鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

野村阪神の失敗は…。

 阪神タイガースが好調だ。

 久しぶりに優勝が見えているようだ。


 “好調阪神”と言うと、俺は1999年の野村阪神を思い出す。


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 当時俺は学生で大阪にいた。

 大阪は軽い“野村フィーバー”だった。

ヤクルトの黄金期を作った名将野村が、あの“ダメ虎”を“変える!”と期待が膨らんでいた。


 “金のノムさん人形”(阪神百貨店)なんてあったなぁ。


 だが、結果は3年連続最下位という“黒歴史”になってしまった。


 何故、野村阪神は失敗したのか?


 その理由は、『野村克也を“感化さなかった”からだ』と俺は思う。


 野村克也は物凄く“印象付け”の上手い監督だった。

 ノムさんの代名詞に“ID(important・date=データ重視)野球がある。

 

 多くの人が指摘するように、それは“単なるヒット&ラン”である。

 得点差、投球回、カウント、走者位置から、ピッチャーはどういう球を投げるのか。打った打者、走者がどう動けば良いのか、それを“データ化”、それを研究、利用したのが、“ID野球”である。

 

 ただ、これは全球団がとっくの昔からしている。ノムさんIDを標榜する前に、プロ野球は既に“データ重視”になっていて、投手の配球は研究されまくっていた。

 それをノムさんは“あえて”、IDと称し、あたかも相手打者を“研究しつくしている”かのように思わせ、惑わせる。


 それが野村ID野球の“正体”だ。


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 ノムさんは、対戦相手に印象付けをしてペースを崩させたり、こちらには、普段とは違う可能性を引き出すのが得意だ。

その為のデータなのだ。


 だから、ノムさんは『野村の考え』として、長時間のミーティングをした。

 選手らに、ノムさんの考える“野球”と“戦法”を伝え、選手を誘導させる為だ。自問自答させる。考えさせる為に。

 

 相手を惑わせ、味方を鼓舞し、“感化”させる。

 それがノムさんのやり方だ。


 それがヤクルトでは、見事にハマった。


 だが、阪神では通用しなかった。

 何故か?


 それは阪神の選手らが、誘導されなかったからだ。感化しなかった。

 

 阪神の選手ら、“阪神タイガースの一員”というだけで関西ではある程度のアドバンテージがある。

 それが、ヤクルトと違った。

 そこに『野村の考え』と言われても、反発しかなかったのだろう。

 「何でこんなクソ長い“説教”を聞かないといけないんや💢」

 …となったのだろう。

阪神和田豊は歓迎したらしいが…)


 ヤクルト時代同様、ミーティングボヤキで選手を“洗脳”しようと思った野村監督だったが、完全にアテが外れたようだ。

 結果、3年連続の最下位。そして、クビ。


 ヤクルト時代は“心構え”から選手に自問自答を促したが、阪神時代は“耐え難い説教”と“愚痴”になったのではないか。

 

 ノムさんの説教には『データ』に裏付いたものだった。

 捕手の矢野(現監督)はある失策を「何であんなプレーしたんや。それが成功する確率は95%や!」と起こられた、という。

 ノムさんは、伝説(そして、おそらく最後)の4割打者、デッド・ウィリアムスの話からデータの重要性を感じ、ID野球に至ったらしい。


 データという情報が『正しい』とするなら、ノムさんの“ボヤキ”は常に正しい。


 そこには選手の向上のカギ🔑があり、そうする事でチームの内外に“変化”をアピールし、“強化”という印象を与える。

 その強さをノムさんは分かっていたのだろう。


 そこで選手を育て、強いチームを作りたかったのだ。


 実際、ノムさんは最下位に沈んだ次の年、球団オーナーに「阪神が弱いのは、オーナー、あなたの責任ですよ」と責任追及と直言している。

 そうしないと、阪神は変わらないと思い、また変わる印象を与えられなかったのだろう。


 だが、阪神は変わらなかった。

 ノムさんの影響が次の星野監督に繋がり、リーグ独走優勝に繋がったなのだろう。


 阪神の選手は、ノムさんに“心酔”していなかった。

 ノムさんの“やり方”に従わなかった。

 “野村の考え”に感化されなかった。

 ノムさんは3年間、ずっと“愚痴っぽいおじいちゃん”で過ごしてしまった。


 他人を上手く感化できない“例”だろう。