鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

8/26 “つぶやき”たくなる日

以前、テレビで漫才などのコンテストがあった後日、必ず、自分の『審査』を話すうるさい元同僚の話を書いた。

 

俺は笑って聴いていたが、内心(何で、そんなに自分の審査評をここで主張するの?)と不思議だった。

「あのボケは面白い」

「あのコンビより、別のコンビのネタの方が面白かった」

「あのコンビのツッコミは少し遅い」

 

…と、まるで“お笑いフリーク”のように話すのだが、それを何故、昼食の時間にわざわざ話すのか、理解に苦しんだ。

俺からすると、『別にどーでも良いのでは?』と思えた。

 

人には主観がある。

自分には面白くても、他人に面白く無い事はよくある。

しかも、どんなに自分の『審査評』を語ろうが、その人の評価が反映される事は無い。

 

それを何故、そこまでムキに話せるのか。

語っていて、虚しく無いのか。

馬鹿馬鹿しい、とはこの事である。

俺もたまにはテレビ番組を『楽しかった』『ツマらなかった』というが、基本は『楽しかった』しか言わない。…と言うか、言えない。

 

低評価しようが、批判しようが、テレビ画面の向こうの事は何も変わらない。自身の影響の及ばない世界の出来事だからだ。

 

何故、そんな遠い性格の事を、必死に論じるのか。

 

本当に分からない。

 

だが、気持ちが分かる時もある。

人は誰でも“評価”や“批判”をしてみたいのだ。

 

ゲス不倫した芸能人…。

失言した政治家…。

差別発言したYouTuber…。

 

皆、そんな連中に一言いいたい。

自分の考えを広めたい。私見を披露したいのだ。

何故なら、『自分は正しい』『自分は平均的』と思うからだ。

 

理屈を並べ、解説し、評価しと、自身の考えを述べたい。

俺もそうだ。気持ちは分かる。

たまにしたりするし。

 

俺はTwitterをやらない。

面倒、というのもあるが、人を惹き付けれような“つぶやき”を放つ事が出来ない、と思えたからだ。

 

他人の意見を聞くのは、とても重要だと思う。

 

だが、その意見に安易に乗り、自分で考える事を放棄しては駄目だ。

 

他人の意見は全て疑うべきだ。

正しそうでも、優しくても、一見それっぽくても、それが自分に有益そうでも、従ったらダメだ。

 

必ず、自分1人で考えろ。

 

日々、いろんな事件、情報がもたらされる。

『俺はこう思う』と言いたいし、事実、ここ(はてなブログ)で書いている。

 

それは俺の“勝手な意見”だ。そして、どんな意見を出そうが、俺の自由だ。

 

本日は俺の誕生日🎁🎂である。

 

…と言っても、特別な事は何も無い。普通の夏の日が続いている。

静岡県は緊急事態宣言で居酒屋🏮があまりやっていない。感染もあり、いつものように街中に繰り出せない💦

 

何か、つぶやきたくなるのだが…。

 

止めておこう、とつぶやこう。