鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学121 共依存

かなり前になるが、『第23回ジャイアント馬場追善興行』(2/4)があった。


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日本マット界の“巨星”ジャイアント馬場が亡くなって、もう23年が経つ。

 

俺が“プロレスラー”ジャイアント馬場を観たのは、92年辺り。

それまでは『クイズ showby-showby』にパネラーとして出ていた“デカいおじいちゃん”のイメージしかなかった。

胸板も薄く、ヒョロヒョロで、動きがノロく、『アポー!』とか言いながら、チョップを繰り出すロートルレスラー、に見えた。

 

だが、ジャイアント馬場は本来、トップスポーツマンであり、体力があり、俊敏で細かな“プロレスムーヴ”が可能で、アメリカで1番有名な日本人アスリート(当時)だった…。


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俺の観ていた時期(92年~)のジャイアント馬場は、彼のレスラーもしての晩年の姿だった。

ジャイアント馬場は、元プロ野球(巨人)選手で、アメリカのメジャープロレススターであり、日本人で最初のNWA王者で、力道山亡き後、日本プロレスのエースだった男だ。

 

 

何故、ジャイアント馬場は、50を過ぎ、あのような“醜態”を晒して、リングに上がっていたのか?

 

それは、そこに彼の妻、馬場元子夫人がいたからだ(と思う)。

 

ジャイアント馬場こと、馬場正平元子夫人は、共依存”関係だったのではないか?

 

SWS離脱騒動で、天龍(源一郎)らが退団し、勢力が減退した全日本プロレス社長の馬場は、完全に“迷走”していた、と思う。

 

全日本プロレス旗揚げから、いや、それ以前から『日本プロレスのエース』であったジャイアント馬場は、己の力が落ち、マンネリになってきた全日本プロレスマットを感じつつ、“打つ手”が無かったと思われる。

 

そこに介入したのが、妻の元子だ。

その以前から選手器用に口を挟んでいた元子夫人たが、このタイミングでマッチメイクにも介入し始めたようだ。

 

前の“SWS大量離脱”の一因には、この元子夫人の問題もあるのだが、天龍らが退団した馬場には、もう妻しか頼る人間がいなかった。

(次期エース、ジャンボ鶴田はあくまで自身の“配下”でしかなく、相談役にはならない)

 

“エース”は孤独なものなのだ。

 

そこに彼女(元子)の存在が大きくなり、馬場は妻を頼る。次第に元子の言葉しか信じなくなる。

 

さらに、そこに付け込んだのが、週刊プロレスの編集長だったターザン山本(!)だと言う。


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俺がハマっていた『四天王プロレス』を“産み出した”のは、彼(ターザン)と言う。

 

三沢光晴を中心にした、小橋、川田、田上の熱い闘いは“極限”を越えたプロレスに思えた。

 

以前読んだ本では…、

 

ターザンと番記者が、アイデアを出す。

馬場がその“流れ”を聞く。

馬場が、同席していた元子夫人に「どうかな?」と尋ねる。

元子夫人が「良いじゃない?」と了承すると、馬場も了承する。

 

こんな風に、全日本プロレスの“流れ”が決まっていたらしい。

この頃のジャイアント馬場はプロレスのアイデアを出す事がなくなり、元子夫人(とターザン)に頼っていたようだ。

で、自身は“ファミリー軍団”として、休憩前の“コミカル”プロレスに“御大”として、身を投じていた。

 

元子夫人はマッチメイクや、所属選手の私生活にも口出しを始め、全日本プロレスでは「メディアに出たら、馬場さんより目立ったらダメ」という元子夫人が決めた不文律があった、という。

 

馬場にとって、元子夫人は妻を越えるパートナーであり、元子夫人も馬場を頼っていた。

うるさく口出しをする元子夫人は何かに付けて、「これは馬場さんの考えだから…」と“馬場さんを立たせて”、非難をかわしていた。

 

共依存とは、互いが互いを必要としている存在になる事だ。

双方にとって、双方が必要になっている状態だ。

 

双方が双方を必要としているから、二人は強い信頼関係にある。

それだから、お互いの存在を認め合い、尊敬し、頼り合うので、かけがえのない存在になる。

 

夫婦、親友、仕事仲間、親子などがこんな関係になりやすい。

 

そして、共依存する事は、悪い事では無い。

 

たが、問題は互いに互いの言葉しか信じなくなる事だ。

 

事実、体調を崩した晩年の馬場は、「三沢(光晴)と元子さん、どちらに全日本プロレスを任せますか?」と尋ねられ、「元子だ。三沢は俺の“下の世話”はしてくれない、だけど、元子はしてくれる…」と、元子夫人に死後に全日本を任せる事を示唆したという。

(鶴田は病欠中…)

 

これを聞いた三沢は、全日本からの離脱を決め、それで設立したのが、プロレスリング・ノアだ。

 

もし、馬場がプロレスラーとして、全日本プロレスを見ていたら、馬場は間違いなく三沢を選ぶべきだ。

 

だが、プロ野球で挫折し、アメリカで有名になり、日本マットのエースになった馬場は、いつも『自分が…』という意識があった。

“後輩”猪木の新日本プロレスの隆盛、天龍らの離脱を受けて、もう自分では処理仕切れなくなっている時に、馬場は妻(元子)に頼ってしまった。

 

元子夫人も、それ以前から夫である馬場の影から影響力を行使していた。

 

お互いに、お互いが必要だった。

 

だから、互いに依存してしまった。

 

そういう意味では、ジャイアント馬場の晩年は寂しいものだった、と言える。

 

繰り返すが、共依存は悪い事では無い。

互いの事を思いやり、互いの尊重し頼り合い、困難を乗り越えるのだから、良い関係性と言える。

 

俗に言う“マインドコントロール“主従関係”になりやすく、一方的だが、共依存は互いに互いを頼るので、主従関係にはならない。

 

だが、その分、他者との関係排斥したがる。

互いの存在しか必要としなくなるので、お互いしか“要らなくなる”。

 

これが、社会から孤立する原因になる。

しかも、信頼出来る人間が側にいるから、他人からの注意は必要としない。

しかも、信頼している人間からも頼られるから、一層、関係性は強くなる。

 

だから、共依存はなかなか抜け出せない。

 

抜け出さなくても良いからだ。

ズブズブと沼のように、ハマっていく。

 

晩年のジャイアント馬場はそうだったと思われる。

 

元子夫人に頼られ、自身も頼り、他人の言葉を聞けず、孤立した。

一時、三沢にマッチメイク権を与えたりしたらしいが、最終的に元子夫人を“後継者”にしてしまった。

死期💀が見えていた馬場は、“遠い”三沢より、“近く”の妻(元子夫人)を選んだ。

 

大量離脱した全日本プロレスは、川田と淵のみが残り、天龍など過去の選手が集まり、何とか存続。

新日本から武藤や小島、カシンなどが合流し、ゴタゴタしながら、存続している。

 

これを天国のジャイアント馬場は、どう見ているのか?

三沢より元子夫人を選んだ事は間違いでは無かったが、混乱を読んだのは間違いない。

 

“周囲が見えていない”

“アイツの言いなりだ”

“人の話を聞かない”

 

それは結果的に破綻を呼ぶ。

 

何故なら共依存は、

“周囲(互い)の話はよく聞いている”

“言いなりではなく、互いに相談して決めている”

“人(相手)の話は聞いている”

 

となるからだ。

 

共依存は恐ろしい。

それが良いことだと思えてしまうからだ。

 

天国の馬場も、実は満足しているかも?