のである。

 

森会長はこのエースに近い存在なのではないか?

 

女性蔑視やパワハラをする“クソジジイ”だが、居ないと組織が成り立たない存在。(政治力?)

 

だから、留意を促す声が上がる。

 

で、あの『俺を切りたければ切ってみろや』になり、『俺がいなくて大丈夫と思ってんのか?』になるのである。

 

聞いたかところによると、森会長は非常に男気があり、他の議員からも頼られる“親分肌”の人物らしい。

 

そうした気質が「女性が多い会議は長い」というコメントになる。

誰からも忖度され、優遇され、遠慮させる存在になり、自分が特別だと勘違いする。

 

エースは代わりの居ない絶対的な存在だ。

その存在がなければ、何も始まらないからだ。(森会長がそこまでとは思えないが…)

だからこそ、頭を低くし、誰よりも謙虚でなくてはならない。

 

「“エース”を作ってはいけない」とか「“エース”になるな」とは言っていない。

 

ここで重要なのは、“エースは絶対に必要だ”という事だ。

エースだから、人間性や社会的規範が無くてもよいわけではない。

『彼がいないと物事が進まない』という現実と、「エースは品行方正で常に理性的である」という希望は繋がらない。両立し得ないだろう。

エースがいなければ、組織が動かないのなら、組織はエースに“動きやすく”作られる。

それは傍目から見たら、わがまま、尊大、横暴にしか見えない。パワハラもまた『組織の為』という都合の良い言葉に流されてしまう。

 

会議で意見を言えなくても、“エース”の気分が上々ならば、それで良しだ。

頭に来るし、卑劣だ。自身の事しか考えられない腰抜けだ。

 

だが、悲しいかな、“エース”は必要なのだ。

絶対に必要だ。

 

アントニオ猪木⇒藤波、長州⇒三銃士⇒棚橋、中邑⇒オカダ、内藤⇒?のように、エースのいる時期の新日本が安定していたように、興行の“核”として必ず必要だ。

 

五輪組織委員会にも必要だ。

五輪開催を進める為に、力ある者が必要になる。

 

森会長が辞めたら、また新たな“森会長(的な存在)”を置くはずだ。

それが組織であり、社会である。

そうして、運動(運営)されていく。

 

エースは必要。

それは“消耗品”のように現れては、劣化し、また現れていく。

そうして“循環”していけば良いのではないか?