事故で右足ひざ下切断のこみみさん「何も提供してくれない第三者が『不謹慎』と言ってくる筋合いはないと思う」 障害を売りに働くことの是非(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
この記事には考えさせられた。
俺は脳腫瘍で、言葉が不自由だ。
それを指摘されるとかなり不機嫌になる。
だが、何かあるとつい『俺、病気で…』と“言い訳”に使ってしまう。
言った後、いつも罪悪感がある。
だが、『何も提供してくれない他人』というの物凄く同感する。
「かわいそうに」
「頑張れ」
「大丈夫」
他人は軽々と口にする。
だが、実質的に何もしてはくれない。憐れみと同情を浴びせるのみだ。
それで“良し”とする。
それは俺には『病気で口が不自由になって、かわいそうだな。…でもこっちに関わって来ないでね』に聞こえる。
そんな“他人”ならば、こちらは“この状況”を“使って”みたくなるのだ。
それは物凄く罪悪感がある。
だが、同時に理解も出来てしまう。
“障害を売り”に使うのは、悪だろうか?
悪ではないが、善でもない気がする。
だが、社会は、世間は、同情して、やさしくするが、何かをしてくれない。ならば…、である。
初めて会った人に「君、話し方おかしいね?」なだと言われ、大喧嘩した事もある。
それからしたら、何かあると「お、俺、あ頭のの、び病気しまして、て…」という事にやはり疑問を拭えないのだ。